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青森 三内丸山遺跡で感じる縄文時代の息吹!その1

ども にぽぽです=*^-^*=



青森二日目。
“青森魚菜センター”に、朝ご飯を食べにやって来ました。

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お魚の市場になってます。

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ここはですね、食券を買って、どんぶりご飯を購入したら、お店で好きな具材を好きな量だけ買って、オリジナル丼を作ることができるんです。
“のっけ丼”というシステム。

あれこれ目移りした結果・・

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ビジュアル的にはパンチのない仕上がりになってしまいましたが、ホタテは珍しいヒモもついていたし、お刺身の子持ちヤリイカも、コリコリして美味しかったし大満足。



さて、JR青森駅から20分ほどバスに揺られて到着した丘陵部。

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もう秋ですねぇ~。


ぐるぐるっと体を右に回すと、山肌を連続させたような地層模様の壁。

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さらに右にまわると、じゃ~ん!

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縄文が、 熱すぎる!(にぽぽの中でだけ)


縄文沸騰中のにぽぽが、おうちのパソコでググればググるほど、見たい、行きたい、触れたいーーーー!
と、堪え切れなくなった三内丸山遺跡。

三内丸山の文字を見るだけで、ちょっとした感動なのでした。


が、文字に満足して帰る訳にはいかないので、中へ突入!

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天井のたか~い、清潔館あふれるホール。
荷物を入れるコインロッカーや、雨用の貸し出し傘まであって、入場料は、 無料!

なんて太っ腹!



タイムトンネルをくぐると、

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そこはもう、じょーーーーうもーーーーーーーん!!

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さ・・・・寒いっ!
この日、気温はぐぐーーっと下がり、青森の気温11度。
さらに、風がびゅーびゅーだったので、体感気温的には6~7度って感じでしょうか。
青森でもさすがにダウンはまだ早いだろうと、薄めのコートを着ていったにぽぽ、感動に震えた後は寒さにマジで震える。

三内丸山遺跡では、何分かごとにボランティアガイドさんの案内があるようで、ちょうど出発するタイミングだったので、にぽぽもガイドを受けながら遺跡を歩くことに。


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ここは遺跡への誘導路ではなくて、発掘された縄文時代の道です。
幅7~12m。縄文前期から中期(約5,500~4,000年前)に造られた、確実に縄文時代の人々も歩いた道です。
現代と違って浅い溝のように地面を掘って造られています。


徐々に見えてくる遺跡の全貌。

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広~い!

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県営野球場を造ろうとしていた場所。
その広さ分の発掘結果ですもんね、広い訳です。


こんもりとした小山は、造りかけた野球場のマウンドの名残・・・

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ではなくて、これも発掘で見つかった“盛土”。
建物を作る際にでる大量の土砂を長期間にわたり同じ場所に捨てた結果、小山になったものです。
遺跡の北、南、西に“盛土”が見つかっているのですが、現代の残土処理とは、ちょっと意味合いが違うようです。


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盛土の断面が見られるように保存されているドームに入ってみます。

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土だけではなく、土器や土偶、ヒスイなども埋まっています。

北側の盛土では、

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約4.500年前の土器がまとめて捨てられていました。
土器を平に捨てて、その上にまた土を積んでいくというように整地の作業をしているので、地層は水平に堆積しているのです。

アイヌ民族は、この世にあるすべての物は、カムイ(神)が姿を変えた物であると考えていて、この世での役割を終え、天上に帰る場合には、集落の近くの川辺などに“送り場”を設け、祭壇を建て、火を焚いて感謝を込めて送る風習があるということです。

三内丸山に暮らしていた人々にも、例えばある代のリーダーが亡くなると、その時に使っていた道具も一緒に神に送って、その次の代の世を迎えるとか、そんなことがあったのかもしれません。



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縄文時代といえば、竪穴住居。
三内丸山では、茅や樹皮屋根のものも復元しています。


中に入ってみると、

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暖か~いo(´ー`*)


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入っていたのは、土屋根の住居。
最近では、垂木の上に草、枝、樹皮などの屋根葺き材を置き、さらに土で覆った土屋根が各地の遺跡で確認されているそうです!

土屋根が熱を吸収するので、夏は涼しく、冬は炉の熱を逃さないため暖かいそうで、寒かったこの日に土屋根のお家に入ってみて実感!
茅葺きの竪穴住居のお家よりも暖かい!!


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住居エリアを過ぎて海の方向に伸びている縄文時代の道。
道の両側に盛り上がっている土は、土坑墓といって、大人のお墓です。

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穴の大きさから手足を曲げた屈葬で埋葬された可能性が高いそうですが、手足を伸ばしたまま埋葬された大型の墓も見つかっていて、それは道を挟んて互いに足を向けた格好で並んでいたそうです。

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お墓の中に骨は残っていなかったそうですが、ヒスイのペンダントや狩りは調理の道具が出土した例があるとか。
生前に使っていたものを入れてあげたなんて、死者に対する思いは、縄文時代の人も、現代人も変わらないんですね。


生まれてすぐや、5~6歳までの幼児は大人の墓には埋葬されず、深い鉢型の土器に子供と白い石を入れて埋められました。
東京の多摩センターでは、住居の入り口に埋葬されたものが発見されていますが、三内丸山では、北側の盛土のそば、住居エリアに近いところにまとまって埋葬されていたようです。

350ほど見つかった土坑墓に比べて、子供の墓は800ほど見つかったそうです。



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高床式の建物は、約4.500年前に立っていたそのままの場所に、建物の大きさ、柱の位置、太さも忠実に再現してあるそうです。


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このように柱に穴をあけた加工した建築部材の一部が見つかったとのこと。
何に使われた建物かはわかっていないそうですが、縄文時代に高床式の建物があったなんて驚きました。

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北側には谷があり、湧水が豊富です。
ここは湿地になっていることから、本来は残りにくい有機質のもの、漆を塗った容器や動物の骨、魚のウロコ、木の実などがたくさん見つかったそうです。

多くの種も見つかり、それを調べた結果、三内丸山はクルミや・・・

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クリの森に囲まれていたことがわかったそうです。

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三内丸山といえば、この大型掘立柱建物。

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3個ずつ2列に、等間隔で並んだ6個の柱穴が見つかりました。

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柱穴は直径が約2m、深さが2mを超える非常に大型のもので、柱穴の中には直径約1mの栗の柱がそのままで残っていました!

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にぽぽの持ってる栗の木のイメージって、細い木なんですけど・・・。
1mの太さの幹っていったら、ものすごい大木ですね。


柱穴の土には、1㎡に15tの圧力がかかっていたそうで、その圧力を考えて復元すると、

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このぐらい(約15m)の高さの建物になるそうです。
床があったのか、柱だけだったのか・・・謎。


次も大きい!

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大型竪穴住居は、日本海側の降雪地帯の縄文遺跡に多く見つかったそうですが、最近は太平洋側の関東地方でも見つかっているそうです。


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コミュニティセンターの役割とか?共同作業場とか?


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三内丸山によって、にぽぽの持っていた縄文時代は一新されました。

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三内丸山遺跡は、縄文時代前期から中期にかけて(約5.500~4.000年前)の集落跡であることがわかっています。
その間、約1.500年、人が暮らし続けていた場所なのです。


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にぽぽの好きなお江戸の時代から現在までで400年です。
さらに1.100年の未来までなんて・・・想像もできないなぁ~、なんて思いながら後にする三内丸山遺跡なのでした。


小規模ながら、三内丸山遺跡の調査は続いているそうです。

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青森 しゃこちゃんの故郷 亀ヶ岡遺跡

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♪上野発の夜行れぇっしゃ 降りたときから~
  あ~お森っ駅ぃは・・・・ 

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雨です。



あ、
ども にぽぽです=*^-^*=


金曜日、
仕事の山と残業してくれている部下を見捨てて東京発19:20の“はやぶさ33号”に飛び乗り、首をガックンガックンさせて爆睡しながら新青森に到着したのは22:30。

翌朝目覚めて、「ぐっ~にん、あおもりぃ」とハイテンションで部屋のカーテンを開けたら、雨でした。
さすが、雨女にぽぽ。



青森第一日目の目的地に向けて、青森駅からJR奥羽本線に乗り込み川部へ。
川部から五能線に乗り換えると、車窓からは一面、りんご、りんご、りんご!

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♪りぃぃん ごぉぉぉ~の故郷はぁ、 きたぐぅぅにの は てぇぇぇ~ 

と、美空ひばりさんの『津軽のふるさと』が頭の中でぐるぐるリフレイン。
その山肌にりんごを抱いて、夢見せるはずの美しい岩木山も、どよ~んと薄霧の果て。


1時間半、電車に揺られて到着しました。

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木造。

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ここは、太宰治の「父が生まれた土地なのである」 

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にぽぽの旅の目的は、太宰。


じゃなくて。

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縄文が、まだ、 熱いっ!(にぽぽの中でだけ)


縄文の里 木造!!

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縄文時代といえば、誰もが思い浮かべる遮光器土偶。
THE JYOUMON!のしゃこちゃんは、ここの生まれなのであります。

♪しゃぁこちゃん~~の故郷はぁ、 きたぐぅぅにの は てぇぇぇ~ 


駅もしゃこちゃん、マンホールもしゃこちゃん。

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タクシーに乗り込み、しゃこちゃんの生家である“亀ヶ岡遺跡”へ向かいます。

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降ったり、薄日が差したりの繰り返しの天気。
木造駅に着いた時には、雨もやんでいたので、「これなら亀ヶ岡遺跡の辺りを思う存分、うろつきまくれるかも!」と、高まる期待感。


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にぽぽの目論見とはうらはらに、亀ヶ岡遺跡跡である“しゃこちゃん広場”に着いた時には、びっくりするぐらいの豪雨で、タクシーから出ることもできないありさま。


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しゃこちゃん銅像は、津軽平野を眺めて建っていて、その背後は丘陵になっています。
ここも平野に面した台地の突端に造られた、縄文時代の典型的な村ということがわかりました。

亀ヶ岡遺跡は、元和8(1622)年に津軽藩の2代目藩主・津軽信枚が城を築こうとした際に、土偶や土器が出土したことで発見されたそうです。
徳川2代将軍・秀忠の時代です。

この地区には湿地帯が多く、築城の際に地面に木を敷いて道路としたことから、「木造村(きづくりむら)」と呼ばれるようになったそうで、その湿地の中に多くの遺物が眠っていたのでした。

お城は、徳川幕府により一国一城令が出されたため、完成を見ずに廃城となりましたが、ここから発掘されたものは芸術性の高さから「亀ヶ岡物」と言われ好事家に喜ばれ、一万個以上の完全形の土器が乱掘りされて売られたらしいです。
遠くオランダまで売られたものもあるとか。Σ(||゚ロ゚)ヒィィィィ なんてこった・・・・


亀ヶ岡遺跡の出土品が展示されている“縄文館”へ。

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“縄文館”は、二階建ての小さい町の公民館のような佇まいで、お城が建つ予定だった丘の上にあります。



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展示室はこじんまりと一室。
ここの展示物はほとんどが畑作業の中で出てきたものを大事に保管していたなどの、個人所有のもの。

日本の考古学は、出土品重視で始まって、出土品を出土状態や遺構と合わせて調査することの重要性が認識されたのは昭和も半ばを過ぎてからだったらしい。亀ヶ岡遺跡は発見が早かっただけに多くの出土品が持ち出されてしまったことが残念すぎる。

本来ここにあるべき遮光器土偶のしゃこちゃんも、個人によって掘り出されたものを文化庁が買い上げて、今は上野の国立博物館に展示されている・・・。
しゃこちゃんは、故郷に帰りたがっているに違いないぞ。

生活跡や遺構の調査は未発掘であるということなので、今後の調査で驚くような縄文時代の遺構が発見された折には、ぜひに縄文テーマパーク的に遺構を保存して、しゃこちゃんを故郷に返してあげて欲しいものです。


しゃこちゃんはいないけど、展示されている出土品は、それはそれで素晴らしい!

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頭のない土偶ではありますが、これなんて、文様が美しすぎる。



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明らかに遮光器土偶とは時代が違うのだろう、こっちの土偶も、なにやら魂に訴えかけてくるような迫力がありますよ。
出土状態の説明も、学術的説明も何にもないので、なんだか芸術品を見るような感覚。



お城を作る際、丘から甕がたくさん出てきたので「亀ヶ岡」と呼ばれるようになったという名前の由来の甕。

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ほとんどが継いだ形跡が無いような・・・完全形?!


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これなんて、にぽぽの好み( ̄▽+ ̄)キラーン



植物の入った土器

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人の営みを感じられる出土品ですよね。



赤漆で塗った土器。

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縄文時代に漆製品があったなんて、知らなかったよ―――w(゚□゚)w


これは「赤漆塗り壺型土器」

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しかも、この形ったら美しすぎ。



こっちは「赤漆塗り皿型籃胎漆器」

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竹などの植物で編んだ籠に漆を塗り重ねもの。
土器じゃない?????
漆器が縄文時代にすでにあったのか?! すごすぎて眩暈がしてくる(((。o゜)))



「赤漆塗り骨製垂飾品」 

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垂飾というのは、ペンダント?



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耳飾りは、多摩センターでも同じような形のものを見たけど、ここのものは赤漆塗り!


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石の原石を丸く加工するのに使った砥石。
これは、出雲に行ったときの松江市立出雲玉作資料館で見たもの(2015年2月15日の日記⇒神話の里出雲 古代の玉作り工房を訪ねて)と同じ!


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こんな風に加工してアクセサリーを作ったんですね。

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にぽぽが小学生の時には、縄文時代は食べ物を得るのが大変だったというように習ったけど、オシャレをする余裕があったなんて。
静かな、静かな亀ヶ岡の“縄文館”で、にぽぽ一人、興奮しまくりなのでした。



待っていてもらったタクシーに再び乗り込み、木造駅の方へ戻る。

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道路の両脇は田んぼ。
そして道路わきに連続している電柱には街灯が無い!
ということは、この道は夜は真っ暗・・・なんだろうね、などど考えているうちに、“つがる市縄文住居展示資料館カルコ”へ到着。

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入り口を入ると突然に大きな木の柱と竪穴住居がドーーーーン!

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一階部分はほぼ、この住居だけ。
住居の中には縄文人のご夫婦がいて
「ナムタチタライチョ(あなた達は) インズクヨリキタリチモノチョ(どこから来たの)
アハハハハ(笑) チャンゴチャ(ゆかいゆかい)
 マンズ ユルルカニ(まあ ゆっくり) ミチュキタマビア(見ていって下さい)
アンガ ツクユタチ(わが友よ)」
と、突然にしゃべりだして、にぽぽを激しくビビらせてくれました。


それと、しゃこちゃん!

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のレプリカ。
レプリカなのに、完全にガードされて本物のようだね。


二階部分は、亀ヶ岡他、つるが市近郊で発掘されたものを展示してあります。
土器の特徴で分類してある一角がありまして、

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いくつかある文様のうち、アイヌの文様に似てる気がする「大洞BC式 羊歯状文」が一番好みだった。
にぽぽは、こういうフォークロアに接すると血がざわめくようななつかしさを感じるのであります。(2010年8月21日の日記⇒フォークロアファッション)


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さらにこれなんて、このまま持って帰って、お香を焚きたいぐらい。
縄文時代に見つかったものなんですよねぇ。美に対してすごく高い意識があったんだわねぇ。



血をざわめかした後は、騒ぐ腹の虫をなんとかすべく、資料館に併設されている“四季彩喰処華かるこ”でお昼ご飯。

お店はすべて靴をぬぐ個室になってて、食事処というより居酒屋さんのよう。
お酒が進みそうなメニューもたくさん!

そんな中、とっても素敵なものがあったので、注文!


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どんっと、縄文土器のような器の一番上に、うどんと天ぷらが乗せられて運ばれてきました。


パカっと、二段目には、地場産品をつかった料理の小鉢類。

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さらにパカっと、最下段に、これでもか! と、とどめのシャコちゃんごはんがあるんです。

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これぞ「シャコちゃん縄文弁当」

出発前に、ネットで見ていたのですが、予約が必要ってなっていたのあきらめていたもの。
用意できますよーと言っていただき、食することができました~~!

小鉢がどれも美味しかったし、うどんも、にぽぽの地元で売ってるものとちょっと違ってた。
大満足だ。



行きはタクシーでバビュってしまったので、駅がわからず、お店の方に聞いたら、歩いて10分そこそことのこと。
雨もやんでいたので、腹ごなしを兼ねて歩くことに。

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道路にそって一面サッシ?
中に入ってみると、なるほど!
太宰治が『津軽』の中で「木造は、コモヒの町である」と書いている、これがコモヒなのね!!

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コモヒは豪雪の北国特有の設えで、店の軒を通りまで張り出した回廊のことなんだそうです。
昔はこんな風にサッシじゃなくて木で囲まれた通路だったのかなぁ。
江戸の頃、明治、大正の頃、夜に灯りはともっていたのかなぁ・・・・灯っていても暗かったろうしね。
時代を超えての一時期、東京の同じ街に暮らした太宰(2008年9月7日の日記⇒三鷹 玉川上水の散歩道)と、青森に旅して会うというのも、なんだか感慨深い。

太宰の小説は、ほとんど読んだことがないけど、こんどじっくり読んでみようかな。



街並みには、古くて立派な建物も残っていて、こちらは酒屋さん。

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最近見かけなくなった塩の看板。専売制だった頃の名残。

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そして軒下に半鐘。

生活に欠かせないお米やお酒を扱うお米屋さんや酒屋さんが、地域の重要な役目を果たしていたんだろうなぁ~とか、昔ながらのコミュニティとかを考えながら歩いていたら、目の前のドン突きにしゃこちゃんが見えてきました。

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木造駅に着くと、青森に戻る電車は行ったばっかり。
次は1時間後?!

げーっと思っていると、駅員さんが臨時便があることを教えてくれる。
駅員さんといっても、定年を過ぎた年齢と思われるお父さんが一人きり。

臨時便は全席指定だというので、指定が取れるか聞いてみてくれるという。
パソコンとかじゃなく、問い合わせ。
そして手渡してくれた切符には、ものすごくきれいな字で、木造 青森 座席番号が書かれていて、その丁寧さにジーンとしてしまった。

駅員のお父さんと、お客はにぽぽだけ。
寡黙なお父さんと電車を待つこと、会話もなく30分ぐらいを過ごす。


もう少しで電車が来るというタイミングで、お父さんがわざわざホームに追いかけてきて、
「川部で乗り換えだからね。」 と、まるで親戚の子に言うように声をかけてくれて、またもやジーンとしてしまったのだった。


まるで、お父さんに見送られて、故郷から東京に出ていくような切なさを感じて電車に乗り込んだとたん、

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車内は、にぎやかに三味線がかき鳴らされ、ふくふくしたおばさまが、満面の笑顔で
♪いやさか いやさかさーーーー
と津軽民謡を披露しておりました。


にぽぽは乗り込んだのは、車内で行われる“津軽三味線”の演奏や“津軽弁語り部体験”が人気の“リゾートしらかみ”なのだった。

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木造から川部まで、思いもよらず楽しひと時を過ごしたのでした。

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にぽぽ興奮の縄文旅ははまだまだ続きます。


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松江 城下町そぞろ歩き その3

ども にぽぽです=*^-^*=



“ぼてぼて茶”で一服したにぽぽは、外堀にあるカラコロ工房まで歩いてきました。

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カラコロ工房というのは、元日本銀行松江支店の趣のある建物を利用して、いろいろなショップや和菓子作りなどの体験メニューを用意しているという素敵スポットであります。


松江は、松江城の堀を船でめぐる“堀川めぐり”というものがあります。
乗船場が何か所かありますが、にぽぽはカラコロ広場から乗船することにしました。

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松江城の外堀、内堀は、一部埋め立てられたり、幅が狭くなっていますが、ほぼ完全な形で残存しています。
内堀だけ残っているところは少なくありませんが、外堀までが残っているのは珍しいのです。
町の構造も、城下町特有のT字路、鍵方道路もそのまま残っていて、現在でも見ることができます。



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“堀川めぐり”の小舟に乗り込み、掘りを右回りにレッツゴー!
もちろん、いつもの通り先頭確保(笑)。


掘りには、いくつも橋が架けられています。

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南北に掘られている外堀は、米子川となっています。

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この辺りは、堀にむかって階段がつけられているのを見ることができます。
昔は、どの家からも堀におりる階段があって、昭和30年代頃までは堀におりてお米をといだりしていたそうで、この階段はその名残だといいます。


米子橋が見えてきます。

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小舟のは橋をくぐるたび、橋の高さに応じて屋根を上げ下げするのです。

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屋根を下げるタイミングに合わせて、にぽぽたちは、ぐーーーーっと前屈を余儀なくされます。

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この米子橋よりもっと低い橋もあるので、橋をくぐる前に何度か前屈の練習をさせられて、にぽぽを含む体の堅い人たちから、ぎぇ~と悲鳴が漏れます(笑)。



内堀にはいってくると、お城がどーーーん。

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大手門に近づいてくると、堀にも石垣ががっちり組まれてきます。

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水際の石垣は、荒々しい威圧感があって、素敵~と、うっとり。

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他のお客さんが、風景に感動してあちらこちらとカメラを向けている中、一心不乱に石垣に向けてのみシャッター押しまくるの石垣フェチのにぽぽ。あイタタ・・・



大手前をすぎると、お堀からは塩見縄手の武家屋敷群が見えてきます。

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車が写りこまなければ、江戸時代そのままの景色です。

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お城の裏側の内堀入っていきます。

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堀幅が狭く、直線になるところでは、何艘も先の船までも見通せるので、ちょっとアトラクションっぽい感じで面白い(笑)。

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サギもいたりします。

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お城の裏側には、たくさんの椿が植わっていて、椿谷と呼ばれていました。

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椿からとれる油は、刀の手入れに使われたそうですし、不昧公など椿の好きな殿様が、参勤交代の時に江戸や京都から苗を持ち帰り、椿谷に植えたことから多様な品種が生まれたと言われています。

椿は、茶花として欠かせない花ですから、不昧公が椿が好きだったのはうなずけます。


椿は松江の市の花であり、資生堂のシンボルマークも椿。
資生堂の椿と、資生堂がある銀座の通りも松江につながっているんだったなーと、以前のお散歩を思い出したりしたのでした。(2011年3月24日の日記⇒銀座ぶらぶら 花椿通りのヤブツバキ)


椿谷のあたりの堀は、自然感がハンパなくて、まるでジャングルクルーズの様相です。

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ジャングルを抜けると松江城三の丸・・・現在の県庁や県立図書館が見えてくる官公庁街です。

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官公庁街を曲がると外堀の京橋川になります。

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京橋川に面した一帯は江戸時代は町人地で、中でも米問屋や蝋作りの御用商人などの屋敷が並んでいたようです。
というのも、片面側は京橋川というお城の堀、もう片側は宍道湖に面している立地ですので、宍道湖方面から船で運ばれてくる様々な物資を商うのには好条件だったのです。

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宍道湖に面する大橋の辺りは渡海場と呼ばれ、出雲参詣にいく船もあり、後期や物資の集散地として大いに賑わっていたそうです。



松江の最後の晩餐(お昼だけど)は宍道湖に臨む“皆美館”にしました。

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小泉八雲をはじめ、芥川龍之介、島崎藤村、与謝野寛・晶子夫妻、志賀直哉、武者小路実篤、川端康成など、など、などが来館した文人ゆかりの宿ということです。

ここの庭園茶寮で、不昧公ゆかりの“鯛めし”を頂いちゃおうってことです♪

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お料理を待つ間、出雲産の白ワインをグラスで。
優雅だわ~~~。


ところで、“鯛めし”というのは、そぼろにした鯛の身を、ゆでた卵の白身のみじん切りや、裏ごしした黄身と一緒に、ご飯の上にのせ、ワサビ、大根おろし、ねぎ、海苔を添え、だし汁をかけて食べるという松江の郷土料理です。

不昧公が、長崎や平戸に出向いた御用人から献上された西欧料理にヒントを得て、日本風にアレンジしたという話があるようですが、資料が残っていないので真偽は定かではありません。
皆美館さんでは、茶道に知識が深い不昧公なので、むしろ茶会の懐石料理の流れをくむとみているようです。


きたーっ!

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鰈のから揚げも。

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骨までパリパリに揚げてあって美味しかった!


さて、問題の“鯛めし”は、別皿に盛られてくる具を、お茶碗によそったご飯に自分で盛り付けなければならないのです。
不器用なにぽぽに美しく盛ることができるのか、緊張に手を震わせながら・・・

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どどど、どーーよっ!!
なかなかの盛り付けでしょう!

あとは、出汁をかけて無心で食べまくるのみなのでした。



車で走り回った奥出雲、古代の出雲の謎に触れ、文化かおる城下町の松江。
どれを思い出しても楽しいことがいっぱいだった出雲、松江の旅はこれにておしまいです。




今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)
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松江 城下町そぞろ歩き その2

ども にぽぽです=*^-^*=



松江城の北側のお堀沿いに塩見縄手と呼ばれる通りがあります。

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城下町では、縄のようにひとすじにのびた道路のことを「縄手」というそうです。
かつて通りの中ほどにあった松江藩中老で町奉行の塩見小兵衛が異例の出世をしたことを称えて、塩見縄手と呼ばれるようになったのそうです。

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江戸時代から生き残っているという老松と武家屋敷の長屋門を眺めつつ歩いていると、気分はすっかり松江藩士です(笑)。


この塩見縄手には、200石から600石程度の中級藩士の屋敷が並んでいました。
ちなみに、時代により1石の価値に変動はありますが、遠山の金さんの遠山金四郎景元(旗本江戸北町奉行)が500石で、鬼平犯科帳の長谷川平蔵宣以(旗本火付盗賊改役)が400石だったそうです。


にぽぽの城下町散歩には欠かせない、お宅訪問!

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この武家屋敷は600石程度の藩士が住んだところで、現在の屋敷は享保18(1733)年に建てられたものです。
築275年ぐらい?!


武家屋敷の特徴の一つの長屋門は、武家奉公人である中間の住居としても使われていました。
敷地内から見ると、部屋になっているのです。

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600石というのは、今でいうとざっくりですが年収3300万という感じです。
(換算方法はいろいろあるので一概には言えませんけれど。)

母屋はおよそ70坪。

松江武家屋敷見取り図

左側が式台玄関、右側は内玄関。

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武家の社会は公私がしっかり区別されているので、家であっても、式台玄関から座敷が公、家族の生活の場は内玄関から家の奥側と区分けされていて、作りも材料も違うということです。


こちらが家族が使う内玄関。

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客が上がる式台玄関。

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式台玄関から続く十畳の座敷は、屋敷内で最も立派な部屋。

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“中老である屋敷の主の元に緊急の用件で近習頭が書状を持参し、指示を仰ぎに罷り出ているの図”です。



座敷の裏側にあたる、家族部屋。

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座敷に比べると天井も低く、質素なつくりになっています。


その隣は当主居間。

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その隣が奥方居間。

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家族の生活の場は屋敷の北側にあるのですが、手入れされた庭に面しています。


なんと、茶の間があるではないですか!

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にぽぽが拝見した他の地の武家屋敷には茶の間はなかったですね。
これは藩主が江戸時代の超一流の茶人だった松江ならではって感じです!


佛間。

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置かれている仏壇がシンプルで意外でした。
この高さだと、お線香は立ってあげるのかしら・・・江戸時代にそんなはずはないと思うんだけど。


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江戸時代は、部屋ごとの収納スペースが充実していないので、納戸が必要だったんでしょうね。
家の格によって、家財道具もいろいろ揃えていないといけなかっただろうし。


湯殿です。

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火事に気を付けなければいけない時代ですので、薪をくべてお湯を沸かしながら入ったのではありません。
お湯を入れて、体を拭いたりとかしたのでしょうが、寒い松江では、冬のお風呂は大変だったかも。


台所です。

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水場と竈で、いわゆる“キッチン”の部分の訳ですが、コンパクトにまとまっています。
窓の右下にあるのは水瓶で半分は外に出ているんです。

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井戸で汲んだ水を、外から水瓶にいれられるようになってるんですね。


台所にはもう一つ目を引くものが。

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茶の文化が浸透している松江ならではの大茶壺!!
それにしてもでっかいっ! 大人でも余裕で入れそうです。


食器類も充実。

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松江歴史館で見た美味しそうなお膳が目に蘇ってきますね~。


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これ、何だろう?吊戸棚??
できたお料理を置いたりしたのかなぁ・・・。


伊勢で見た40石取りの武家屋敷(2010年3月23日の日記⇒松阪の街その1)と、会津の筆頭家老の西郷頼母の屋敷(2008年10月8日の日記⇒会津武家屋敷)そして松江の武家屋敷、時代と石高が違うけど、その土地ならではの特徴があってなかなか面白いものがあります。


塩見縄手には、小泉八雲も一時期住んでいたことがあります。

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小泉八雲の旧居も見学して、ちょっと小腹がすいたので、通り沿いにある塩見茶屋で一休み。

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テラス席はお掘りに面していて気持ちがいい!
ここでオーダーしたのは、松江に来たら食べようと決めていた“ぼてぼて茶”

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“ぼてぼて茶”は不味公が鷹狩りに出かけた際に飲んでいたものが由来だそうです。
番茶を茶筅で「ぼてぼて」と泡立てて、その中におこわ、煮豆、きざんだ高野豆腐や漬物などを少量ずつ入れます。
箸を使わず、茶碗の底を軽くたたき片寄せた具をお茶と共に一気に口に放り込むように食べるのが通だそう。

お箸は出てこないので、にぽぽも通に食べてみることにしましたが、一気にズッツと吸い込まないと具が残ってしまう・・・通の道は遠かった!

“ぼてぼて茶”は、ほんのりした塩味、具材合わせの妙!
体が美味しい~と言ってる美味さでした。
不昧公って、ほんとーーーーに美味しいものを知っていた人だったに違いない。(←なぜか上から発言)

“ぼてぼて茶”は庶民の間にもに広がり、仕事の合間に立ったまま食べられる間食や非常食として根付いたそうです。




今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)
長かった出雲、松江のお散歩も、次回で最後です。
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松江 城下町そぞろ歩き

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松江城の天守を満喫し、地上に戻ってきました。

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天守を支えている石垣は野面積の中でも、ごぼう積みという技術が使われています。
奥行の深い石を用いその小口を正面に出し、奥に深く石が入るように積むという頑丈な積み方です。
大きな石と石の間に小さな石を埋め込むという、一見すると雑なように見えますが、実は細かい計算のもとに積まれているのだそうです。

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が、

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石が割れてきていたり、小さな石が崩れて落ちているのが目立ちます。
何千、何万の観光客がとどしどしと天守に登るなんて考えて作ってないですもんね。
江戸時代は藩の関係者だって、めったに登らなかったのではないかなーと思うのです。

松江城はこれから大手門の復元も計画されているとのことですが、石垣も改修されるのだろうと期待しています。
大事に残していきたいですよね。

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お名残り惜しい本丸を後にします。

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あ~、お城には青空が似合うなぁ

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観光客もかなり増えてきた時間ですが、この辺りは人が少なくて、ゆっくり妄想に浸れます(笑)。

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朝一番に上った水の手門を横目にして、

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馬洗池に差し掛かると、相当本格的な一眼レフを手にしている女性。


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かなりのお城好きとお見受けいたす。


北惣門橋へ。

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北惣門橋を渡った正面に見ている建物は、松江歴史館です。

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藩政当時は、家老の屋敷があった場所です。



入館してみてびっくり!

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た、畳ーーーーーーっ!
松江市って、お金持ちなのねぇ~。


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松江城築城の話とか、松江藩政や城下町の形成、城下の人々の暮らしなどがテーマ別に、音声や映像を使って紹介されているので、とてもわかりやすかったです。

登城編に多用したジオラマ(←にぽぽの大好物)も、ここに展示されていたのものです。


ガン見したのは、松江の食文化を紹介していたもの。
松江調理師会と松江郷土料理研究会監修。


お雑煮

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松江では正月の像にに二つの種類があるそうです。
一つは澄まし汁に丸餅を入れ、岩海苔を乗せただけのあっさりとした海苔雑煮。
もう一つは小豆の粒をつぶさずに汁を澄ませて仕立てた小豆雑煮。

美味しそう~・・・・模型なんだけど。


春の献立。

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麦飯・漬物(水菜浅漬け 大根みそ漬け)・白魚の卵張り
葱ぬた・めのは・煮しめ・さよりの刺身


夏の献立。

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海苔巻き・漬物(やたら漬け)・しじみの味噌汁
素麺・煮しめ・エノハつけ焼き


秋の献立。

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キノコ飯・漬物(大根浅漬け 塩漬け穂紫蘇)・おちご汁
ずいきの煮物・そば・ものげ海老の照り煮


冬の献立。

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あまさぎの柳かけ・漬物(津田蕪漬け)・のっぺ汁
セリのおひたし・鱸の煮なます・寒鮒の刺身


食文化は相当ハイレベルで洗練されてますよね。



最後の展示物は、歴史館敷地の地下から発見された建物跡。

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ガラスをはめ込んで地層ごと上から見えるようになっています。
堀尾期のものと京極~松平期の2種類があり、歴史が重なっている様を実感。



松江歴史館内にある“喫茶きはる”で、一服。

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窓からはお城が見えます!

江戸時代の武士たちは、ずーーーーっとお城を見て、お城とともに暮らしていたんだなぁ~
なんてことを実感しながら、オーダーしたのは、上生菓子と抹茶のセット。

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お菓子は、労働大臣認定の「現代の名工」の肩書きをもつ伊丹二夫さんの作。
松江の定番もの、四季をモチーフにしたもの、ご当地の人気キャラクターのものなど数種類の中から好きなものを一つ選ぶことができます。
きれいなお菓子にうっとり、さすがは不昧公のお膝元、松江!って感じです。

松平家七代藩主の治郷は、不昧(ふまい)という号をもつ江戸時代の超一流の茶人でした。
不昧公の存在によって松江では茶の湯を楽しむ気風が育まれ、お茶の席には欠かせない銘菓、名料理がいくつも誕生しました。
「不昧公好み」として受け継がれていて、今でも味わうことができるお菓子やお料理もあるのです。

「不昧公好み」のお料理も、松江のお散歩の楽しみなのであります!



それにしても、松江歴史館は、どこもかしこも贅沢だった。

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女子トイレの化粧室まで素足(スリッパとかを履かないという意味)のまま入れます。
トイレスペースは別で石張りの床になっていて、ここでスリッパが用意されているのです。
これ、“市”の歴史館ですからね、すごいですよね~。



と、ここいらでいったん休憩、松江のお散歩はまだ続きます。
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東京の西のはじっこに住んでいます。
お散歩したり、まったりしたり、美味しいもの食べて喜んだり。

2010年 江戸文化歴史検定3級・2級合格。
2014年 新選組検定3級・2級合格。
たまに歴史と新選組のオタク日記になります。

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