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浅草今戸神社 沖田総司終焉の地

ども にぽぽ です=*^-^*=




待乳山聖天を後にして、道なりにてくてく歩いていきますと、心なしかうら若き女子がウラウラと目につくようになってまいりました。
到着したのは“今戸神社”。

今戸神社1

神社の由緒によると、後冷泉天皇康平6(1063)年に、源頼義・義家父子が京都の岩清水八幡を勧請したことに始まる今戸神社ですは、度重なる戦争や災害に遭うたびに再建されてきたそうです。
昭和12年に、隣地に鎮座されていた白山神社と合祀され、現在の“今戸神社”になったそうで、御祭神は應神天皇、伊弉諾尊、伊弉冉尊、そして七福神のうちの福禄寿です。
伊弉諾・伊弉冉の二柱の神は、天神の命を受けて、日本の国土を創成し、諸神を産み、山海や草木を生したといわれる男女の神で、縁を結び、生産の基盤を固める神として崇められてきました。

そんなところから“今戸神社”は、婚活中、彼氏募集中の女子の間で、ものすごい人気のパワースポットとなっております。


にぽぽも、いいご縁に恵まれますように~~~(>人<)

と、いうのが目的じゃーなくて!!
この神社は、新選組一番隊組長、沖田総司の終焉の地といわれておるのです。



     今戸神社2

それにしても、鳥居の下の看板・・・総ちゃんの扱いの、イマイチ中途半端なこと(^^;
招き猫発祥の地と同じ看板だし~。



境内に入りますと、沢山置かれたテーブルセットもアイアンで、女子が喜びそう(?)な演出になっております。

今戸神社3



本殿へのお参りも、行列!

今戸神社4

東京大神宮(2010年6月28日の日記⇒ 東京大神宮 夏越しの祓え )もすごかったけど、今戸神社もかなりすごい事になっております。



本殿の横におかれている“石の招き猫”は、携帯の待ちうけにすると、すごーくいい事があるそうで、女子のみなさんがつぎつぎに写メっていました。

今戸神社5

にぽぽは、写メしてる女子を激写!!




さて、肝心の総ちゃんに関するものといえば、

     今戸神社6

これだけーーー!!
しかも、今戸焼発祥の地の碑の方がデカイ(涙)。
(招き猫・今戸焼発祥の地については今戸神社HPをどうぞ⇒こちら )


慶応4(1868)年1月に勃発した“鳥羽・伏見の戦い”で惨敗した新選組が江戸に引き上げた時、総ちゃんの結核はかなり進んでおり、幕府医学所頭取を勤めていた松本良順氏の和泉橋医学所で治療を受けていたのですが、薩長軍の江戸入りに際して、状況が緊迫してくると、松本氏は密かに医学所を今戸八幡に移して患者の治療にあたり、総ちゃんは松本氏宅で療養したといわれています。

『今戸神社沖田総司終焉の地説』は新選組二番隊組長を務めた永倉新八さんが晩年に記した、新選組隊士名簿『同志連名記』において、「浅草今戸の松本良順先生宿にて病死」と記された証言が基になっております。


松本氏が浅草に医学所を移した理由は、当時の浅草一帯を中心に被差別民を支配していた矢野内記(浅草弾左衛門)が、旧幕府勢力を支援していたためであり、松本氏は矢野氏の手配で今戸八幡境内に仮設医学所を設置して負傷兵を移送したといわれています。


ふーむ。
にぽぽとしては、なーんとなくシックリ来ない終焉の地であります。
ここに違いないと感じる時には、鳩尾あたりがキュってなるんですけども、今回はビョーキアンテナに響いてこない感じであります。
圧倒的な女子パワーに、総ちゃんがビビッてしまっているのかも(笑)。

『沖田総司終焉の地』は、はっきりしておらず、実はもう一箇所候補地があるので、いずれそちらにもお散歩してみようと、うら若き女子ワンサカの境内で、小さく拳を握り、決意を固めたのでありました。





さてさて、お散歩の目的を果たして、遅めのお昼ご飯にしようと、浅草寺まで戻り、行ってみたいと思っていたエジプト料理のお店へ向かったら、

     201101浅草1

お休みだった。

ううう・・・(涙)。
こうなったら自棄酒だ!


ということで、行き先変更。
雷門の裏手にある酒屋さん兼酒バー、“酒の大枡”さんへ。

201101浅草2

このお店は、地酒、ワインを中心に、焼酎や世界のビールがそろえてあり、お酒を購入して帰ることももちろん、バーコーナーもあるので、お店のお酒を飲んでみることもできます。
フラッと気軽に入れるし、スタッフの方々は酒師やソムリエが揃っていて、お酒に詳しく、しかも皆さんすごく感じがいいので、にぽぽお気に入りのスポットです。



まずは、前菜三種と山口県のお酒、獺祭(だっさい)をぬるかんで。

201101浅草3

酒は辛口って、そういう単純なことをいっちゃーいけません。
初めて飲んだ獺祭は、キリっとした透明感がありながら、ほんのり上品な甘みが感じられます。
熱くして飲むよりも、常温に近いほうがこのお酒のデリケートな美味しさが味わえる気がします(←あてにならないウンチク)。



ふと、メニューに挟まっていたものを手に取ると、

201101浅草4

ひゃー!!
一ノ蔵は大好きな蔵元でありますが、“ひめぜん”ってどんなお酒なんでしょう。
なかなか飲めない逸品の雰囲気、さっそくオーダいたしました。



     201101浅草5

にぽぽの目の前に運ばれてきたのは、なんと“シャンパングラス”

注がれた液体は、霧の色。

 ♪霧に~だかれてぇ しずぅかに眠る~ 星も~見えないぃ 湖に~ひとりぃ
  ちぎれたぁぁ 愛のぉ 思い出ぇえ さえも~ 映さぬ 水にぃ あふぅれる涙~
                                (By 霧の摩周湖・・・またしても古っ!! ) 

ちなみに、うつっているペットボトルは“仕込み水”といって、新潟の“麒麟山”のお酒造りに使うお水です。
お酒の合間に飲むと悪酔いしないそうですよ(^^


ひめぜんは、といえば。

201101浅草6

口に含めば、なんとも驚きの新発見です。
にごり酒かと思うほどの細かくまろやかな発泡、お酒を覆う泡の、果てしなく優しい感触。
石鹸“茶のしずく”よりもこの泡で顔を洗ったほうが「あきらめないで!!」よさそうだ。

その味はといえば、
んんんーーーーーーーー、難しい。
甘いは甘いのですが、フルーツのようなとか、そういう言葉では足りないです。
例えばですよ、
『世界中の男をたぶらかした稀代の悪女が、たった一人の男を愛する事を知り、聖女に昇華する瞬間に流した涙』
みたいな味(←全く意味不明)。



201101浅草7

追加オーダした“鶏のチーズ焼き”を一つ頬張り、“ひめぜん”をひと含み。


     201101浅草8


グラスを揺らすたびに、晴れたはずの霧がトロリと広がる。
見飽きない、飲み飽きない!!

201101浅草9

かなり調子にのって、お代わり、お代わり!!
帰りの電車では飲みすぎによる爆睡状態でした(^^;



201101浅草10

“酒の大枡”さん、にぽぽが入ってきたのは裏のバー側の入口で、こちらが正面。
お酒好きの皆様、浅草に行ったらぜひ、探してみてね(^▽^)”




結局、飲んだくれ散歩になってしまった気がするけど・・・。
今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)
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theme : 東京23区
genre : 地域情報

近清 新選組の愛したお漬物 

ども にぽぽ です=*^-^*=




楽しみに待っていた品物が届きました♪
これは、京都の西洞院蛸薬師にある近清さんのお漬物です(^^

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近清さんは明和元(1764)年創業、240年続く老舗のお漬物屋さんです。


近清さんは、江戸時代半ばから明治初期まで、東本願寺、西本願寺にお漬物を献上していたそうで、西本願寺を屯所としていた新選組の賄いにも、近清さんのお漬物が出されたそう!



200人を超える隊士の腹ごしらえのために、常に沢庵と奈良漬のみじん切りがどんぶり鉢に盛られ、いつでもご飯を食べられるように準備されていたとか!

DSCN9517.jpg


にぽぽも、新選組の食べ方にならって、みじん切りしたお漬物をたんまり入れた湯漬けにして、かっこんでみました。

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茄子生しば漬、瓜の奈良漬、田舎沢庵、それぞれの食感と味がご飯と絡んで、複雑な美味しさです。
化学調味料や保存料を使わず、じっくり熟成させているお漬物の味。
無駄な甘みがつけられているお漬物も多い昨今、特に沢庵の酸っぱさには驚きます。
漬物が、野菜のヨーグルトと言われるように、乳酸菌たっぷりなんだろうなぁと思います。

若い頃、親戚の家の沢庵漬けが気に入って、樽ごと持って帰ったというエピソードがある土方さんも、この味には納得だったのかな。

昔ながらのお漬物だけでなく、新しい味にもどんどん挑戦している近清さん。
今度京都に行ったら、お店にもお邪魔してみようと思いました。(⇒HP )




美味しいお漬物があると、ご飯がすすんじゃうわぁ・・・。
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theme : 美味しかった♪
genre : グルメ

日野 王手は日野の万願寺

ども にぽぽ です=*^-^*=




日野宿の東の果てを過ぎるとそこは多摩川。

P9230445.jpg

多摩川に架かるのは“たっぴ橋”であります。



橋の南詰め日野側から対岸を見る。

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 ♪ごらんあれが竜飛岬 北のはずれと~
  みぃ~しらぬぅ 人が指 を指す・・・・
               (By 津軽海峡冬景色)


いや、対岸は立川市でありまして、この“たっぴ橋”の意味するところは、立川と日野を結ぶ“立日橋”でございます。
立日橋は、少し下流にかかる日野橋の交通渋滞緩和のために作られた、割と新しい橋なのですが、江戸時代にはこの辺に多摩川の渡船場、“日野の渡し”がありました。

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渡船場跡の説明があるのではないかと、河原に下りてみましたが、

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夏草がボーボーで見つからず(撃沈)。



そのまま河原をテクテク下流に向かい歩きますと、R20の渋滞の名所“日野橋”。

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大正15(1926)年に日野橋が架けられるまでは、多摩川は船によって越えなければならなったのです。
日野宿は2艘の馬船と1艘の歩行船を運行し、渡船場を管理するという仕事も持っていました。



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多摩川の土手。
何度か書いているにぽぽが卒業した高校(2009年5月13日の日記⇒ 歳三忌番外編/デイ・ドリーム・ビリーヴァー達の時が重なる場所 )は、土方さんのお家のすぐ近くです。
この土手は毎年秋に行なわれるマラソン大会のコースで日野橋が折り返し地点でした。

東京都内の高校で、こんなにもマラソンコースに恵まれた高校はあるまいて・・・。
なんと男子10km、女子7kmを走らされるという、とにもかくにも体育科の教師軍が張り切っている学校でありました。
雨が降っても大会決行でしたから。
ちなみに、近隣の別の都立高校に行った友人たちのマラソン大会は、男子でも5km、女子は3kmぐらいだったです(涙)。



今日は走らなくてもいいんだねっ♪

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白いお花が気持ちよさそうに、風に揺られていました。
例年なら、河原には曼珠沙華が咲き誇っている時期なのですが、今年は夏が長すぎて、曼珠沙華はやっと蕾があがってきたところでした。
秋はこれからです。



川音が一段と高く響くと思ったら、川の流れが曲がった場所に岩が溜まり自然の堰が築かれて浅瀬になっていました。

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なんとなく気になるポイントだったので辺りを見てみると、

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なんと、この辺りは万願寺の渡船場だったんです。
にぽぽの女の感もあなどれませんな!(たまには)


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将棋で使う「王手は日野の万願寺」とは正にここのポイントからきています。
徳川幕府の軍事的な街道と位置づけられた甲州街道のうち、多摩川を渡る日野がとても重要だったことを物語っています。

甲州街道のルートは江戸時代にも何度か変更されており、多摩川の正規の渡しは貞享元(1684)年に先ほどの“日野の渡し”へ移りましたが、“万願寺の渡し”も大正15(1926)年に日野橋が開通するまで作業渡しとして利用されていました。



気持ちのよい多摩川土手をはずれて、ちょっと内陸に。

P9230459.jpg

この辺りは、にぽぽが高校生の時でも、ほとんど田んぼや畑だったのですが、ずいぶん家が建ったったんですね。
畑は家に挟まれてちょこっとずつしか残っていない・・・ちょっと寂しいかな。



多摩モノレールの“甲州街道”駅と“万願寺”駅のちょうど中間ぐらいにある土饅頭は、江戸時代の街道の目印、一里塚です。

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この塚のある道が甲州街道であったのは、“万願寺の渡し”が使われていた江戸前期までで、再整備によって“日野の渡し”を渡る道筋に改められてからは、甲州街道沿いの塚ではなくなってしまいましたが、この万願寺一里塚は、江戸日本橋から9里、日野市に現存する唯一の一里塚です。
この塚を越えると日野宿であったことから、この周辺は“塚越”と呼ばれていたそうです。

一里塚には目印に榎が植えられていました。
かつての往来では、榎の木陰で休む旅人も沢山いたことでしょう。



P9230466.jpg

さて、今回のお散歩も佳境。
土方さんの生家、“土方歳三資料館”に到着しました。
この日はほんとうに、どこの資料館も見学者が沢山でした。

土方歳三資料館の前にも、車が沢山駐車していまして・・・

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運転席に新選組のガイドブックをのせたこの車などは、名古屋ナンバーでしたよ!
その後ろの車は大宮ナンバー。

相変わらず土方さん、すごい人気ですなぁ(^▽^)



門のところには、高幡饅頭の出張テントが出ていました。
今まで買ったことのない土方さんの日野土産をついはずみで購入。

出張テントのおば様が、
「この袋が、喜ばれるんですよー」って誇らしげに商品を入れてくれました。

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だけど、にぽぽのように、ひっそりと土方さんのファンをしているような者(え?)には、あからさますぎて恥ずかしい・・・。



日野散歩のお決まりのゴール地点は“高幡不動尊”です。
この日は、このエリアもお祭りだったみたいです。

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子ども神輿が賑やかにお不動さんの参道を通っていきました。



     P9230470.jpg

お不動さんで恒例のおみくじを引きました。

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凶ーーーーーっ!


枯木未生枝(かれきもいまだ、はるをむかえず)
挙歩上雲岐(くのもかけはし、およばぬのぞみ)
豈知身未隠(みのほどしらぬは、うつけものなり) ←ひーっ!手厳しすぎる(;^_^A
独自惹閑非(むねにてをおき、わがひをさとれ)

おもうことならずとも、雲の上は歩むあたわず
及ばぬのぞみにあくせくすることなく、
自らを省みて正道をたどるべし。


何か悪いことしたっけかなぁ。
涙、涙・・・お不動さんのおみくじって、“凶”率高いしっ(ヘ;_ _)ヘ ガクッ

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副長のお言葉と思い、にぽぽ身を引き締めて精進いたしますーっ!



おみくじは凶だったけど、日野パワー充電完了で、元気まんまん回復です。

最後を飾るのはやはり定番のお店、“あんず村”
お昼ごはんを食べ損ねた分を取り戻す!

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生ビールうめーっ♪
(こらこら、自らを省みてはどうした?)



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“どんすぱ”もくっちゃるぞーっ!
(独自惹閑非(むねにてをおき、わがひをさとれ)は・・・??)




誠の紙袋に入れてもらった日野のお土産は!!

     P9230480.jpg

Toshizo Hijikataのびぃぃぃぃるっ!
今まで買おうと思ったことはなかったのに、弾みで買ってしまった。
土方さんパワーが不足しすぎていたのかしらねぇ・・・。

かるーくてスイスイっと飲めるビールでありました(←もう飲んだ)


     P9230481.jpg

土方さんとはなーんも関係ないうどんまで買ってしまったし(笑)。
やっぱり、土方さんネタは元気が出るわ~っ!




次回は、奈良レポ開始です。
長いよーーー、覚悟はよろしくて?
今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)
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日野 八坂神社の例大祭

ども にぽぽ です=*^-^*=




異常な暑さの夏を越し、体調を崩している方も多いみたいですね。
にぽぽも・・・( ̄△ ̄)はぁ・・・・。

なんだか元気がでません。



体調が悪いわけじゃなくて、なんていうか。


アルプス少女のハイジがフランクフルトの街にいって、元気がなくなっちゃったみたいな感じ?
(解りにくいわっ!バキッ! ( -_-)=○)°O°)アウッ)


考えてみたら、ここのとこずーーーーっと土方さんに触れてなかった!!
こらイカン!!

つーことで、さっそくやって来た“新選組のふるさと日野”!!

P9230406.jpg

JR中央線日野駅からお散歩開始。
日野駅は、中央線で一番小さい駅なんだそうです。
ホームは土盛した築堤の上に作られています。
駅舎は初代の原宿駅を移築したという噂を聞いたことがあったのですが、伊藤滋氏という国鉄の技術者だった方が日野の原風景に合うものというコンセプトで設計したものらしいです。
なんとなく、なつかしい気持ちになるいい駅舎だなぁって思います♪



中央線の線路にそっている道が、明治時代までの甲州街道で、今の道筋とは違っています。

P9230407.jpg

その昔の甲州街道沿いにある赤い屋根のお堂は“坂下地蔵堂”で、日野宿の西の端にあたり、“西の地蔵”と呼ばれています。
さて日野宿とは、江戸から約10里にあった宿場町で、甲州街道府中宿から八王子宿に向かう途中にありました。



地蔵堂の前方には、元文2(1737)年に建立された2体の大きな石地蔵と6体の小地蔵があり、お堂中には延命地蔵尊があります。

P9230408.jpg

このお地蔵さんは、多くの旅人を見送ってきたんでしょうね。



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坂下地蔵のお堂から現日野駅に向かって坂を下っていくと、臨済宗の宝泉寺があります。
この道筋は、新選組副長時代の土方さんが江戸に隊士募集に来たときに、甥の佐藤源之助を馬に乗せて疾走したという記述が残っているそうです。

今でも坂を登りきると真正面に富士山が見える素晴らしい眺望ですが、ゴミゴミした建物がない当時は、いまより伸びやかな美しい景色が広がっていただろうなと思うと、にぽぽを馬に乗せて疾走して欲しいーと悶えまくるのでありました(人目があるので、あくまで脳内で)。



宝泉寺を過ぎたところを右に曲がれば、旧甲州街道が現甲州街道の道筋に重なります。
元亀元(1570)年から同じ場所にあるといわれている“八坂神社”

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“八坂社”と呼ばれるようになったのは、明治維新政府の神仏判然令によってで、それ以前には祭神の牛頭天王から“天王社”と呼ばれていたそうだ。明治時代にはご祭神も牛頭天王から素盞嗚尊に改められたそうです。



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この日9月19日は“八坂社”の例大祭が行なわれておりました。
関東一といわれる千貫神輿が巡行したり、盛大なお祭りなのですが、このお祭りにあわせ、八坂神社の本殿が公開されているのです。

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普段は重要な文化財を保護するために、倉庫のような建物の中に保護されていて、間近に見る事はできないのであります。

     八坂神社
(写真撮影不可のため、八坂神社発行の小冊子表紙)

八坂神社の本殿は寛政12(1800)年に寛政したもので、その彫刻の素晴らしさに感動しきり。
ためいきが出るほど美しかったです。



そして、もう一つ!
こちらの方が真の目当てでありますが、安政5(1815)年の秋に奉献された“天然理心流奉納額”

天然理心流奉納額
(こちらも写真撮影不可のため、いただいた絵葉書)

縦47cm、横90cmの欅の一枚板。
天然理心流の日野宿門人がそろって奉納したものらしい。

中には現日野市長、馬場氏のご先祖様の名前もあります。
“沖田惣次郎藤原春政”は、沖田総司の幼名、連名の最後に少し高く書かれている、“嶋崎勇藤原義武”は
天然理心流四代目宗家を継ぐ前の近藤勇の名、当時23歳です。

この額には、土方さんの名前がありません。

土方さんの天然理心流入門は、安政6年であったからと名前がないのだ。
この額は日野宿の門人によるもので、土方さんは石田村の住民だったから名前がないのだとか、いろいろ言われております。


新選組となり、命を的に厳しい生を生きる前の、ほんのり暖かな時代の近藤さんや沖田君の存在証明に、心がじーんとしてしまいました。



徳川幕府の天領であった日野は、江戸時代を通じて年貢の率も低かったのに加え、どんどん新田開発がされたので、この地の人々の暮らしはとても豊かだったそうです。
甲州街道沿いの日野宿には、今でも蔵が残る家がいくつも建っています。

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日野本町二丁目の交差点のあたりから、甲州街道をちょっとはずれます。

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この辺りに、沖田君のおねーさんのみつさんが暮らしていたというそうです。



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道の辻に建つ“とうがらし地蔵”と呼ばれるお地蔵さんには沖田君がよくお参りしていたという話しが伝わっています。

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“とうがらし地蔵”の横にひっそりと建っている小さな庚申搭は、お参りする沖田君の姿を見ていたのでしょうか?



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“とうがらし地蔵”のすぐそばには、新選組六番組隊長の井上源三郎さんの生家があります。
お家の蔵を改造して“井上源三郎資料館”として公開しています。

井上家と沖田家は親戚だったので、みつさんが暮らしていた場所の目と鼻の先に井上家があります。
この日は見学者も多くて、大賑わいでした。



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甲州街道筋に戻って、日野宿本陣へ。
土方さんの従兄弟であり、お姉さんの“のぶ”さんの嫁ぎ先でもある佐藤彦五郎さんの屋敷です。

門の左側に道場を構え、天然理心流の稽古が行なわれていたのですが、火災にあって本陣が再建されたのは文久3年のことだったので、近藤さん達が稽古をつけに来ていたときには道場はまだなく、先ほどの八坂神社の境内などで稽古をしていたそうです。



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いつも時間的に逆光になってしまいますが、本陣の玄関。



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こちらが土間口。
要人が訪れた時には玄関から入りますが、それ以外は土間口を利用します。

本陣は今で言う役場の機能もあったので、土間口から上がった場所が役場でもありました。
畳の並び方を見ると、真ん中の縦のラインを通路にして、横並びになっているところに机が置かれていたらしいです。

本陣も、今日は見学者が沢山で大盛況でした。


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式台を上がった玄関の間。
ここは土方さんがお昼寝をしていたと伝えられている部屋です。
玄関なので、普通は昼寝に使うような部屋ではないんですけどねぇ(笑)

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玄関の間の釘隠しはコウモリであります。
当時の人にとっては「蝙蝠」の漢字が「福」の字に似ていることから「福よ来い」と言う縁起物の一つだったようで、売れっ子の芸者さんもコウモリ柄の帯を締めたり、七代目市川団十郎も好んでコウモリ柄を使い流行をつくったそうですよ。



玄関の間から式台をみると、気になるくぼみがあります。

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こちらはヒョウタンです。

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玄関の間の左側の一番奥に控えの間があります。

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細く削った桐の木を組み合わせた麻模様の欄間も見事ですが、この部屋に函館から土方さんの写真と刀を持ち帰った市村鉄之助がかくまわれていたそうです。


庭に面した廊下にもひょうたん。

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日野本陣には、大工さんたちの粋な細工があちこちにあります。




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日野宿本陣を過ぎて、多摩川に向かう道筋。

     P9230441.jpg

昔はここに西明寺があったそうですが、今はお地蔵さんが残っているばかり。
これを“東の地蔵”といって日野宿の果て。
この先は多摩川で日野の渡船場がありました。



春に日野をお散歩したとき(2010年5月9日の日記⇒ 浅黄色に染まる5月 その1 )に入ったお店でお昼♪

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と、思っていたのにお休みぃぃぃっ( ̄▽ ̄;)!!ガーン 
三連休の中日の、しかも日野のお祭のときなのに、商売っ気なさすぎでは・・・。



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トホホで、自動販売機でお茶を買うの図。
道路の脇にも自動販売機があって、飲み物を買うことができる日本、ばんざい(T▽T)

腰に手をあてて、眩しい空を仰ぎつつお茶を飲み一休み。




またしても長くなっちゃったので、次回に続くっ!
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文京区 浪士隊結成! 試衛館から伝通院へ歩く その2

ども にぽぽ です=*^-^*=




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前回、外堀通りまで歩いたお散歩の続きを歩いていきます。

伝通院
(クリックして別窓で開いた画像を、もう一度クリックすると地図は見やすく拡大すると思います。)


外堀通りを渡り、以前は堀であった場所にはJR中央・総武線が走っております。

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この線路の上に架かっているのは“牛込橋”です。

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橋の親柱にかわいらしくお城のフィギュアがついておりますが、江戸城外郭門の1つ、牛込門があったところです。


牛込橋を渡り、千代田区側に入ると、枡形の石垣の一部が残っております。

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この辺りはJR飯田橋駅があり、現在の住所は“千代田区飯田橋”ですが、江戸時代には江戸城を守る武家地でありました。
「牛」が「込」(多く集まる)という事を意味している事から、もっと古い時代には牛の牧場があったのではないかと思われます。
同じように、東京都大田区には“馬込”という地名も残っています。
昔の地名も面白いですね。



橋を渡って真っ直ぐ歩いていくと、江戸城に行ってしまうので、外堀通りに引き返し、水道橋方面に進みます。

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鬱蒼と木々が生い茂っているここは、徳川御三家の水戸殿の上屋敷です。

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寛永6(1629)年、水戸藩初代藩主・徳川頼房が築いた庭園を嫡子の徳川光圀が改修し、「天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみに遅れて楽しむ」という『兵陽楼記』からとって“後楽園”と名づけられました。
徳川光圀、言わずと知れた、水戸黄門ですね~。

現在は都立公園“小石川後楽園”として開放されています。



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塀から覗いたら、向こうが江戸時代で、黄門様と助さん、格さんがいたとしても、あまり驚かないかも。



地図を眺めていたときに、気になった“牛神社”の文字。
牛といえば菅原道真だけど、あえて牛神社とは?と来てみたら、現地ではやっぱり“北野神社”となっており、菅原道真を祀ってある神社でした。

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縁起を見てみると、なんと源頼朝が創立した神社だそうです。
鎌倉時代に、この地にあった岩に腰掛けて休息したとき、夢に牛に乗った菅原道真が現れ「二つの喜びがある」と告げられたと。
お告げの通り嬉しい事が起こったので、頼朝は腰掛けた岩を祀り、“牛天神”を創立したという。

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ここは、狛牛だわ(笑)


北野天満宮といえば、撫でると願いがかなう“撫で牛”がありますが、その撫で牛の発祥がここなのだそうです。
これがいわれの岩です。

DSCN8859.jpg

なんとなく牛よね(^^;


樹齢100年の木槲(もっこく)、ご神木です。

DSCN8862.jpg

ちなみに、中世はこの神社のあたりまで入江だったそうで、頼朝はここまで舟で入ってきたらしいですよ!
とても小さい神社ですが、すごいパワースポットらしいです。
最近パワースポット流行で、TVでもいろいろなパワースポットが取り上げられていますが、図らずしも、TVで紹介されるほとんどのパワースポットに、にぽぽは行ったことがあります。
歴史オタク散歩をしていると、パワースポット巡りにもなるんだね(笑)


そろそろお茶でもしたいところだけれど、喫茶店一軒、コンビニ一軒見つからず・・・。
あたまのお皿も渇き気味の、久しぶりの河童にぽぽ。
仕方ないので、自動販売機でお茶を買って歩き飲み。



安藤坂を登ります。

DSCN8864.jpg

この坂は、江戸時代から幅の広い坂道で、坂の西側に安藤飛騨守の上屋敷があったことに因んで名がつけられたそうです。
安藤家は紀州藩の筆頭家老なのです!
伊勢の松阪を旅したときに出てきた、御城番屋敷(2010年3月23日の日記⇒松阪 城下町の松坂 )の藩士達が安藤家家臣にされそうになり労働闘争を起こしたと書きましたが、その時に出てきた安藤家の江戸上屋敷がここにあったわけなのねぇ。
伊勢の旅と、お江戸散歩がつながったなぁ♪

明治42(1909)年にはここを市電が通っていたそうです。


DSCN8866.jpg

DSCN8867.jpg

坂の両側には、古そうな石垣も残っており、風情を楽しめる坂道です。



DSCN8870.jpg

安藤坂を登りきれば、真っ直ぐ正面に伝通院が見えてきます。
徳川将軍家の菩提寺で、徳川家康の生母於大の方の法名“伝通院殿”に因んで“無量山伝通院寿経寺”と呼ばれるようになりました。

浪士隊が集められたのは伝通院の塔頭の“処静院”でありますが、燃失してしまい、今はありません。
伝通院の門前に、“処静院”の石柱が残されていると聞いていたのですが、伝通院の門が工事中で見つからず(涙)



DSCN8780.jpg

古地図であたりをつけた“処静院”の場所はふつーに家が建ち並んでおりました・・・。
面影も無く・・・(再涙)。

唯一、浪士隊が集合したと説明されている、ちょっとボロッとなった看板があるのみ、嗚呼。

DSCN8781.jpg

ここは、にぽぽのひーおじーちゃんと、土方さんが同じ時、同じ場所で同じ出来事を共有したということで、にぽぽにとっては感無量の場所なのですが、あまりにも、当時を偲ぶものが無さ過ぎて、しばし放心でした(笑)
(?の方へ補足:にぽぽのひーおじいちゃんは、京まで行った浪士隊250人のうちの一人だったのです。)


伝通院を後に、春日通りの向こうにジェットコースターが見える。
キャー!という楽しげな声。

     DSCN8884.jpg


最寄り駅の“後楽園”に到着。

DSCN8885.jpg

本日のお散歩終了です。
土方さんの強化月間、これにて完!




今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)
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2010年 江戸文化歴史検定3級・2級合格。
2014年 新選組検定3級・2級合格。
たまに歴史と新選組のオタク日記になります。

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