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松江 松江城に登城!

ども にぽぽです=*^-^*=



昨日、チラ見しただけで鼻息が荒くなった松江城にいよいよ登城の日でございます!!


朝食もそこそこに、ホテルを出て、松江駅のすぐ近く。

20141011松江1

あれ?
はじめ人間 ゴゴンゴーーーーンッ♪ ではないですか。

『はじめ人間ギャートルズ』の作者、園山俊二さんは松江の出身だそうです。
それでここにブロンズ像があるんですね~。

ギャートルズで出てきた、骨付きのマンモスの肉。
ものっすごく美味しそうだったなぁ~・・・・


なんてことを思い出しながらタクシーに乗り込み、
「松江城へお願いしま~す。」
と、言ったくせに、松江城のちょっと手前の島根県庁前で
「あーっ!ここで止めてください!!」
と、タクシーの運転手さんを驚かせて下車。

20141011松江2

県庁の前の銅像は、松平直政です。
堀尾氏3代、京極氏1代の後、寛永15(1638)年に信州松本から出雲国松江藩主として入国。
松江松平家初代藩主で、家康の孫にあたります。

島根といえば出雲そばが有名ですが、そもそもはこの直政公が松江藩主となったときに、松本からそば職人を連れてきたのが所以と伝えられています。

ちょっと話は違いますが、会津も、会津松平家初代藩主となる保科正之が信州の高遠藩から会津に入った時に高遠のそば職人を連れて行ったことで、高遠そばが会津に伝わり名物となったそうです。

お殿様の転封に食文化のルーツがあるっていうのも、面白いですね。


さて、話を戻して江戸時代の松江の街並み。

20141011松江60

現在の県庁は、松江城三の丸だった場所に建っています。
三の丸は、京極氏が造営したもので、戦の心配がなくなった江戸時代には藩主も山を下りて、平地である三の丸に館を構え、ここで藩政を行っていたそうです。


いよいよ登城開始!

20141011松江3

大手前口から一歩入ると、広~い馬溜り。

20141011松江4

一辺は46m。
高石垣の角に太鼓櫓が置かれています。
太鼓櫓の下側90度には大手門が構えられていたので、今のような風通しのよい広場ではなくて、圧迫感のある堅牢な構えだったと思われます。

位置関係はこんな。

20141011松江4-1


馬溜井戸

20141011松江5

発掘調査により発見されました。



20141011松江7

木に隠れて天守がチラっと見えただけで、おおおお~っ!とテンションが上がるにぽぽ。


馬溜跡から大手門跡を抜け太鼓櫓を見ながら石段を登ります。

20141011松江6

太鼓櫓と塀の一部は平成13(2001)年に復元されました。
松江城の石垣は、打ち込みはぎといって、石切場で切り出した石の平坦な面の角をたたきつき合わせやすくした積み方がほとんどで、慶長年間(1596~1615年頃)に築かれた城によく見られます。


石段を登る途中の石垣。

20141011松江8

近づいてよく見てみると、ノミで形が刻まれている石があるのがわかります。

20141011松江9

分銅の形は松江城を築いた堀尾家の紋です。
刻印は、工事の分担や石切り場の区別、合わせ印など土木工事を円滑かつ組織的に行うために付けられた記号と考えられています。



20141011松江11

石段の右手下側は二ノ丸下段。

20141011松江11-1

今は広場になっていて、小さな松が植えられていますが、かつては米蔵などが置かれていました。


三の門跡。

20141011松江13

三の門を入ると番所があり、その奥に御殿がありました。

20141011松江14-1


二の門跡の辺り。

20141011松江14

二の門を入ったところには、中央に御書院があり、松平家2代藩・綱主隆の時はでは、藩主の居宅になっていました。
そのほか、局の長屋敷、広間、風呂場などの建物が並んでいました。

これらはいずれも松平氏の時代に築かれたものです。
堀尾氏が築城した当初は櫓と門しかなかったようで、本丸に大広間や奥御殿があったと想像されていますが、建物の大半は松平氏が入った時に壊されてしまったようで、一ノ門を入ったところにあった台所などが確認されているのみ、詳しいことはわかっていません。


二の門を入って直角に曲がり、一の門へ登っていく正面。

20141011松江15

他の石垣と違い、大きな石がはめ込まれているのは城の見栄。
いよいよ本丸が近いという期待感が高まります♪


一ノ門

20141011松江16

昭和35(1960)年に復元されました。


いよいよ、いよいよ!

20141011松江17

登城ーーーーーーーーーーっ!

松江城の現存建物は、この天守だけですが、これだけで見ごたえ十分!
日本の12現存天守のひとつで山陰で唯一の天守なのです。

慶長16(1611)年、出雲の領主・堀尾吉晴が5年の歳月をかけて築城したものです。
堀尾氏は吉晴の子、忠氏が若くして急死、その孫の忠晴に世継ぎがなく跡絶え、続く京極死も断絶して、徳川家康の孫にあたる松平直政が信州松本から移封されて以来、松平氏10代で234年間、出雲18万6千石を領して明治維新を迎えました。

明治4(1871)年、廃藩置県により、廃城となり、明治6(1873)年 廃城令が公布され、天守を除く建造物は4円から5円で払い下げられすべて撤去されてしまいました。
天守も当時の価格180円で売却されるところでしたが、、出雲郡の豪農の勝部本右衛門や元藩士の高木権八が同額の金を国に納めるかたちで買い戻され、保存されました。

日本のお城は、この廃棄令によってほとんどが壊された訳ですが、現存しているお城は今や国宝です。
国の価値観の変遷を思うと、なんだかなーと憤る気持ちも起こりますが、国の施策に反するという並大抵ではない行動をした有志の方たちとわが身を比べて、今何を、どう行動すべきなんだろうなーとか考えちゃう訳です。
沖縄の辺野古のサンゴ礁のこととか、原発再稼働のこととかさ・・・。


にぽぽが松江城を訪れた10月の松江城登閣時間は8:30amから。
このお城を撮影している時間はというと、7:00am(笑)!

もの好きはにぽぽだけ、では無いのですよ。

     20141011松江18

観光客にじゃまされない早朝に、さまざまな角度を試して、自己満足に浸る御同輩。
にぽぽはわかるぞ、その気持ちが!

20141011松江20

横から眺めれば、大入母屋根の飾りの三ツ花懸魚越しに木製に銅板張りで高さは2m25mもあるという鯱が見える。
黒塗りの下見板張りが男前であります。

20141011松江19

斜め遠目で見れば、天守正面の千鳥が羽を広げたような入母屋破風は、桃山初期の華やかな造りを継承し、「千鳥城」という名にふさわしい美しさなのであります。


まだ登閣できないので、天守の後ろ側、北西の位置にあった乾櫓跡。

20141011松江21


北の門

20141011松江22

20141011松江22-1



北の門を出たところに、奥去口の門跡。

20141011松江23

奥去口の門の先は、道が失われてしまっており、行き止まり。
残念だー。

まだ時間もあるし、大手門からではなく、北側から登城しなおしてみることを決意。


北惣門橋

20141011松江24

20141011松江25

わぁっ!く、車が通ってる!
と、驚くなかれ、この橋は平成6(1994)年に復元されたものです。
松江城のお仕事関係の方の車かと推測(これが本当の登城?!)。


にぽぽは徒歩で橋を渡ります。
橋を渡った先には脇虎口の門があったようです。

20141011松江26


やがて右手に見えてくる池は馬洗池。

20141011松江28

その名のまま、この池で馬を洗ったのでしょうね。

20141011松江28-1


馬洗池の南側に“ぎりぎり井戸”というものがあったそうです。

20141011松江29

築城工事の際、井戸の南側に築いた大きな石垣が突然崩れたので、掘って調べたところ、槍のささった頭蓋骨が出てきたとか。そこで祈祷して例を鎮め、工事を再開して石垣は完成したのですが、深く掘ったところが頭の頂部(つむじ、ぎりぎり)に似たていたということで、この付近にあった井戸や門にこの名が付いたといわれます。


水の手門

20141011松江30

20141011松江31-1

攻め手のつもりになって、駆け上ったら転んで頭がパッカーンとなること間違いなし!
ここは慎重に一段一段、踏みしめていくべし。


一定のリズムにならない、不揃いな段。

20141011松江31

そして、当然、真っ直ぐに進むことはできない虎口構造。


振り返ってみると、こんな感じ。

20141011松江32

攻めてきた敵が、直角の曲りでアタアタしてるところを、横から矢を掛けるって感じですね。
う~ん、戦う城って感じです。


北の門に到着。

20141011松江33


ちょうど、天守に登れる時間。

20141011松江34

複合式望楼型 4重5階地下1階の天守。
附櫓入り口からから入ります!


おおっ!

20141011松江35

ここにきてまでも戦う城!
天守にまっすぐ登れず、階段は入り口を直角に曲がってつけられておりました。

そして、

20141011松江36

附櫓一階から天守地階への入り口部分に狭間(ざま)が開いています。

20141011松江37

こんな風に、附櫓の中に侵入してきた敵を狙うことができる訳です。


20141011松江38

天守地階は生活物資の貯蔵庫であり、“穴蔵の間”と呼ばれ、塩などが備蓄されていました。
井戸も掘られていて、天守だけになっても籠城できるという、どこまでも戦う構えを見せる松江城。
井戸の深さは24m。
覗き込むと、ひゅ~っと空気の流れを感じて、転落防止対策がされていてもお尻の穴がきゅぅっとなるような怖さ。

20141011松江39

お金が投げ込まれておりますな・・・水、穴、と揃うとお金を投げちゃうんですかね・・・。


天守一階。

20141011松江41

鎧やら、松平家の漆器類やら、貴重な展示物がいっぱい!


天守二階への階段。

     20141011松江40

階段の幅1.6メートルで1階から4階の各階の間に設けてあります。
階段を引き上げたり、防火防腐のために桐を使ったもので他の城では見られない特殊なものだそうです。

     20141011松江42

踏面が狭くて、ほとんど梯子のような急斜面です。
登りはいいけど帰りに降りてくるのが怖いだろうな。


天守三階。

20141011松江44


この階には、階段付きの窓があります。

     20141011松江45

ここから大入母屋の屋根上に出られるそうです。
屋根の上に出るって、何を想定して出られるようにしていたんでしょう・・・屋根の補修とか??


天守四階。

20141011松江46

天守を支える柱には、一面、あるいは二面、三面、四面に板を張って、鎹や金輪で止められているものがあります。
「包板(つつみいた)」と呼ばれ、天守にある総数308本の柱のうち130本に施してあり、割れ隠しなど不良材の体裁を整えるためのものと考えられているそうです。


天守五階。

20141011松江47

一番乗り!!
窓が開いていて、パンフレットが散らかるほど風がびゅーびゅー。
当時は二部屋に別れ、書院造りの建具である舞良戸(まいらど)などで仕切られていたようです。

 
南方向には宍道湖が眺める、高所恐怖症であることも一瞬忘れるすばらしい風景!

20141011松江48

天下取ったどーーーーっ!!

20141011松江49

という瞬間、お掃除の方々が登ってきました。
お掃除の方々より早い登城ってどうなの・・・って感じですが、当然電源なんてない昔の建物ですから、こんな風に毎日手作業で管理されてるんだなー、ということも分かったのでした。



ひぃぃ、またしてもものすごい文字数になってしまった。
今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)
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2010年 江戸文化歴史検定3級・2級合格。
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