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神話の里出雲 王家の谷?!西谷墳墓群

ども にぽぽです=*^-^*=



出雲を後にして松江に向かうこの日のテーマは、考古学的出雲!
神話の出雲ではなくて、現実の出雲を見に行こうという訳です。

20141009出雲1

お天気はピーカン (ピーカンって言い方、昭和~っ)
朝一番でやってきたのは、“出雲弥生の森”です。

20141009出雲2



20141009出雲3

駐車場からの眺めは、だたの公園。
ここは、弥生時代の終わり頃(約1800年前)から約500年もの間、墓地だった場所。
その墳墓群を史跡として保存している“西谷墳墓群史跡公園”です。

20141009出雲4


早速、散策開始。

20141009出雲5

唐突なポストの中にパンフレットが!

20141009出雲6

朝露でな~んとなく湿っている(笑)けど。


歩き出して3分ぐらい。

20141009出雲7


草ぼーぼーのこんもりした盛り上がり。

20141009出雲8

これが弥生時代のお墓?!


しかも、簡単に登れちゃう。

20141009出雲9

宮内庁に管理されている古墳と違って、おおらかだなぁ。

登ってみて、隣のお墓を見ると、小山は四角形なのが分かる。


20141009出雲10

しかも、ただの四角形ではなくて、布団をかけた炬燵のように角のとこが伸びているような。


お墓の形を復元しているものがあるということなので、先に進んでみます。

20141009出雲11


墳裾の石列が復元されている3号墓。

20141009出雲12

四角の四隅が突き出した独特の形は、弥生時代に山陰地方を中心して流行したお墓だそうです。
「よすみ」は、全国で約100基発見されているのですが、その中で大きさトップ5が、この西谷にあるとのこと。
弥生時代に出雲を支配した王たちの墓と考えられています。
3号墓は、西谷で一番最初に作られた王墓です。

20141009出雲13

「よすみ」は、墓上に上るための道として発達したものと考えられています。
そして、その斜面とすそまわりは大量の石で飾られていたようです。

墳裾は2列の石で囲われていましたが2列以上の石列をもつ「よすみ」は少なく、このお墓の被葬者の地位の高さを表しています。



墳頂部からは8つの墓穴が発見されました。

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中でも、墳丘のほぼ中央にある第四埋葬と第一埋葬の墓穴は大きく、埋められた棺は二重構造の木棺でした。

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第一埋葬からは、ガラスのアクセサリーや耳飾りが発見され、

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第四埋葬からは鉄剣が発見されました。

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どちらとも、大量の真っ赤な水銀朱が敷き詰められていたとのこと。
発見されたアクセサリーを復元すると、こんな感じ。

20141009出雲19


第四埋葬では、棺を埋めた後に墓穴を取り囲むように巨大な4本の柱が建てられました。

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ここを中心に、亡き王の葬送儀礼がおこなわれたと考えられています。

20141009出雲21

儀礼に使用された土器は、第一埋葬と合わせると300個以上で、その中には吉備の土器や北陸系の土器も確認されているとのこと。
このことによって、ここに埋葬された王の交流は、岡山県から新潟、石川県までの広い範囲に及んでいたことがわかります。



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出雲王の時代と空の青さは変わらないけど、
今、出雲王のお墓の隣には高校があって、野球ボールが飛び込んだり、チャイムがなったり。

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3号墓のとなりの2号墓は、完全に復元された「よすみ」を見ることができます。

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3号墓の次の代の王墓です。

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2号墓の大きさは、約46m×約29m×約3.5m。
ちなみに3号墓は、約52m×約45m×約4.5m。


20141009出雲26

何気なく歩いている園路ですが、

20141009出雲27

大津と塩冶を結ぶ生活道として使われていた道だったのだそうです。
江戸時代に、このあたりには仏教施設が作られていたそうなので、その時に観音坂と名付けられたのかな。

時の流れに忘れ去られた出雲王が発見されたのは、昭和28(1953)年。
西谷丘陵の開発中に、現在の4号墓の墳丘付近で大量の土器が発見され、この一帯が遺跡であることが初めて確認されたのだそうです。

墳墓群の中の3号墓を島根大学が調査し始めたのが昭和58(1983)年。
国の史跡に指定されたのは平成12(2000)年のことでした。


常にシャベルを持ち、家の近所をやたらと掘りまくって遺跡を掘り当てる気満々の小学生だった(2010年12月6日の日記⇒大森 ここが始まり、大森貝塚)にぽぽですが、弥生時代に出雲に王がいたことも、「よすみ」なる不思議な形の王墓のことも、日本版“王家の谷”と言うべき“西谷墳墓群”のことも、ぜーーんぜん知らなかったよ!!

歴史の授業では弥生時代は、「稲作が伝わりました」、「小さな国が一つの国にまとまって、やがて大和朝廷ができていきました」、というようなことしか習わなかったし。
どういういきさつで出雲が消えていったのかはわからないけど、勝者は大和朝廷につながる人々。
歴史は勝者によって作られるものっていうのを、改めて感じたりして。



そろそろ次の目的地に移動しようと思って、駐車場に向かって歩いて目に入った駐車場上部の山肌。

20141009出雲28

あーーーそうかっ!
このコンクリートで保護されている楕円もお墓なんだねっ!

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入ってきたときには、斜面の土が崩れないように固めてあるんだなーと思っていたのです。
見ているのに見えていないことってありますねー。

「よすみ」は、山陰地方独特のお墓だけど、横穴墓は、にぽぽの住む東京は多摩地区でも見たことがあります(2009年8月3日の日記⇒野川 身近な川にも悠久の歴史あり)。

横穴墓が造られたのは5世紀半ばの古墳時代の終わり頃。
この頃には、一つの勢力を中心にまとまってきていて、山陰地方でも東京の多摩地区でも同じようなお墓が造られていたということがなのでしょうね。


それにしても、初めて見る「よすみ」に、にぽぽはすっかり魅了されてしまいました。

20141009出雲87

出雲弥生の森博物館のマスコットキャラクターの「よすみちゃん」まで気に入ってしまい、購入してきた根付は、にぽぽのスマホにぶら下がっているのでありました。



今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)
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2010年 江戸文化歴史検定3級・2級合格。
2014年 新選組検定3級・2級合格。
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