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八王子城 悲劇の落城

2008年8月19日(火) 東京/


ども にぽぽ です=*^-^*=


懲りずに、八王子城日記に、ようこそお越しくださいました!
今回も字が多いですゾ~!



天正10(1582)年、天下統一を目前にした織田信長が本能寺に倒れます。
その後、全国制覇を狙う豊臣秀吉と北条氏が天正16(1588)年頃から対立し、北条氏は領内で戦闘準備を始めます。

天正18(1590)年4月、いよいよ豊臣秀吉は箱根湯本に本陣を据えて、小田原攻めを行いました。


豊臣軍は前田利家を総大将に、上杉景勝を加え上州方面から、北条氏の各出城を攻めつつ進行していきます。


一方、北条軍の司令塔であった北条氏照は精鋭部隊と共に小田原城に籠城し、八王子城は重臣を中心とした守備隊に任せていました。


天正18(1590)年6月23日未明
八王子城は豊臣秀吉の軍勢、上杉景勝・前田利家・真田昌幸らの一万五千の軍に攻められました。
八王子城を守っていたのは、老武将に率いられた農民、職人、山伏、僧侶や他、その家族の女達、千人ほどに過ぎませんでした。


籠城戦は、籠城側を降伏させて開城させるといった、人命を優先する戦法が主流でしたが、「降伏を許すと共に、時には城兵はことごとく殺戮することも必要だ」と秀吉が言い、八王子城での戦は見せしめの為、降伏する事も許さず徹底的に叩かれました。
八王子城が悲劇の城と語られるのは、豊臣秀吉の小田原攻めで唯一、地獄攻めというに等しい、殺戮戦だったからなのでしょう。


14御主殿から坂道

築城当時からあった道かどうか解りませんが、御主殿の脇の坂道があります。
坂道を下る途中、にぽぽの足元から、大きなバッタが跳ね上がってきました。

15殿様バッタに遭遇

殿様バッタ?
北条家の家臣の生まれ変わり?
なんて、しみじみバッタを見つめちゃったりして・・・・。



坂道を下りきると、そこに小さな滝があります。

御主殿の滝
17御主殿の滝

北条氏照の正室、比佐は城内で自害、側室のお豊の方は幼い若君を抱いて落ち延びようとしましたが、敵兵の前になすすべもなく、御主殿の滝に身を投げたと言われています。


18滝壷


滝つぼの底までもよく見える程、川の水は澄んでいますが、城で討ち死にした屍から流れ出す血で城山川は3日3晩、真っ赤に染まったと言われています。


御主殿の滝を見下ろす崖には、きれいに整備された八王子城跡の中で、唯一古めかしい供養等が建ち、明らかに他の場所と違う湿った空気に支配されています。

16御主殿の滝


八王子城は、心霊スポットとして有名ですが、特にこの御主殿の滝あたりが波動の強いスポットの一つらしいです。
御主殿跡や古道のあたりには散策する親子づれや登山の足慣らしに歩いているご夫婦がみえましたが、この滝のあたりに立ち止まる人はありません。

今でも地元の方々の間では6月23日には城に入ってはいけないと伝えられています。
悲しい魂が今でも、この場所にとどまっているのかもしれません。



小田原城で八王子城の悲報を聞いた北条氏照は床を叩いて号泣したといいます。
翌日には、八王子で討ち死にした武将の首も小田原城に届けられ、北条方武将の妻子と思われる、ボロボロになった着物を着た女・子供が小田原城前にさらされました。

八王子城の陥落は小田原城に籠城していた北条軍の志気を失わせ、7月に開城、北条氏照は兄・氏政ともに切腹して果てました。


切腹の数十日後に徳川家康が江戸入りします。
豊臣の時代が終わり、江戸時代になると八王子は幕府の直轄地となり、八王子の中心は甲州街道沿いの宿場町へと移ります。
八王子城は廃城のまま捨て置かれ土に埋もれていったのです。



19曳橋下から


御主殿の滝から曳橋の下側を通る入口へ戻る道は、江戸時代に整備された林道です。
八王子城の悲劇を慰めるがごとく、ひっそりと弥勒菩薩様が置かれていました。

20菩薩様





今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)
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八王子城の入口から右手に進んでいきますと、八王子神社が置かれている本丸方面への登山口になります。


にぽぽがお散歩にいった日、その登山道で撮影が行われていました。
なんの撮影だったのかな~?

21撮影中
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有名な武将が名を連ねるほどの歴史のあるお城だったんですね。

やはり心霊スポットになっているのですか∂

私はとある人に、会うたびに違う背後霊がついてる…といわれたことがあるのですが、各地を行ったときに、知らず知らずの間にお友達にしている可能性あり?

私はそんなに気にしてないですけど(^_^;)

ぽちっ☆

マイナスイオンたっぷりなブログですね^^
応援ぽちーーーーーー♪

なんとも悲しい歴史の残るところなんですね。
いかにも心霊スポット的な風景でちょっとだけ涼しくなりました(笑)

にぽぽちゃんこんちは~♪
八王子城、そういう歴史があったんだ。
なんか切ない。。。
関係ないけどわたし好きなタイプが織田信長(あくまで国盗り物語の 笑)で最初の文に反応しちゃった(爆)ワハハ。
それにしても撮影、何の撮影だろう~?!
P☆

ここ八王子城も、兵共の夢の跡……か。
今はとても静かで美しいたたずまいで
気持ちのいいお散歩コースになっているんですね。
全員殺戮っていうのは
秀吉の戦略としてはめずらしいみたい。
何か特別な理由があったのかなぁ。

私、歴史って苦手だったんですよ。なので、にぽぽさんのブログで改めて勉強させてもらってる次第です(^_-)-☆
ポチっ!

驚きです

そういう歴史があったのですね……。
三日三晩赤く染まった川とは、よほど
激しい白兵戦だったのでしょう。
いろいろなパワーというか、念の
こもった土地柄なのですね。

勉強になりました! ぽち!!

こんばんは!
歴史的背景を勉強しながら、当時を偲びつつ、お写真をみると印象がとても強く残りますね。とてもお勉強になりました。

滝でマイナスイオ吸収と書こつとしましたが反対に霊を呼び寄せしまいますね(汗)

Re:てんゆうさん

稲川淳二さんもいらっしゃったことがありましたよ。以前は心霊特番にはかなり頻繁に登場してました。それにしても、いつも違う霊をつれてきてしまうとは(笑)

Re:カフェオレさん

初めまして!コメントありがとうございます♪
なにしろ八王子は木がいっぱいですから、空気はいいですよ!後ほどこちらからもお邪魔させていただきますね!!

Re:あんちゃんさん

にぽぽも、滝のところに立った時には、かーなーりー涼しかったです(ブルブル)

Re:うーらちゃま

うーらちゃまは信長さんが好きなんですね♪国盗り物語は司馬さん好きの菜っ葉ちゃんの影響ですか(笑)
なんの撮影だか、気になるんですよ。聞きたかったんだけど、聞けなかった、残念。

Re:comichikoさん

北条氏は結構外交上手で、信長にも接近していたし、伊達家などとも繋がっていたので秀吉はかなり危険視していたといわれています。そういう意味でも見せしめだったんでしょうね(涙)

Re:もかさん

あちゃー、歴史苦手でしたかぁ・・・それは、めんぼくありません!!でも読んでくれてありがとう、にぽぽ感激!

Re:小むらさきさん

城山川の水で、米を炊いたら赤飯になったとか、川底には真っ赤なヒルが無数にいて、敵方の土地の人が近寄るといっせいに吸い付くとか、いろんな伝説が残っているんですよ。

Re:サユサユさん

確かに・・・ここの滝はマイナスイオン吸収する雰囲気ではなかったです(ブルブル)

こんにちは、コメントありがとうございます!

八王子城の悲劇、しっかりとした読み物みたいで、あっというまに読みきってしまいました。

こういう話は全然知りませんでした、だから八王子城跡あたりは心霊スポットになっているんですね。

とっても勉強になりました。
凸っとしておきます!

Re:ちびたさん

はい、八王子城に行くなら絶対に昼間がいいですよ。昼間ならハイキングもよいと思います。
家のパソからためしにコメント入れたら入りました。なんでにぽぽの個人パソだとダメなのか?また次回、直コメント入力にトライしてみますね!
やっぱりコメントいれたいですもん♪

No title

信じて下さる方だけ信じて下さればよいのですが・・・
先日退行催眠をして、私の過去生が正室・比佐であった事を知りました。

あの日の事をとても正確に描写して下さってありがとうございます。

合戦に備えて私たちが握って戸板に乗せて運んだお握りと味噌玉が頂上付近の曲輪で炭化して発掘されたそうですね。

私は奥の間で一人、大振りな殿のヴェネツィアグラスでお酒を飲み干し、自刃いたしました。
まだ発掘していない御主殿の奥の部分を探せば、そのグラスは恐らく出土すると思います。

先日400年ぶりに八王子城を訪れました。
後ろからぞろぞろと誰かが着いて来るのを感じましたが、それは決して怨霊ではなく、確かに私の再訪を喜んでくれていたように思いました。

政略結婚であったものの、私は心から氏照殿を尊敬し愛しておりました。
殿が小田原城へ行ってしまった後の山の城は、とても淋しく心細かったのを覚えています。

あのような時代はもう二度と繰り返したくないものです。

比佐

秀吉公は、小田原城攻めまでは、まだ、戦国武将の中では、穏やかな、やり方を、好んだが、天下統一確定時代で、豹変している。それが、大陸出兵まで、勢いで、進んで、しまった。本来は、地盤固めが、鉄則だが▪▪▪ドーパミン過剰の他のホルモンが、不足した状態に、なったのかな?今の日本社会も、同じ状態で、一刻も早く、状態を、取り戻したい。
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東京の西のはじっこに住んでいます。
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2010年 江戸文化歴史検定3級・2級合格。
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