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23年目 日本航空123便墜落事故を想う

空港コード HND/RJTT

東京国際空港(通称 羽田空港)の第一ターミナル、北ウィングの出発ロビーはお盆のこの時期、19時近くなってもまだまだ人で溢れている。
空を飛ぶ、という行為が気持ちを高揚させるのであろう、出発ロビーの人々のざわめきは、他のどの交通機関のものよりも高らかに楽しげに響く気がする。


出発便の案内板には、満席のお知らせと乗り遅れ注意のアナウンスが繰り返し掲示されている。


北ウィング Departure
出発ロビー

案内板



6F展望ロビーに立つ。
建設中のD滑走路をバックに、日本航空の飛行機が整然と並ぶ。
新たな出発のために給油を受けている便があるのだろう。ジェット燃料の匂いが、時たま風に運ばれてくる。

第一ターミナル滑走路
第一ターミナル滑走路1




1985年8月12日 月曜日 最高気温31.5℃ 湿度72% 


18時。
離陸を待つ日本航空123便(機体番号JA8119)もいつもと変わらぬ、夏の空港の景色の中にあった。

第一ターミナル滑走路2



毎週月曜日19時から見ていた日本TVのアニメ放送中に入ったニュース速報。
日本航空大阪行きジャンボ、レーダーアウトの第一報。

情報は混乱していた。


NHKにチャンネルを変えてみたが、まだ通常番組だった。
不時着の続報があるかとチャンネルをあちこち変えていくうちに、乗員乗客の生存は絶望視され、次々と通常番組がニュース特番に切り替わっていった。
緊張感がTVから伝わる、大変な事が起こったと感じ、夜通しニュースを見続けた。
繰り返される搭乗者名簿の画面が、最初はカタカナで、刻々と漢字に変わっていった。


にぽぽの頭の中に忘れられずに張り付いている記憶だ。



大人になってから、とり憑かれたように関連書籍を読み漁った。
現場に身を置いていた報道関係者が、群馬県警の元警察官が、書く。
日本航空の元機長が、書く。
航空評論家が、航空学の教授が、法医学者が、書く。
それぞれの視点で書かれたそれぞれの記事の中にある、『事実』に涙は溢れて止まらない。



映画、『クライマーズ・ハイ』を観た。
『クライマーズ・ハイ』は未曾有の事故に直面した地元紙記者たちの置かれた状況や葛藤を描いた小説だ。

原作のテーマが映画には集約しきれないように感じたが、地元消防団の男性が、
「俺たちは墜落地点がすげの沢だって、最初からわかっていたんだ。夜中だって、行く事はできたのに」と、独り言のように語るシーンがある。


日本の空は、くまなくレーダーで監視されている。
日本航空123便も、管制塔、横田基地のアメリカ軍、、もちろん日本の自衛隊にも墜落までの32分間、レーダーで捕らえられていた。


朝日新聞社の取材ヘリ“ちよどり”は墜落情報があった後、すぐに現場上空に飛んだ。
日没時間ぎりぎりだった。
現場上空にはジェット燃料の匂いが充満していたそうだ。


夕暮れ

朝日新聞社のポイント測定では墜落地点は群馬県を指していた。
目撃情報の中にも群馬県山中を示すものが多くあったにも拘らず、墜落地点は翌朝まで長野県とされ続けた。


生存者は4名だった。奇跡と言われたが、墜落時には多くの生存者がいた。
もっと早く救出活動に入っていたら、救われる命があったはずと言われている。


事故原因は、「同機がしりもち着陸事故を起こした後のボーイング社の修理が不適切だったことによる圧力隔壁の破損が原因」とされた。
だが、なんらかの原因で尾翼倒壊がはじめにあったのではないかという説も消えない。

相模湾に沈んだ多くの尾翼を徹底的に回収すれば、事故原因を明確にできたはずと言われている。



この事故に、親戚や知り合いが乗っていなかった第三者だから言えることかもしれないが、
機械が機械であるかぎり故障は起こる。
人間が操作をする限り、ミスは起こり得る。

しかしながら、事故が起こったその原因究明に不明瞭な部分を残すのは許される事ではないと思う。


事故の犠牲になった方は520名、母親のお腹の中にいた胎児は人数に含まれていない。

誘導灯が点灯


事故から23年が過ぎた。
憶測が飛び交う隙のない、本当の事故原因の特定がなされる事を、にぽぽは今でも願っている。

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この事故が起こった時、丁度夏休みで青森の母の実家にいたのですが、子ども心にニュース特番の尋常ではない空気を感じていました。

フランスに来てからもこの事故のことを思ってYouTubeで坂本九さんの映像や昔の特集のニュースを見ました。本当にたくさんの方々が亡くなりましたね。坂本九さんの歌をきくたびに胸が痛んでたまりません。

クライマーズハイ。わたしも見ました。この最悪な事故は私の記憶からも忘れることができません。こういう事故が二度と起こらないためにも、徹底的に事故原因を調べてもらいたいです。
にぽぽさんのまとめ方がとても分かりやすく、感心しました。。。

この事件は、本当に痛ましい。こうして、ブログでも語り継ぐことって、重要ですね。
大変、勉強になりましたし、再度、犠牲者の方にご冥福を。

こんにちは。
この飛行機に中学の先輩が乗っていました。
とても綺麗な人でみんなの憧れでした。
あの時の信じられない気持ちのまま今もまだ過ごしてる気がします。
遺体も見つからず持ち物も見つからず、御遺族の悲しみは想像することすらできません。

原因の究明を。

改めてどういう事故だったのかが整理されて分かりました。
風化されていってはならない、教訓というにはあまりにも大きな代償でしたが、二度と起こってはいけない事故ですね。
ご冥福をお祈りします。

当時父が新聞社に勤めており、何日も家に帰ってこなかったことを思い出します。大変な事故でしたね。

まだ、小学生だった私でも・・
ものすごい衝撃的な事故だったので・・
記憶にしっかり残ってます・・
これからも、みなさん・・忘れずに・・
そして、このような悲しい事故が二度と起こらないように・・
したいものですね?

にぽぽさんが飛行機の写真を撮っておられたであろう同じ時間に私も、西のほうの違う場所で飛行機の写真を撮っていました。

犠牲者のかたがたのご冥福をお祈りするとともに、けして、風化させてはいけない、忘れてはいけない。。。って坂本九さんの歌を聞くと哀しい気持ちなります。

コメントありがとうございます。
私も、日航機事故の本を読んだことがあります。
生存者がいたことが本当に奇跡だと思います。
2度とこの様な事故が起こらないように本当の原因が分かる事を願っております。

私も子供の頃の記憶に微かに・・・。
夢を乗せて飛び立つ飛行機が
いろんな空の夢を一瞬で奪ってしまった悲しさ。
遺族の方々のお気持ちを察し
犠牲者の方々のご冥福をお祈りしたいと思います。

木蓮さん・まつんこさん・ペーター・ジュニア さん・saboさん・小むらさきさん・カメ吉さん・angeさん・もかさん・さつきさん・ kazu* さん

最近のJALは、きちんと“安全”というものに向き合っていこうという姿勢が見られるようになりました。
以前は123便の多くの資料、遺留品を処分しようとしたり、
事故の事は早く忘れてしまいたいという意識が働いていましたが。
2006年に安全啓発センターが開設され、圧力隔壁など、貴重な資料が保存されることになりました。事故から21年後です。遅すぎではないかという気もしますが・・・。
今年から、犠牲tなった方の遺留品が展示されることとなったそうです。遺族の方々の、事故を風化させず、教訓として欲しいという思いがかなえられ、まず良かったと思います。
JALに限らず、空だけに限らず、陸の安全、全ての交通機関で、痛ましい事故が起こらないことを祈るばかりです。

にぽぽの重い独り言のような日記に。沢山コメントいただきまして、ありがとうございました。

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2010年 江戸文化歴史検定3級・2級合格。
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