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神話の里出雲 縁起がよいのは出雲と美保の両参り

ども にぽぽです=*^-^*=



松江入りしたにぽぽなのですが、レンタカーを借りている最終日ということで、ちょっとドライブです。
松江から国道432号をひたすら走り、美保関へ。

20141010松江3

かなりぶれちゃっていますが、途中にたまたま工事していた場所。
島根ですごく感じたのは、土が“赤い”ってこと。

斐伊川を渡った時も、川底の赤さゆえに川が真っ赤で驚いたし、出雲市駅のすぐそばに流れている川の名は、そのまま赤川だった。

出雲は古代から良質の鉄が取れたことから、製鉄が盛んだったというし、火にかけられた鉄の赤、夕日の赤。
にぽぽの中では出雲の色は赤です。



さて、景色はすっかり港町。

20141010美保1


美保関に到着です。
イカが干されている光景も、港町って感じ!

20141010美保2

このイカは、この辺りでしか取れない白イカっていうイカだそうです。
冷凍にしておけば長く保存できるというので、お土産に購入しました。



美保関に鎮座しているのは美保神社。

20141010美保3

オオクニヌシの妻のミホツヒメと子のコトシロヌシを祀っています。

ミホツヒメは、高天の原から地上に稲穂を持ち降り耕作を広めたという、農業と子孫繁栄の守り神。
コトシロヌシは、オオクニヌシの第一の御子神で、漁業と商業の神様です。


20141010美保4

鳥居のところの紙垂(しで:注連縄についてる紙のこと)の形が、さっき見た白イカに見えて仕方なかった瞬間。


島根半島の西端に出雲大社が位置しておりますが、その真逆の最東端にあるのが美保神社です。
昔から、出雲大社のみの参詣は「片参り」といわれ、出雲大社参詣の際は必ず美保神社へもお参りする習わしとなっていたそうです。

20141010美保5

実は、コトシロヌシは七福神の恵比寿様、オオクニヌシは大黒様と同一とされているのですが、江戸時代には、美保神社の商売繁盛に御利益があるコトシロヌシ様(エビスさん)と、出雲大社の縁結びの神様として有名なオオクニヌシ様(ダイコクさん)をお参りすることで、更なる御利益がいただけると、「えびす・だいこく両参り」が流行ったとか。

『出雲国風土記』には、美保神社の祭神は、御穂須須美命(みほすすみのみこと)だけと書かれているので、もともとはミホツヒメ一神だったみたいですが、出雲の国譲りの際、美保で漁をしていたコトシロヌシが、オオクニヌシに代わって国を譲ると答えたという『古事記』や『日本書紀』により、のちにコトシロヌシも美保神社に祀られるようになったらしいです。


20141010美保6

拝殿は昭和初期の建築で新しいものだそうですが、本殿は向かって右側にミホツヒメ、左側にコトシロヌシを祀っていて二つの社の間を“装束の間”でつないだ“美保造り(比翼造り)”という特殊な様式です。
様式的には戦国時代にまでさかのぼることができますが、現在の建物は文化10(1813)年建立のもの。


20141010美保7

美保神社の正面は、海に向かって開けていますが、本殿の後ろは一気に森が広がって、ひんやりした空気が流れてきます。
境内からは、4世紀や6世紀ごろの勾玉なども出土していて、古墳時代以前からこの地で祭祀が行われていたことがわかっています。



鳥居のところまで戻ると“青石畳通り”があります。

20141010美保8

美保関は古来より日鮮貿易の拠点として栄えてましたが、江戸中から大正時代は、北前船の西廻り航路の寄港地で、西日本でも有数の歓楽街としても栄え、多くの遊郭が軒を連ね、人口の四分の一を遊女が占めた時代もあったそうです。

狭い土地の中で行き交う人や大八車などのために、通りに天然石が敷設されたのは江戸後期の文化年間から弘化年間(1804~1814年)です。
美保関周辺の石を使ったこの道は、雨の日には、うっすらと青色に変化することで、通り名がついたのだとか。


20141010美保9

通りに立ち並ぶのは、旅館や廻船問屋、両替商など。

     20141010美保10


どの家も当時の屋号がかけられていて、北前船の海運業で栄えていたころが偲ばれます。

20141010美保11



     20141010美保12

建物の日蔭になっている通りに差し込む光の先は、

20141010美保13

港側につながっていました。

迷路のような細道の一角にある“太鼓醤油店”

20141010美保14

蔵を構えて約100年の老舗だそうです。
“みのほつゆ”という名の醤油、“みほ太鼓”という名の甘醤油、ポン酢の小瓶のセットがあったのでお土産に購入。


後日、嬉々としてお土産を広げるにぽぽに、家族が一言。
「お土産に地酒を買うっていうのはあるけど、お酒じゃなくてお醤油買ってくるよね。」

言われて気づく。
そういえば、どこに行っても醤油を買ってきてしまう最近のにぽぽ。
買い癖ってありますよね(笑)
でも、お酒と同じように、お醤油もその土地、土地で違うので、すごく感動するんですよ。

この“太鼓醤油店”のお醤油を家に帰ってきてから調べてみたら、美食家・北大路魯山人もここのお醤油を絶賛したとか、東京にあるミシュラン三ツ星のお店からも注文がくるのだという情報がありました。
太鼓醤油の太鼓は、なんと苗字なのだそうです!

美保関は、古くからの港町で全国各地からこの地に立ち寄り、そのまま住み着いた人も多かったようです。
そのためなのか、めずらしい苗字の宝庫なんですって。



家に帰ってきてから、前出の白イカの干物にこのお醤油をポトンと落としていただきました!
その味は、言わずもがな!
太鼓醤油は美保のお店以外で卸売はしていないそうですが、HP(⇒太鼓醤油店)から購入できます。
にぽぽもリピ決定です♪

あれ・・・?!
美保関の話のはずが、太鼓醤油店の宣伝みたいになっちゃった(笑)。

20141010美保15

さあ、次の場所でお昼ご飯だっ!



今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)
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鳥取境港 げげげっ!妖怪の町 水木ロード

ども にぽぽです=*^-^*=



お昼ご飯を目指してやってきましたーっ!

20141010境港1

境港です。
島根県じゃなくて鳥取県です。
美保関からだと鳥取はすぐなんですね。

境港は、言わずと知れた妖怪漫画のパイオニア『ゲゲゲの鬼太郎』の作者、水木しげる先生の出身地です。

20141010境港2

JR境港駅の前では、水木先生が鬼太郎たちに、お仕事を邪魔されています。



ちなみに、境港駅は、米子から境港までをつなぐJR境線の駅です。

20141012松江1

始発の米子駅、0番線ホームから発車する列車はイラスト車両になっており、旅の最終日、にぽぽが米子空港駅まで乗車したのは目玉おやじ列車でした。


車内も目玉おやじだらけ!

20141012松江2

20141012松江3

隣の車両は猫むすめ。

20141012松江4


さらに、境線の各駅名には、愛称として『ゲゲゲの鬼太郎』に登場する妖怪の名前が愛称がつけられています。

20141012松江5

なので、
「次は富士見町駅~」
と、いう普通の放送の後に、猫むすめが、
「愛称は、ざしきわらしっ(^▽°)v」
と、かぶせてきます。面白いけど判りにくい(笑)


話を戻しましょう。


港町なので、海鮮丼狙いのにぽぽ。

20141010境港3

駅のすぐ近くに見えたお店に飛び込みました。


20141010境港4

とにかく具がたくさん。
魚の皮が入っている(左上のグレーっぽい千切りのもの)のが珍しい!
コリコリして美味しかったです。何の魚の皮だったのだろう。


20141010境港5

河豚のから揚げも美味しかった~!



お腹もポンポコになったところで、有名な水木しげるロードを散策すべく歩き出したものの、すぐに立ち止まる。

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造り酒屋さん発見。


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歴史がありそうな佇まいに見とれていると、カフェって書いてあることに気付く。
酒蔵なのにカフェっ?これは入らなければ!

20141010境港8

カフェはお店を通った奥にあるらしい。

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メニューを眺めて、しばし震える。
車じゃなかったらなーーーっ(o ><)o”


お酒はあきらめて、苺氷というものをオーダー。

20141010境港10

かき氷に苺シロップをかけたものではなく、凍った苺を削って練乳かけた感じでした。
苺感が半端なくて美味しかった~!


やっと水木ロードの入り口へ到着。

     20141010境港14

境港駅前から、水木しげる記念館までの約800mが、「水木しげるロード」と呼ばれていて、沿道のあちこちに妖怪のブロンズ像が置かれたりしています。


20141010境港11

にぽぽの居住地の近くの東京都調布市も、水木先生ゆかりの地(2009年8月1日の日記⇒調布 ボスと鬼太郎がいる街 )なので、妖怪化していますが、ここもすごい!


20141010境港12

小っちゃい子が群がってる理由は、

20141010境港13

スタンプラリーでした。



神社も“妖怪神社”

20141010境港15


手作り妖怪のお店。

20141010境港16

妖怪って手作りできるの~っ?!


こんな普通のお店も。

20141010境港17

いや、普通ではないですね。
昔の景色が想像できる町屋風の商店。
アーケードが邪魔だなぁ・・・全体をこの街並みに復元してくれた方が鬼太郎の世界っぽくていいのになぁ~。

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鬼太郎の下駄のお店もあれば、

20141010境港19


鬼太郎下駄のブロンズ像もありました!

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ゲゲゲの鬼太郎のヘアーサロンって・・・

20141010境港21

どんな頭にされちゃうのやら・・・。


にぽぽの一ウケは、ATM。

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妖怪に暗証番号を聞かれても教えるなという看板が素敵すぎる。



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目玉おやじの近くには、

20141010境港24

目玉まんじゅうを売ってるお土産屋さんがあるし。



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西洋妖怪も、いる!

かと思えば、

20141010境港26

日本版レリゴー♪レリゴーーーー♪♪



自分のお気に入りの妖怪を探すのも楽しいです。

20141010境港27

にぽぽのお気に入り妖怪は、「お歯黒べったり」。
水木先生の『図説日本妖怪大全』には、夕闇迫る町外れの神社や寺に現われ、通りかかった人を驚かせ、稀には家の中にも出たと書かれている妖怪です。

このブロンズ像は、江戸時代後期の画家竹原春泉作の『絵本百物語(別名『桃山人夜話』)』に描かれた絵をモデルにしている感じです。

     お歯黒べったり

角隠しを着け、美しい着物を着た姿で描かれているので、結婚前に死んだ女性の亡霊とも言われていますが、お歯黒は既婚女性のお化粧。
角隠しは、もともと浄土真宗信者の女性が寺参りに際して着用する物だったそうなので、結婚前とは断定できないのだそうです。
未婚女性なのか、既婚女性なのか。
仕草はとても色っぽくて美人風なのに顔がない。
なんとも謎めかしい妖怪のお歯黒べったりです。



松江市内に戻って、レンタカーを返す前に、ちょっとだけ松江城を見に行きました。

20141010松江4

うわはぁ~お

20141010松江5

にぽぽの好きな黒い天守がチラリ~っ
このまま突進してしまいたいけど、ぐぐっと登城は明日まで我慢っ!
(別に我慢しなくてもいいんだけど・・・)




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松江 松江城に登城!

ども にぽぽです=*^-^*=



昨日、チラ見しただけで鼻息が荒くなった松江城にいよいよ登城の日でございます!!


朝食もそこそこに、ホテルを出て、松江駅のすぐ近く。

20141011松江1

あれ?
はじめ人間 ゴゴンゴーーーーンッ♪ ではないですか。

『はじめ人間ギャートルズ』の作者、園山俊二さんは松江の出身だそうです。
それでここにブロンズ像があるんですね~。

ギャートルズで出てきた、骨付きのマンモスの肉。
ものっすごく美味しそうだったなぁ~・・・・


なんてことを思い出しながらタクシーに乗り込み、
「松江城へお願いしま~す。」
と、言ったくせに、松江城のちょっと手前の島根県庁前で
「あーっ!ここで止めてください!!」
と、タクシーの運転手さんを驚かせて下車。

20141011松江2

県庁の前の銅像は、松平直政です。
堀尾氏3代、京極氏1代の後、寛永15(1638)年に信州松本から出雲国松江藩主として入国。
松江松平家初代藩主で、家康の孫にあたります。

島根といえば出雲そばが有名ですが、そもそもはこの直政公が松江藩主となったときに、松本からそば職人を連れてきたのが所以と伝えられています。

ちょっと話は違いますが、会津も、会津松平家初代藩主となる保科正之が信州の高遠藩から会津に入った時に高遠のそば職人を連れて行ったことで、高遠そばが会津に伝わり名物となったそうです。

お殿様の転封に食文化のルーツがあるっていうのも、面白いですね。


さて、話を戻して江戸時代の松江の街並み。

20141011松江60

現在の県庁は、松江城三の丸だった場所に建っています。
三の丸は、京極氏が造営したもので、戦の心配がなくなった江戸時代には藩主も山を下りて、平地である三の丸に館を構え、ここで藩政を行っていたそうです。


いよいよ登城開始!

20141011松江3

大手前口から一歩入ると、広~い馬溜り。

20141011松江4

一辺は46m。
高石垣の角に太鼓櫓が置かれています。
太鼓櫓の下側90度には大手門が構えられていたので、今のような風通しのよい広場ではなくて、圧迫感のある堅牢な構えだったと思われます。

位置関係はこんな。

20141011松江4-1


馬溜井戸

20141011松江5

発掘調査により発見されました。



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木に隠れて天守がチラっと見えただけで、おおおお~っ!とテンションが上がるにぽぽ。


馬溜跡から大手門跡を抜け太鼓櫓を見ながら石段を登ります。

20141011松江6

太鼓櫓と塀の一部は平成13(2001)年に復元されました。
松江城の石垣は、打ち込みはぎといって、石切場で切り出した石の平坦な面の角をたたきつき合わせやすくした積み方がほとんどで、慶長年間(1596~1615年頃)に築かれた城によく見られます。


石段を登る途中の石垣。

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近づいてよく見てみると、ノミで形が刻まれている石があるのがわかります。

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分銅の形は松江城を築いた堀尾家の紋です。
刻印は、工事の分担や石切り場の区別、合わせ印など土木工事を円滑かつ組織的に行うために付けられた記号と考えられています。



20141011松江11

石段の右手下側は二ノ丸下段。

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今は広場になっていて、小さな松が植えられていますが、かつては米蔵などが置かれていました。


三の門跡。

20141011松江13

三の門を入ると番所があり、その奥に御殿がありました。

20141011松江14-1


二の門跡の辺り。

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二の門を入ったところには、中央に御書院があり、松平家2代藩・綱主隆の時はでは、藩主の居宅になっていました。
そのほか、局の長屋敷、広間、風呂場などの建物が並んでいました。

これらはいずれも松平氏の時代に築かれたものです。
堀尾氏が築城した当初は櫓と門しかなかったようで、本丸に大広間や奥御殿があったと想像されていますが、建物の大半は松平氏が入った時に壊されてしまったようで、一ノ門を入ったところにあった台所などが確認されているのみ、詳しいことはわかっていません。


二の門を入って直角に曲がり、一の門へ登っていく正面。

20141011松江15

他の石垣と違い、大きな石がはめ込まれているのは城の見栄。
いよいよ本丸が近いという期待感が高まります♪


一ノ門

20141011松江16

昭和35(1960)年に復元されました。


いよいよ、いよいよ!

20141011松江17

登城ーーーーーーーーーーっ!

松江城の現存建物は、この天守だけですが、これだけで見ごたえ十分!
日本の12現存天守のひとつで山陰で唯一の天守なのです。

慶長16(1611)年、出雲の領主・堀尾吉晴が5年の歳月をかけて築城したものです。
堀尾氏は吉晴の子、忠氏が若くして急死、その孫の忠晴に世継ぎがなく跡絶え、続く京極死も断絶して、徳川家康の孫にあたる松平直政が信州松本から移封されて以来、松平氏10代で234年間、出雲18万6千石を領して明治維新を迎えました。

明治4(1871)年、廃藩置県により、廃城となり、明治6(1873)年 廃城令が公布され、天守を除く建造物は4円から5円で払い下げられすべて撤去されてしまいました。
天守も当時の価格180円で売却されるところでしたが、、出雲郡の豪農の勝部本右衛門や元藩士の高木権八が同額の金を国に納めるかたちで買い戻され、保存されました。

日本のお城は、この廃棄令によってほとんどが壊された訳ですが、現存しているお城は今や国宝です。
国の価値観の変遷を思うと、なんだかなーと憤る気持ちも起こりますが、国の施策に反するという並大抵ではない行動をした有志の方たちとわが身を比べて、今何を、どう行動すべきなんだろうなーとか考えちゃう訳です。
沖縄の辺野古のサンゴ礁のこととか、原発再稼働のこととかさ・・・。


にぽぽが松江城を訪れた10月の松江城登閣時間は8:30amから。
このお城を撮影している時間はというと、7:00am(笑)!

もの好きはにぽぽだけ、では無いのですよ。

     20141011松江18

観光客にじゃまされない早朝に、さまざまな角度を試して、自己満足に浸る御同輩。
にぽぽはわかるぞ、その気持ちが!

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横から眺めれば、大入母屋根の飾りの三ツ花懸魚越しに木製に銅板張りで高さは2m25mもあるという鯱が見える。
黒塗りの下見板張りが男前であります。

20141011松江19

斜め遠目で見れば、天守正面の千鳥が羽を広げたような入母屋破風は、桃山初期の華やかな造りを継承し、「千鳥城」という名にふさわしい美しさなのであります。


まだ登閣できないので、天守の後ろ側、北西の位置にあった乾櫓跡。

20141011松江21


北の門

20141011松江22

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北の門を出たところに、奥去口の門跡。

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奥去口の門の先は、道が失われてしまっており、行き止まり。
残念だー。

まだ時間もあるし、大手門からではなく、北側から登城しなおしてみることを決意。


北惣門橋

20141011松江24

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わぁっ!く、車が通ってる!
と、驚くなかれ、この橋は平成6(1994)年に復元されたものです。
松江城のお仕事関係の方の車かと推測(これが本当の登城?!)。


にぽぽは徒歩で橋を渡ります。
橋を渡った先には脇虎口の門があったようです。

20141011松江26


やがて右手に見えてくる池は馬洗池。

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その名のまま、この池で馬を洗ったのでしょうね。

20141011松江28-1


馬洗池の南側に“ぎりぎり井戸”というものがあったそうです。

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築城工事の際、井戸の南側に築いた大きな石垣が突然崩れたので、掘って調べたところ、槍のささった頭蓋骨が出てきたとか。そこで祈祷して例を鎮め、工事を再開して石垣は完成したのですが、深く掘ったところが頭の頂部(つむじ、ぎりぎり)に似たていたということで、この付近にあった井戸や門にこの名が付いたといわれます。


水の手門

20141011松江30

20141011松江31-1

攻め手のつもりになって、駆け上ったら転んで頭がパッカーンとなること間違いなし!
ここは慎重に一段一段、踏みしめていくべし。


一定のリズムにならない、不揃いな段。

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そして、当然、真っ直ぐに進むことはできない虎口構造。


振り返ってみると、こんな感じ。

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攻めてきた敵が、直角の曲りでアタアタしてるところを、横から矢を掛けるって感じですね。
う~ん、戦う城って感じです。


北の門に到着。

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ちょうど、天守に登れる時間。

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複合式望楼型 4重5階地下1階の天守。
附櫓入り口からから入ります!


おおっ!

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ここにきてまでも戦う城!
天守にまっすぐ登れず、階段は入り口を直角に曲がってつけられておりました。

そして、

20141011松江36

附櫓一階から天守地階への入り口部分に狭間(ざま)が開いています。

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こんな風に、附櫓の中に侵入してきた敵を狙うことができる訳です。


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天守地階は生活物資の貯蔵庫であり、“穴蔵の間”と呼ばれ、塩などが備蓄されていました。
井戸も掘られていて、天守だけになっても籠城できるという、どこまでも戦う構えを見せる松江城。
井戸の深さは24m。
覗き込むと、ひゅ~っと空気の流れを感じて、転落防止対策がされていてもお尻の穴がきゅぅっとなるような怖さ。

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お金が投げ込まれておりますな・・・水、穴、と揃うとお金を投げちゃうんですかね・・・。


天守一階。

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鎧やら、松平家の漆器類やら、貴重な展示物がいっぱい!


天守二階への階段。

     20141011松江40

階段の幅1.6メートルで1階から4階の各階の間に設けてあります。
階段を引き上げたり、防火防腐のために桐を使ったもので他の城では見られない特殊なものだそうです。

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踏面が狭くて、ほとんど梯子のような急斜面です。
登りはいいけど帰りに降りてくるのが怖いだろうな。


天守三階。

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この階には、階段付きの窓があります。

     20141011松江45

ここから大入母屋の屋根上に出られるそうです。
屋根の上に出るって、何を想定して出られるようにしていたんでしょう・・・屋根の補修とか??


天守四階。

20141011松江46

天守を支える柱には、一面、あるいは二面、三面、四面に板を張って、鎹や金輪で止められているものがあります。
「包板(つつみいた)」と呼ばれ、天守にある総数308本の柱のうち130本に施してあり、割れ隠しなど不良材の体裁を整えるためのものと考えられているそうです。


天守五階。

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一番乗り!!
窓が開いていて、パンフレットが散らかるほど風がびゅーびゅー。
当時は二部屋に別れ、書院造りの建具である舞良戸(まいらど)などで仕切られていたようです。

 
南方向には宍道湖が眺める、高所恐怖症であることも一瞬忘れるすばらしい風景!

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天下取ったどーーーーっ!!

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という瞬間、お掃除の方々が登ってきました。
お掃除の方々より早い登城ってどうなの・・・って感じですが、当然電源なんてない昔の建物ですから、こんな風に毎日手作業で管理されてるんだなー、ということも分かったのでした。



ひぃぃ、またしてもものすごい文字数になってしまった。
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松江 城下町そぞろ歩き

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松江城の天守を満喫し、地上に戻ってきました。

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天守を支えている石垣は野面積の中でも、ごぼう積みという技術が使われています。
奥行の深い石を用いその小口を正面に出し、奥に深く石が入るように積むという頑丈な積み方です。
大きな石と石の間に小さな石を埋め込むという、一見すると雑なように見えますが、実は細かい計算のもとに積まれているのだそうです。

20141011松江51

が、

20141011松江52

石が割れてきていたり、小さな石が崩れて落ちているのが目立ちます。
何千、何万の観光客がとどしどしと天守に登るなんて考えて作ってないですもんね。
江戸時代は藩の関係者だって、めったに登らなかったのではないかなーと思うのです。

松江城はこれから大手門の復元も計画されているとのことですが、石垣も改修されるのだろうと期待しています。
大事に残していきたいですよね。

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お名残り惜しい本丸を後にします。

     20141011松江54

あ~、お城には青空が似合うなぁ

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観光客もかなり増えてきた時間ですが、この辺りは人が少なくて、ゆっくり妄想に浸れます(笑)。

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朝一番に上った水の手門を横目にして、

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馬洗池に差し掛かると、相当本格的な一眼レフを手にしている女性。


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かなりのお城好きとお見受けいたす。


北惣門橋へ。

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北惣門橋を渡った正面に見ている建物は、松江歴史館です。

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藩政当時は、家老の屋敷があった場所です。



入館してみてびっくり!

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た、畳ーーーーーーっ!
松江市って、お金持ちなのねぇ~。


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松江城築城の話とか、松江藩政や城下町の形成、城下の人々の暮らしなどがテーマ別に、音声や映像を使って紹介されているので、とてもわかりやすかったです。

登城編に多用したジオラマ(←にぽぽの大好物)も、ここに展示されていたのものです。


ガン見したのは、松江の食文化を紹介していたもの。
松江調理師会と松江郷土料理研究会監修。


お雑煮

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松江では正月の像にに二つの種類があるそうです。
一つは澄まし汁に丸餅を入れ、岩海苔を乗せただけのあっさりとした海苔雑煮。
もう一つは小豆の粒をつぶさずに汁を澄ませて仕立てた小豆雑煮。

美味しそう~・・・・模型なんだけど。


春の献立。

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麦飯・漬物(水菜浅漬け 大根みそ漬け)・白魚の卵張り
葱ぬた・めのは・煮しめ・さよりの刺身


夏の献立。

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海苔巻き・漬物(やたら漬け)・しじみの味噌汁
素麺・煮しめ・エノハつけ焼き


秋の献立。

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キノコ飯・漬物(大根浅漬け 塩漬け穂紫蘇)・おちご汁
ずいきの煮物・そば・ものげ海老の照り煮


冬の献立。

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あまさぎの柳かけ・漬物(津田蕪漬け)・のっぺ汁
セリのおひたし・鱸の煮なます・寒鮒の刺身


食文化は相当ハイレベルで洗練されてますよね。



最後の展示物は、歴史館敷地の地下から発見された建物跡。

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ガラスをはめ込んで地層ごと上から見えるようになっています。
堀尾期のものと京極~松平期の2種類があり、歴史が重なっている様を実感。



松江歴史館内にある“喫茶きはる”で、一服。

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窓からはお城が見えます!

江戸時代の武士たちは、ずーーーーっとお城を見て、お城とともに暮らしていたんだなぁ~
なんてことを実感しながら、オーダーしたのは、上生菓子と抹茶のセット。

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お菓子は、労働大臣認定の「現代の名工」の肩書きをもつ伊丹二夫さんの作。
松江の定番もの、四季をモチーフにしたもの、ご当地の人気キャラクターのものなど数種類の中から好きなものを一つ選ぶことができます。
きれいなお菓子にうっとり、さすがは不昧公のお膝元、松江!って感じです。

松平家七代藩主の治郷は、不昧(ふまい)という号をもつ江戸時代の超一流の茶人でした。
不昧公の存在によって松江では茶の湯を楽しむ気風が育まれ、お茶の席には欠かせない銘菓、名料理がいくつも誕生しました。
「不昧公好み」として受け継がれていて、今でも味わうことができるお菓子やお料理もあるのです。

「不昧公好み」のお料理も、松江のお散歩の楽しみなのであります!



それにしても、松江歴史館は、どこもかしこも贅沢だった。

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女子トイレの化粧室まで素足(スリッパとかを履かないという意味)のまま入れます。
トイレスペースは別で石張りの床になっていて、ここでスリッパが用意されているのです。
これ、“市”の歴史館ですからね、すごいですよね~。



と、ここいらでいったん休憩、松江のお散歩はまだ続きます。
今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)
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松江 城下町そぞろ歩き その2

ども にぽぽです=*^-^*=



松江城の北側のお堀沿いに塩見縄手と呼ばれる通りがあります。

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城下町では、縄のようにひとすじにのびた道路のことを「縄手」というそうです。
かつて通りの中ほどにあった松江藩中老で町奉行の塩見小兵衛が異例の出世をしたことを称えて、塩見縄手と呼ばれるようになったのそうです。

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江戸時代から生き残っているという老松と武家屋敷の長屋門を眺めつつ歩いていると、気分はすっかり松江藩士です(笑)。


この塩見縄手には、200石から600石程度の中級藩士の屋敷が並んでいました。
ちなみに、時代により1石の価値に変動はありますが、遠山の金さんの遠山金四郎景元(旗本江戸北町奉行)が500石で、鬼平犯科帳の長谷川平蔵宣以(旗本火付盗賊改役)が400石だったそうです。


にぽぽの城下町散歩には欠かせない、お宅訪問!

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この武家屋敷は600石程度の藩士が住んだところで、現在の屋敷は享保18(1733)年に建てられたものです。
築275年ぐらい?!


武家屋敷の特徴の一つの長屋門は、武家奉公人である中間の住居としても使われていました。
敷地内から見ると、部屋になっているのです。

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600石というのは、今でいうとざっくりですが年収3300万という感じです。
(換算方法はいろいろあるので一概には言えませんけれど。)

母屋はおよそ70坪。

松江武家屋敷見取り図

左側が式台玄関、右側は内玄関。

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武家の社会は公私がしっかり区別されているので、家であっても、式台玄関から座敷が公、家族の生活の場は内玄関から家の奥側と区分けされていて、作りも材料も違うということです。


こちらが家族が使う内玄関。

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客が上がる式台玄関。

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式台玄関から続く十畳の座敷は、屋敷内で最も立派な部屋。

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“中老である屋敷の主の元に緊急の用件で近習頭が書状を持参し、指示を仰ぎに罷り出ているの図”です。



座敷の裏側にあたる、家族部屋。

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座敷に比べると天井も低く、質素なつくりになっています。


その隣は当主居間。

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その隣が奥方居間。

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家族の生活の場は屋敷の北側にあるのですが、手入れされた庭に面しています。


なんと、茶の間があるではないですか!

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にぽぽが拝見した他の地の武家屋敷には茶の間はなかったですね。
これは藩主が江戸時代の超一流の茶人だった松江ならではって感じです!


佛間。

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置かれている仏壇がシンプルで意外でした。
この高さだと、お線香は立ってあげるのかしら・・・江戸時代にそんなはずはないと思うんだけど。


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江戸時代は、部屋ごとの収納スペースが充実していないので、納戸が必要だったんでしょうね。
家の格によって、家財道具もいろいろ揃えていないといけなかっただろうし。


湯殿です。

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火事に気を付けなければいけない時代ですので、薪をくべてお湯を沸かしながら入ったのではありません。
お湯を入れて、体を拭いたりとかしたのでしょうが、寒い松江では、冬のお風呂は大変だったかも。


台所です。

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水場と竈で、いわゆる“キッチン”の部分の訳ですが、コンパクトにまとまっています。
窓の右下にあるのは水瓶で半分は外に出ているんです。

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井戸で汲んだ水を、外から水瓶にいれられるようになってるんですね。


台所にはもう一つ目を引くものが。

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茶の文化が浸透している松江ならではの大茶壺!!
それにしてもでっかいっ! 大人でも余裕で入れそうです。


食器類も充実。

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松江歴史館で見た美味しそうなお膳が目に蘇ってきますね~。


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これ、何だろう?吊戸棚??
できたお料理を置いたりしたのかなぁ・・・。


伊勢で見た40石取りの武家屋敷(2010年3月23日の日記⇒松阪の街その1)と、会津の筆頭家老の西郷頼母の屋敷(2008年10月8日の日記⇒会津武家屋敷)そして松江の武家屋敷、時代と石高が違うけど、その土地ならではの特徴があってなかなか面白いものがあります。


塩見縄手には、小泉八雲も一時期住んでいたことがあります。

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小泉八雲の旧居も見学して、ちょっと小腹がすいたので、通り沿いにある塩見茶屋で一休み。

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テラス席はお掘りに面していて気持ちがいい!
ここでオーダーしたのは、松江に来たら食べようと決めていた“ぼてぼて茶”

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“ぼてぼて茶”は不味公が鷹狩りに出かけた際に飲んでいたものが由来だそうです。
番茶を茶筅で「ぼてぼて」と泡立てて、その中におこわ、煮豆、きざんだ高野豆腐や漬物などを少量ずつ入れます。
箸を使わず、茶碗の底を軽くたたき片寄せた具をお茶と共に一気に口に放り込むように食べるのが通だそう。

お箸は出てこないので、にぽぽも通に食べてみることにしましたが、一気にズッツと吸い込まないと具が残ってしまう・・・通の道は遠かった!

“ぼてぼて茶”は、ほんのりした塩味、具材合わせの妙!
体が美味しい~と言ってる美味さでした。
不昧公って、ほんとーーーーに美味しいものを知っていた人だったに違いない。(←なぜか上から発言)

“ぼてぼて茶”は庶民の間にもに広がり、仕事の合間に立ったまま食べられる間食や非常食として根付いたそうです。




今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)
長かった出雲、松江のお散歩も、次回で最後です。
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東京の西のはじっこに住んでいます。
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2010年 江戸文化歴史検定3級・2級合格。
2014年 新選組検定3級・2級合格。
たまに歴史と新選組のオタク日記になります。

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