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神話の里出雲 ヤマタノオロチ伝説の舞台を行く その1

ども にぽぽです=*^-^*=



「国生み」の物語の主人公、日本という国の両親ともいうべき、イザナキとイザナミへのご挨拶を済ませたところで、旅の一日目のメインテーマであるスサノヲの神話を巡るため、奥出雲方面へ向かいます。


『 黄泉の国から戻ったイザナキが、禊をするため裸になって水にはいり、左目を洗った時に成り出た神がアマテラス、右目を洗った時に成り出た神がツクヨミ、そして鼻を洗った時に成り出た神がスサノヲです。』

この三柱の神はとても貴い神で、三貴神と言われております。
右目から生まれた太陽神であるアマテラスと、左目から生まれた月の神であるツクヨミで完結したほうがバランスがいいのに、鼻からスサノヲを生まれさせる無理やりさと、しかも、ツクヨミの半端ない影の薄さ。
なんだか、後からスサノヲを付け足したような感じがするのはにぽぽだけでしょうか・・・。


『 イザナキは、アマテラスに高天の原を、ツクヨミに夜の国を、スサノヲには海原を治めるように命じたのですが、スサノヲは、「母のいる根の堅州に行きたい」と泣きわめき、命令に従おうとしないので、イザナキはスサノヲを神の国から追放することにしたのです。』

イザナキの鼻から生まれたスサノヲなのに、イザナミは母なのか?・・・というにぽぽの疑問は置いといて。
神の国を追放されたので、アマテラスに別れを告げに行ったら、攻めてきたと誤解されたり、(この誤解を解くためにスサノヲがアマテラスの勾玉を噛み砕き、アメノホヒなどが生まれた訳です)。その後アマテラスを怒らせて天の岩戸に閉じこもらせたりと、いろいろあるのですが、このくだりでもツクヨミは全く出てこない(苦笑)。


さて、揖夜神社を後にして国道9号を西に戻り、県道53号へ。


迷うことなく、どわーんっと熊野大社。

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かつては、熊野大社が出雲国の一ノ宮で、出雲大社が二ノ宮と、熊野大社が筆頭であったとのこと。

祭神は伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命。
「伊邪那伎日真名子」は、イザナキが可愛がる御子という意味で、スサノヲのことだそうですが、可愛がられたっけ?


社地に入るには、意宇(おう)川を渡ります。

20141007出雲25

この川の下流には、国庁跡などがあり、かつての出雲国の政治の中心がこのあたりだったのだなーと感じさせてくれます。
熊野大社というと、和歌山県の熊野古道の方を思い浮かべますが、和歌山県の大社は、ここから勧請されたものという説もあるそうです。

創建年代は不明。
資料の初見は、『日本書記』の斉明天皇の時代のところに、「出雲国造をして厳神(いかしかみ)の宮をつくらしむ」という記載だそうです。
斉明天皇、よく出てくるわぁ~、この天皇の頃に、日本の国がいろいろと整えられていったということなのかな。


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太ーい注連縄の髄神門を抜けると、正面に拝殿。
その左側にイザナミ、右側にクシナダヒメが祀られております。
神の国を追放されるほどそばに行きたかったお母さんと、奥さんを両脇において、幸せそうなスサノヲが目に浮かびますね(笑)。

さて、次の目的地へ。
県道53号から県道25号へ入り、ひたすら南下。
スサノヲによるヤマタノオロチ退治の地をめざして、ひたすら走る。


県道25号は、ドライブにもってこいのルートで、途中には絶好の撮影ポイントもたくさんあったのですが、地元の車のスピードが半端ないんですよ!
後ろにつかれると、追い越し車線もないカーブ連続の道なのに、バンバン追い越される・・・怖い~っ。
ご迷惑にならないよう、頑張って結構スピード出して走ってみたのですけどもねぇ・・・逃げ場もない一本道なので、ちょっと止まって写真を・・・という余裕がなく、途中の風景の写真はほとんど無し。

人気がなくなってきたなーと思うと、

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突然、こんな風に道幅が狭くなる!
(この先、もっと 狭い道になって、ガードレールも心もとなくなり、ハンドル斬り損ねて落ちるのではないかと思った 汗っ)


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峠を超えて、人家も近くなってホッと一息。



県道25号が国道314号にぶつかったら、雲南市方面へ向かうはずが、反対方向へ走っていることに気付いたのは、標識に横田の文字を見た時・・・。
出雲横田は、スサノヲの妻になるクシナダヒメの誕生の地とも言われているそうです。
今は仁多町と合併して奥出雲町になっています。

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はぁ~っ
なんで間違えたんだろう・・・
結構な距離走ってしまったので、当初の予定を変更して、ループ橋としては日本一の規模を誇るという“おろちループ”まで行ってみることにいたします。

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山と山をつなぐような巨大なループ橋を見上げたかと思うと、いつの間にかそのループに巻き込まれて、見上げていたはずの山の頂上へ到着。

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『 高天の原を追放されたスサノヲは、出雲の「肥の河上、名は鳥髪といふ地」に降り立った。』

「肥の河上の鳥髪」は、斐伊川の上流の鳥髪山のことで、現在の船通山だといわれています。
奥出雲鉄の彫刻美術館で一休みしながら、船通山はどれかなーなどと眺めてたものの、全くわからない(笑)。

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時刻はちょうど昼時。
予定していた場所とは違ってしまったけど、付属施設のカフェで昼食をとることに。

瓶ごと運ばれてきたお水には、「おいしい水道水」というシールが!

     20141007出雲32

実は、この近くには“延命水”と呼ばれる島根県名水百選の一つが湧き出しており、ここらの水道水は、その名水と同じ水脈からとられているとのことで、確かに、販売されているミネラルウォーターにも勝る美味しさでした。


このあたりは舞茸も名物ということで、

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舞茸ずくしのメニューを頂きました。


一息入れて、まだまだ長い道のりを走り続けます!
今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)
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神話の里出雲 ヤマタノオロチ伝説の舞台を行く その2

ども にぽぽです=*^-^*=



お昼を食べて、お腹に力もはいったところで、国道314号をひた戻る。
さて、いよいよヤマタノオロチ退治であります。

『 地上へと追放されたスサノヲは斐伊川のほとりに降り立ち、人が住んでいるらしい川の上流へ向かってみると、娘を挟んで年老いた夫婦が泣いていました。訳を訊ねると、
「ヤマタノオロチという怪物が毎年やってきて娘を食べていきます。七人も食べられてしまい、もう娘はクシナダ一人しか残っていません。」と言う。老爺の説明によると、オロチの目は真っ赤で、一つの胴体に八つの尾があり、谷や尾根を八つも渡るほど大きいという。それを聞いたスサノヲは、自分は高天の原から降りてきた神だと正体をあかし、娘を自分にくれるならオロチを退治しようと提案します。
 娘をもらい、オロチを退治することになったスサノヲは、クシナダを櫛に変えて自分の髪に挿して隠し、老夫婦には強い酒を大量につくるよう命じました。』

当初の予定では、クシナダの両親であるアシナヅチ、テナヅチを祀った“温泉神社”に向かうはずでありましたが、道を間違えたことにより、温泉神社を抜かし、ヤマタノオロチが住んでいたといわれる天が淵まで一気に走ります。

進行方向左側に斐伊川を眺め、相変わらず後ろの車に煽られて、あっ!と気付いたら天が淵を通り過ぎていた・・・

なんとかUターンして天が淵に到着。

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谷や尾根を八つも渡るほど大きいオロチは収まる大きさの川ではないけど・・・

20141007出雲37

オロチが毎年娘をさらっていったのは、川の氾濫の象徴で、オロチ退治は、治水がなされたことを表すという解釈があるそうです。
また、斐伊川の上流は良質の砂鉄が採れたということで、真っ赤な目を持つオロチは鉄であり、その鉄を巡ってなにかしらの戦いがあったのかも・・・?

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神話を理解するのは簡単ではないなーと思いつつ、オロチを退治するための酒を入れた壺が残されているという、“印瀬の壺神”へ向かうため国道314号をさらに行く・・・行く・・・・

どうやらそれらしい看板にも気付けず、道を曲がるポイントを通り過ぎてしまったらしい!
国道に沿い流れるオロチの化身である斐伊川は、にぽぽの無念を嘲笑っているのか、慰めているのか・・・。

斐伊川を渡る手前で国道314号を外れ、スサノヲが川に流れてきた箸を拾って、川の上流に人が住んでいることを知ったというところについたのですが・・・

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ずいぶん川幅が広くって、ここにお箸が流れていても気付かないと思うけど。


お箸を拾ったといわれる場所は、八岐大蛇公園となっていて、“箸拾いの碑”が建立されおり、

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オロチと、

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スサノヲが、

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対決した場面が再現されています。


それにも増して目を引いたのは、

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欄干も何もない橋!しかも結構長いっ!!
なんでも、島根県雲南市を舞台にした『うん、何?』という映画では、目を閉じたままで渡りきると願いがかなう橋として紹介されているとのこと。

む、無理~~っ!



八岐大蛇公園から少し走り、八本杉という場所へ。

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ここは、スサノヲに退治されたオロチの首を埋め、八本の杉を植えたとの言い伝えが残る場所です。
杉の木は、斐伊川の氾濫によって何度も流失しましたが、そのたびに補植され、現在の杉は明治6(1873)年の水害の後に植えられたものだそうです。

事前に地図を調べて来ているのですが、八本杉の周囲はこんな感じ。

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道の狭い住宅地の中にポッとあるんです。
わかりにくいよーっ!


オロチ退治の地で見ておきたい場所はまだ残っているし、この分では見つけ出せるのかどうか、不安でいっぱい。
案の定、次の場所も・・・

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コスモスがきれい~~~♪
それはいいのだけども、見渡す限り稲刈りの終わった田んぼ。
目的の場所は確かにこの付近に間違いないのですが、それらしきものが見つからず、農道を行ったり来たり。
農作業をしている方々の不審な目が痛い・・・決して怪しいものではありません~(泣)。

車を降りて、ここか?と思われるちょっと小高い場所に行ってみる。

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あったーーーーーーーっ!!!

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尾留大明神旧社地。

スサノヲはオロチを退治してこの場所でオロチの尾を開き“天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)”を得たといわれています。
この場所は尾留大明神(おとめだいみょうじん)と称し、スサノヲノミコトとクシナダヒメを祀っていましたが、、斐伊川の氾濫により、延亨元(1744)年、約200m南方に移転、さらに大正元年にまたまた南方500mの日吉神社地に移転して今の御代(みしろ)神社となっているそうです。
“天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)”は三種の神器として名古屋市の熱田神宮のご神体になっています。

神器発祥の地なのに、ずいぶんな捨て置かれよう・・・


退治された時の頭はどこにあったかというと、

20141007出雲49

田んぼの真ん中のこんもりした山)にありました。


オロチは、用意された大量のお酒を飲んで酔っ払い、この山を枕にして寝ていたと伝わっており、この山は“草枕”と呼ばれています。
スサノヲは、草枕山に近い場所から矢を射て、オロチを仕留めたといい、矢を射た場所は今、八口神社として残っております。

20141007出雲50

『出雲国風土記』には「矢口神社」と記されています。

20141007出雲51

この辺からオロチを狙ったのかな?


ヤマタノオロチ退治の物語は、とても有名だと思うのに、どのゆかりの場所もさりげなさすぎでした。
古事記もブームになっているというし、もうちょっとわかり易い看板などがあればいいのにと思いつつ、なんとか日が暮れる前に目的の場所を巡ることができて心も軽く、国道9号を本日の宿泊地の出雲市へ。

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相当な距離走りましたから疲れた疲れた。
ホテルにチェックインして、夕食前にちょっとだけ・・・
と思っていたのに、しっかり寝こけてしまい、目が覚めたら辺りは真っ暗。

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出雲市駅のすぐ近くにある温泉施設、“らんぷの湯”で、思い切り手足を伸ばしてくつろぐ。
これがまた、お風呂はランプの明かりだけのほの暗さと、オイルの匂いがよかったです。

くつろぎすぎて、夕食の場所を探すのも面倒になり、“ランプの湯”と続き施設の食事処“神門”で食事することに決定。

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ビールでお腹を膨らますのは勿体ないので、初めからお酒♪

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お酒は本日の旅のテーマにぴったりの“やまたのおろち”
辛口ですっきり、おーいし~~♪

出雲は美味しいお酒もたくさんあるので、本日は奥出雲のお酒にしようと思っていたのだけど、“やまたのおろち”の蔵元は松江にある李白酒造なのでした。
でも、そんなことはどーでもいいぐらい、スイスイ入っていく切れの良い美味しいお酒だった♪

お酒が進むのには、もちろん訳がある。

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“真はたのお造り”
真はたは漁獲量が少なくて、知名度も低いけど、白身の高級魚なんですって。

名前は知らねど、美味さ忘れじ。
こんな美味しいお魚が、居酒屋さんで食べられちゃうなんて。


さらには、“白かれいの煮付”

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味付けに負けない身の美味さ。
真はたも白かれいも大社港で水揚げされた地のもの。
贅沢な地だわ~。

ちょっとお肉も欲しいと思い、“奥出雲ポークの網焼き”。

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今日走ってきた奥出雲には、こんな美味しい豚さんも育っていたとは。


〆に、“じゃこ飯”と“しじみ汁”

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もちろん宍道湖のしじみ。


にぽぽの旅は例によって食べ過ぎ。
ぽんぽこのお腹をさすりつつ、旅の一日目終了。



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神話の里出雲 いよいよオオクニヌシノミコトとご対面! その1

ども にぽぽです=*^-^*=



神話の国 出雲の本丸の出雲市に来ているということは、お目当ては、当然!
出雲大社~パッパカパーン


なんですが、その前にちょっと。
スサノヲ関係で、行っておきたい場所がある。

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須佐神社です。

出雲市から須佐へ向かう国道184号は、神戸川に沿って、山陰を縫う景色は、どのお話とはなく、“日本昔話”の舞台に紛れ込んだかのようで、素晴らしい景色が続くのです。
特に、立久恵峡は旅の目的地として何日か滞在したいと思うほど素晴らしい景観でした。ぜひゆっくり訪れてみたい!

なのですが、やはり地元の車の猛烈なスピードにあおられて、車を止める余裕もなく須佐神社へ到着。


須佐神社は、スサノヲが諸国を開拓した後にたどり着いた、スサノヲ終焉の地。
『出雲国風土記』の須佐郷の条には、

『 スサノヲが「この地は小さい国だがよい国だ。自分の名前は岩木ではなく土地につけよう」と言って「須佐」を命名し、自らの御魂を鎮めた』

と記されているそうです。


境内に入ると、進行方向右側に半端ない存在感の物体があります。

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何の説明もないのですが、カメ・・・ですね、どう見ても。
平成9年に奉納されたものだそうですが、なぜカメなのか?
頭にたくさんお賽銭を乗っけられていて、なんだかユーモラスで可愛らしい



須佐神社には七不思議があります。
その中で最も有名なのが、スサノヲが自ら水を汲み、この土地を清めたという井戸“塩ノ井”。

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海からかなり離れている場所なのに、この井戸には塩水が湧いていて、潮の満ち引きに関係して湧き出る水量が違うのだそうです。

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覗き込んで見た水は、とても澄んでおりました。


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社は入り口の右側に偏っており、これは他に例のない事だそうです。
そして、この社の参道もやはり、真っ直ぐではない・・・。


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拝殿の左から側面に回り込んでみると、境内から直接川に降りられるような小路がありました。

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須佐神社の本殿は、出雲大社と同じ大社造で、島根県の重要文化財です。

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本殿のすぐ後ろには、「大杉さん」とばれるご神木がそびえ立つ。樹齢1300年!

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近年、須佐神社はパワースポットとしてとても人気が高まっているとのことですが、その中でもこの大杉は出雲でも指折りのパワースポットとして有名だそうです。
にぽぽは帰ってきてこのブログを書くために資料を読んだりネットをググって知ったのです。遅っ!

そんな最強のパワースポットも、にぽぽが訪れたときは誰もいなくて、清らかな空気感を満喫することができました。



参拝を終えて、駐車場に戻ろうとすると、須佐神社と向かい合うようにして須佐神社の境内の先に続いていることに気付く。

20141008出雲10

須佐神社の参道が伸びているのかと思いきや、

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おねー様のアマテラスではありませんか!

神社が向かい合っているのだけども、お互いの参道が“くの字”を描き、なんとなく目線が合っていないところが、姉弟の仲の微妙さを表しているのでしょうか?
神社を笑うのは不謹慎に思えるけど、なんとなく笑えてしまう。

周囲は観光化されておらず、ただひたすら、この地にスサノヲの御霊があり続けるのだ、そんな厳かさが感じられる場所でした。


さあ!これで心置きなく出雲神話のスーパースター、オオクニヌシノミコトに参ろうではないか!
出雲大社に向けてレッツらゴー



到着、出雲大社ーーー!!

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と、その前に(え?!)
出雲大社の鳥居の前を通り過ぎ、「国引き神話」を実感できるという奉納山公園へ。


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奉納山公園への入り口もわかりにくく、ここ?という細い道を入っていくと、どんどん、どんどん、道は細くなり、

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行き止まりになって、このガードレールも無い山道をバックで戻らなくてはならなくなるのではっ!という心理状態においこまれたところで、

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駐車場!
よかったー(けれど、にぽぽの車のみ。)



「国引き神話」は、『古事記』にも『日本書記』にも出てこない、、『出雲国風土記』にのみ残されている非常に古い神話。

『 その昔、ヤツカミズオミツノノミコトという巨人神が、「出雲の国は細長くてまだこれからの国だ。どこからか国を引いてきて縫い付けなくては」と考えたそうです。
 海の彼方の新羅を見ると、国が余っているようなので、大きな鋤で土地をぐさりと切り離して、強い綱をかけると、
「国来、国来(くにこ、くにこ)」と言いながら引き寄せて、出雲の土地に縫い付けたのです。』

巨人は突然進撃を始めたのではなくて、日本の初めの頃からいたんだね(笑)。

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縫引い付けられたのが出雲市小津町から日御碕までの杵築(きづき)の岬。
その時の綱がここから見える“薗の長浜”なのだそうです。

その後も、北の方の国から、小津から東の鹿島町佐陀までの“狭田(さだ)の国”と、松江市島根町のあたり“闇見(くらみ)の国”を引っ張ってきてつなぎ、最後に北陸地方の高志(こし)の国から引っ張ってきた国が松江市美保関町のあたりの“三穂の埼”になりました。



約2000年前の島根半島は、今よりもかなり海に沈んていたと考えられています。
いわゆる“縄文海進(じょうもんかいしん)”。

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(弥生の森博物館の床に描かれた古代の島根半島の様子)

その後、寒冷化で海水面が下降し“縄文海退(じょうもんかいたい)”が始まり、。
“古宍道湾”の西部では、斐伊(ひい)川や神門(かんど)川によって大量の土砂が運び込まれ浜もどんどん広がり、現在の出雲平野となっていったのです。。
「国引き神話」は、縄文人が地形の変化を語り伝えたものが核になっているという説があります。

出雲神話って、縄文時代からの記憶を引き継ぐものなのかもしれませんね。


それにしても、日本海、きれいーーーーーっ

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昼時はお店も混むかなと思い、ちょっと早めにお昼にすることにします。
今日のお昼は絶対に“出雲そば”と決めていたんですよね~♪

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そして、出雲大社の門前に数あるお蕎麦屋さんの中で、
江戸時代後期の天明年間に創業した、200年以上続く出雲そばの老舗に行こうと、ウキウキお店に向かっておりますと、

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お店まであと170mというところで知った事実!
目当ての荒木屋さん、「水曜日定休」。
うそーっっ
(この日、2014年10月8日は水曜日っ)
ショック―――っ

他のお店は全くノーチェックだったので、どこに何があるのかもわからないまま、出雲大社の鳥居まで戻って、目に入ったお蕎麦屋さん、田中屋さんへ。

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とってもいまどきで、小粋な感じな店内。
メニューで目を引いた名前、“あご野焼”

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焼いてあるけど、東京で食べる“チクワ”よりしっとりしてるし、かまぼこ・・・よりしっかりしてる!
ちゃんとおさかなの味がするし、美味しいです。
飛魚をつかっているのだそうです。


出雲で食べたかったのは“割子そば”

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具が入っている“三色割子”を選んでみました。
思っていたよりも、一枚の割子が小さかった、お椀よりちょっと大きめって感じでしょうか。

汁を直接割子い注いで、一枚ずつ食べていくのですが、蕎麦徳利の中の全体量がわからないので、最初の一枚にどのぐらい使っていいのかが難しかった。
一枚目と二枚目が遠慮がちだったので、汁気のないお蕎麦になり、三枚目はジャボジャボに(苦笑)。

薬味のみのスタンダードな割子そばなら、一枚目の汁を次に移しながら食していけるので、初心者にはそっちの方がよかったなーというような失敗も、旅の楽しい思い出。
念願の割子そばも食べられて満足、ちょっと腹ごなしに浜の方まで歩いてみることにいたしました。



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稲佐の浜です。

『 ある時、高天の原のアマテラスは「葦原の中つ国はく私の子孫が治めるべき国です」と宣言し、アメノオシホミミ、アメノホヒ、アメノワカヒコを次々に派遣しますが、オオクニヌシに次々に懐柔されてしまい、なかなかうまくいきません。八百万の神々と相談し、タケミカヅチを送り込むことにしました。
 地上に降り立ったタケミカヅチは、伊那佐の小浜に座り込むと、オオクニヌシに「国を譲るのか、譲らないのか、否、さ?!」とせまったと言います。
 オオクニヌシは自分の息子たちに答えをださせます。一人の息子のコトシロヌシは国を譲ることに同意し、もう一人の息子のタケミナカタは「力比べで勝負を決めよう」ともちかけます。この力比べでタケミナカタは手をタケミカヅチに手を握りつぶされ、体ごと放り投げられてしまった。タケミカヅチはタケミナカタを信濃の諏訪湖まで追い詰め、諏訪から出ないことを約束させる。
 出雲に戻ったタケミカヅチに、オオクニヌシは高天の原にも届くほど高くそびえる御殿を作ることを条件に、国を譲ることを承諾したのでした。』

この「国譲り」に出てくる、高天の原まで届くほど高くそびえる御殿が出雲大社、オオクニヌシの息子のタケミナカタが逃げたのが諏訪神社なのです。


さあ、いよいよ、いよいよ出雲大社へ参りまーっす!



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神話の里出雲 いよいよオオクニヌシノミコトとご対面! その2

ども にぽぽです=*^-^*=



今度こそ、ほんとーに出雲大社へ参拝。

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祭神は、大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)。
杵築大社(きづきたいしゃ、きづきのおおやしろ)と呼ばれていたのですが、明治4(1871)年に出雲大社と改称。
正式名称は「いづもおおやしろ」なのだそうです。

オオクニヌシは国造りの神、農業神、商業神、医療神などとして信仰されていますが、最近はもっぱら縁結びの神様として有名。
スセリヒメ始めとする多数の女神と結ばれたことによるものだそうです。

オオクニヌシの正妻のスセリヒメはスサノヲの娘と言われております。
一方、オオクニヌシ本人はといえば、スサノヲ六世(一説には七世)の子孫と言われております。
出雲神話のスーパースターであるオオクニヌシなのに、生い立ちの部分が雑。
スセリ姫はスサノヲの娘なのに、肝心のオオクニヌシが六世の子孫って、いまひとつピンときません。
アマテラスやスサノヲの出生はしっかり描かれているというのに。

そんな、もやもやっとした疑問を抱きつつ、二の鳥居をくぐり長ーい参道を歩いていきます。

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出雲大社の参道は“下り参道”ということは知っていたのですが、想像していた以上の下りっぷり。
前をゆく人々の頭が、どん、どん、どんと下がっていきます。

以前にお散歩した谷保天満宮(2010.02.23の日記⇒ 谷保 ヤボテンな梅 )も下り参道でしたが、国道20号の付け替えによって神社が国道の下になってしまったという理由でした。出雲大社の参道が下っている理由はわからないのです。


参道を下りきると、進行方向左側に土俵と、その先に小さいお社が見えます。

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野見宿禰を祀っている神社です。

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この度の出雲大社平成の大遷宮でいろいろなものが新しく創建されましたが、野見宿禰神社もその一つです。
野見宿禰神社には狛犬ではなく狛ウサギがいます。

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化粧まわしをつけて、かわいい!


なぜ化粧まわしをつけているかというと、野見宿禰は「相撲の祖」と言われているからなのです。
野見宿禰は第13代出雲國造(出雲大社宮司)である襲髄命(かねすねのみこと)に別称です。

『 垂仁天皇の御代7年、当時大和国に当麻蹶速(たいまのけはや)という天下一の力人がおりました。
垂仁天皇はこの当麻蹶速に匹敵する者が他にいないだろうかと御下問になられました。その際、一人の家臣が進み出て、出雲国には野見宿禰という力人がいることを申し出ると、すぐに役人が出雲国へと遣わされ、野見宿禰は朝廷へと趣きました。そして当麻蹶速と野見宿禰による角力(相撲)が執り行われ、野見宿禰は見事に打ち勝ち、当麻蹴速が持っていた大和国当麻の地(現奈良県葛城市當麻)を与えられるとともに、以後垂仁天皇に仕えたと言います。』

このことが『日本書記』に伝えられていることから、野見宿禰は古くより相撲の祖と称えられております。
ちなみに、決り手は“蹴り殺し”

また、垂仁天皇の皇后、日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)の葬儀の時、それまで行われていた殉死を悪習と嘆じていた天皇が葬儀の方法を問うと、野見宿禰が生きた人間の代わりに埴輪を埋納するように進言したため、土師臣(はじのおみ)の姓を与えられ、その後、土師氏は代々天皇の葬儀を司ることとなったのだそうです。

土師氏の中には、姓を菅原に改めた氏もいて、その中に菅原道真がいたりします。



20141008出雲22

野見宿禰神社の狛ウサギ以外にも、出雲大社の境内には現在31羽のウサギがいるそうです。
オオクニヌシの『因幡の素兎』の話がモチーフですね。


はー・・・
まだ参道を歩いただけなのに字がいっぱい。
ここで一休みいたしましょう。


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神話の里出雲 いよいよオオクニヌシノミコトとご対面! その3

ども にぽぽです=*^-^*=



祓橋を渡って、趣のある松の参道を進んでいくと、左側に“ムスビの御神像”があります。

20141008出雲23

オオクニヌシが海の神から「幸魂(さきみたま)」と「奇魂(くしみたま)」の「おかげ」をいただき、ムスビの神様となった場面を再現しているそうで、オオクニヌシと同じポーズをして、ご本殿の方を向くと、 パワーを得られるらしい。
かなり恥ずかしい・・・。

でもね、この“幸魂奇魂”は、三輪山の大神神社(2010.09.27の日記⇒ 奈良の旅1日目 -その1- 大神神社 )の祭神、倭大物主櫛甕魂命(やまとおおものぬしくしみかたまのみこと)なんだって。

当時のにぽぽが、「大和朝廷発祥の地で大いなる神と称するのが、皇祖神の天照大神ではなく、大国主神であるというのは何故」なのだろうと不思議がっております。
未だにその謎は調べきれていないけど、なんとなくわかりかけてきたような気がしている今のにぽぽです。


出雲大社は、縁結びの神様ということで女子たちにも人気ですが、オオクニヌシのお話としては“国造り”がキーワード。

『 オオクニヌシは、海の彼方から天の羅摩船(あめのかがみのふね)に乗って現れた少名毘古那(すくなびこな)と葦原中国の国造りを行ったのです。スクナビコナは蛾の皮を丸剥ぎにした衣服をきている小さな神でした。

 オオクニヌシの知恵袋だったスクナビコナが常世国に去ってしまい、オオクニヌシが「これから一人でどうやって国を造ればいいのか」と悩んでいた時に海を照らしてやって来るものがありました。オオクニヌシが「あなたはどなたですか」と尋ねると、その光る神は「私は汝の幸魂・奇魂である。私の御魂を大切に祀っていれば、私は協力しこの葦原中国は繁栄するだろう。」と言いました。これを聞いて、オオクニヌシがどのように祀ればいいのかを訊ねると「私を大和の国の青々と垣のように廻っている東の山の上に、身を清めてお祀りしなさい」と言言ったのでした。』


寛文6(1666)年に毛利綱広が寄進したという日本最古の銅鳥居をくぐると、いよいよ拝殿が見えてきます。

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参道は、やっぱり曲がっているのでした。


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ガイドブックに載っている巨大な注連縄は神楽殿のものですが、拝殿の注連縄も、太いっ!
二拝四拍手一拝で拝礼。



拝殿を回り込み、本殿へ向かいます。

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本殿には入れませんので、正面入り口の八足門で拝礼。
八足門の真ん前に、巨大なお団子のような模様があります。

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これは平成12(2000)年に境内の調査をしたときに、ここから見つかった柱を表しています。

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柱の材料は杉で、直径1.4mぐらいの大木3本を1組にした巨大なものです。
分析の結果、鎌倉時代前半の宝治2年(1248年)に造営された本殿を支えていた柱である可能性が極めて高いとのこと。

現在の本殿は延享元(1744)年に作られたもので、高さ約24mは、日本の神社建築ダントツ一位ですが、鎌倉時代には今の倍の48mぐらいあったそうです。
平安時代に源為憲によって作られで数え歌でも「雲太、和二、京三(=出雲太郎、大和次郎、京三郎)」と歌われていて、東大寺大仏殿(当時の伝承によれば45m)や平安京大極殿より巨大であったとされています。

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古代の出雲大社は、さらに高く96mもあったと伝わっていますが、この柱の発見で、ぐっと現実味を帯びてきましたね。


調査では発掘された巨木の柱は朱塗りで着色されており、当時は全体が朱色の建造物だったことが想定されています。

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この模型は、慶長14(1609)年の本殿と境内の姿。
『杵築大社近郷絵図』などを元に復元したものだそうです。
戦国大名である尼子氏の意向によって、三重塔や鐘楼が立ち並んでいます。
本殿は高さ19m60cmに縮小され、仏教建築の影響もうけていますが、大社造りの様式は保たれていたそうです。

鎌倉時代から江戸時代の初めの出雲大社は、こんな風に朱塗りだったのでしょう。


寛文7(1667)年の出雲大社

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『御宮中惣碁盤指図』と呼ばれる当時の設計図面などをもとに復元したもの。
江戸幕府第四代将軍 家綱の時に銀2000貫(重量にして約7.5t)にのぼる幕府からの莫大な援助によって、7年をかけて大規模に建て替えられました。本殿は、高さ8丈(約24m)で、現在とほぼ同じ姿。
それまでの仏教色をとりはらい、簡素で壮大な「神の宮」が完成。

今まで朱塗りだった建物を、なぜこの時の建て替えで止めたのだろう。
朱が不足していたのかしら???
この時に朱塗りのままだったとしたら、今も出雲大社は朱塗りだったのかも・・・


本殿の東西両脇に東十九社と西十九社。

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旧暦10月の神有祭の時に全国の神様の宿舎になるところ。
にぽぽが訪れた10月8日は、旧暦にすると9月15日なので、だーれも来ていませんね。


本殿の後ろ正面にはオオクニヌシの父神とされるスサノヲを祀る素鷲社があるのですが、現在改修中でお参りはできず。
残念!
今回の旅で、すっかりスサノヲ好きになったにぽぽなのです。


本殿真後ろにもウサギ達がいます。

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ここのウサギさん達は、本殿遷座祭奉仕記念に2014年7月に設置されたもので、出雲国造の千家の方々のお名前があります。


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本殿に向かってお祈りしているウサギさんが、

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宮司の千家尊祐さんと、禰宜の千家国麿さんのウサギ。
にぽぽが訪れる2日前(2014年10月5日)の出雲大社では、国磨さんと典子様の結婚式が出雲大社で行われました。
で、にぽぽが出雲に滞在しているときに、お二人は東京で披露宴。
お祝い事と、見事なまでにすれ違いのにぽぽ!


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出雲大社の東の七口門から出て、命主社(いのちぬしのかみのやしろ)に向かいます。

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大きな神社を擁する地域には、神社に仕える神官が居住する社家通りがあったそうです。
左側が出雲の国造“北島家”の土塀で“真名井の社家通り”と呼ばれる昔からの面影を残している細道です。

出雲大社の境内と打って変わって、誰もいない!


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“真名井の社家通り”を道なりにぷらぷら歩いていくと、命主社への曲がり角。
案内板がなかったら通り過ぎてしまいそうな、何気ない細い道に入っていきますと、小さなお社が立っています。

     20141008出雲37

これが命主社。
御祭神は神産巣日神(かみむすびのかみ)で、古事記では、スクナビコナの親とされています。

小さいながら大社造りとしては、出雲大社より400年ほど古い歴史があるとされています。
江戸時代の寛文御造営の際、に境内に大石の下から銅戈(どうほこ)と勾玉(まがたま)が発見されました。その銅戈は弥生時代の九州地方によくあった青銅器。勾玉は新潟県糸魚川産のヒスイで造られていて、現在までに銅戈と勾玉が一緒に発見された例が、他にはないとの事です。

オオクニヌシは高志(北陸地方)のヌカワヒメに求婚したり、筑紫(九州地方)のタギリヒメと結婚したとありますし、その姫たちの出身地の銅戈や勾玉が命主社 から出土したということは、出雲が各地域の交流を持っていたということなのでしょうね。

     20141008出雲38

命主社の前にある大樹は、樹齢1000年(推定)のムクの木だそうです。
するっとした幹ではなく、土の上まで這い上がってきているボコボコしたこぶだらけの根が取り巻いていて、木全体が発しているエネルギーに魅了されてしまいます。



命主社の少し先にある真名井の清水。

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出雲大社の神事に関わる神聖な清水だそうです。
御祭神は弥都波能売神(みづはのめのかみ)、水の女神です。

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島根の名水百選に選ばれているそうで、お水はとっても澄んでいて冷たかったです。

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もっと知りたいぞ出雲!

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ということで、島根県立古代出雲歴史博物館へ。

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入り口のところにもウサギさんがいるっ!
そして、この博物館は、上記に出した出雲大社の模型の他にぽぽのオタク心を大満足させてくれたのでした。
オタク心を満足させた後は、お腹の満足も大事。


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出雲大社の大鳥居がある神門通りに戻ってきました。

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出雲大社前に出店したスタバにも惹かれたけどもーーー

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ぜんざい発祥の地、出雲に来たからには、やっぱりおぜんざいが食べたいと思って、“くつろぎ和かふぇ甘右衛門”さんへ。

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紅白の大福の中にはアイスクリームがギッシリと詰まっており ました。
さらに、キラキラっと、

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ハート


メニューに出雲産の紅茶があったので、出雲まみれになりたいにぽぽは、さっそくオーダーしました。

あら!

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あら、あら、あら!!

20141008出雲72

ハート

ご縁押し、徹底してるわね!


陽が沈む前にあと一か所、行っておかなくちゃいけない場所があるけど、その前に一休みです。


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神話の里出雲 そして出雲の日は暮れて

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出雲大社から再び車に乗り、昨夜食べた美味しいお魚が水揚げされる大社港を過ぎ、断崖絶壁にへばりついているようなきついカーブの連続した道をひたすら走る。

途中ほとんど一車線で車避けもないので、またもや途中の写真はなし。
ツーリングのバイクにぴったりと後ろにつかれて焦る。
一応、中型バイクの免許を持っているにぽぽなので、「四輪おせーなっ」と思っているライダーさんの気持ち、わかってます、わかってます。
だけど、ハンドルきり損ねて海に落ちるのだけは勘弁なので、慎重なる安全運転。


にぽぽが目指しているのは“日御碕神社”なのですが、どうやらまたしても、道を間違えたらしく、なんだか怪しく細い道。

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車でこの先いけるのかどうか心配なので、車から降りて歩いてみたけど、これはどう見ても無理そう・・・


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見えてきた島は、たぶん経島(ふみしま)。
天照大神が現在の日御碕神社に祀られる前に鎮座されていたそうで、現在は8月7日の例祭の時のみ、宮司だけが舟で島に渡る以外立ち入り禁止の無人島。
ウミネコの繁殖地としても有名なのだそうですが、そんなことより日御碕神社はどこっ?!


ちょうど、測量作業をしていた出雲市役所の方がいたので、道を聞く。
どうやら途中一か所、曲がるポイントがあったらしいのですが、うっかり見過ごしてきてしまったよう。


日御碕神社は、『出雲国風土記』に“美佐伎社(みさきしゃ)”と記されている古社。
神社は上の宮と下の宮の上下二社からなり、上の宮は第3代天皇・安寧天皇13(紀元前536)年に勅命により祀られ、下の宮は天暦2(948)年、平安時代中期の第62代天皇・村上天皇勅命により祀られました。
上下二社を総称して“日御碕神社”と呼びます。


江戸幕府三代将軍 家光の命により、松江藩主京極忠高が寛永11(1634)年に着手し、正保元(1644)年に松平直政が完成させたのが、今に残る建物なのですが、楼門は改修工事真っ只中のため、回廊の写真から・・・

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壁や木の切り口は白色で、柱や横木が丹塗(にぬ)りされた社殿は桃山時代の面影を残し、二つの本殿どちらも拝殿と本殿が続く権現造りです。


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楼門から正面には下の宮があり、「日沈宮(ひしずみのみや)」と呼ばれています。
祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)です。
『日の出るところ、伊勢国五十鈴川の川上に伊勢大神宮を鎮め祀り、日の本の昼を守り、出雲国日御碕清江の浜に日沈宮を建て日御碕大神宮と称して日の本の夜を護らん』
ということで、アマテラスは伊勢神宮で昼を護り、ここで夜を護っているのだそうです。


     20141008出雲66

下の宮の右手階段の上に、上の宮があり、こちらは「神の宮」。
祭神は素盞嗚尊(すさのおのみこと)です。

出雲の国造りをしたスサノヲが根の国(黄泉国)より、「吾が神魂はこの柏葉の止まる所に住まん」と柏の葉を投げて占ったところ、柏葉は風に舞いこの神社背後の「隠ヶ丘」に止まったということです。

その後、スサノヲの五世の孫、天葺根命(あめのふきねのみこと)がこの地にスサノヲを奉斎したといわれています。
五世の孫というころは、オオクニヌシが六世だっていうんだから、オオクニヌシのお父さん???


そう、この日御碕神社は、アマテラスとスサノヲが祀られているのです。


夕暮れ時にこの神社につきたかった理由。

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日沈宮の名にふさわしく、夕日が花崗岩の鳥居に沈んでいくのです。
夏至だか冬至だかのときは、鳥居の真ん中に日が沈んでいくと、日御碕灯台近くのお土産屋さんのお父さんが言っていました。

なかなか素敵な景色だったのですが、暗くなってから海沿いの道を走る勇気はないので、このあたりで出雲へ戻ります。



出雲二日目も、盛りだくさんだったなーと、この日もまた、駅前のランプの湯に浸かった後、神門で夕食。

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本日のお酒は、“出雲だより純米吟醸”
そして、“マルゴ(ブリの幼魚)のお造り”

魚食いのにぽぽなので、もーーーーーーー、お刺身が美味しすぎて悶えるっ!
今日は、徹底的にお魚と日本酒!

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真鯛と、しまあじと、サーモン、高級魚の“あこう”というお魚。
たまら~~んっ!


焼きおにぎりと、本日もやっぱりしじみ汁で〆。

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この日は皆既月食でした。

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皆既食中の赤銅色の月を、出雲で見ることができました。




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東京の西のはじっこに住んでいます。
お散歩したり、まったりしたり、美味しいもの食べて喜んだり。

2010年 江戸文化歴史検定3級・2級合格。
2014年 新選組検定3級・2級合格。
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