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備後の国 福山城  -広島県福山市ー

ども にぽぽです=*^-^*=




鞆の浦のお散歩の最後、レンタサイクルを返しに行く道すがら、目についたカフェに立ち寄ってみることにしました。

20131109鞆の浦49


築150年の醤油蔵をリノベーションしたという“鞆の津ミュージアム+Cafe”です。

20131109鞆の浦50

蔵の中にカフェスペースが作られていました。


ジャスミンとストロベリーの香りが華やかなフレーバーティ、“ジャスベリー”と“パンケーキ”。

20131109鞆の浦51

パンケーキは、バームクーヘンで有名な『CLUB HARIE』に開発してもらった粉を使っているのだそうです。
トッピングをいろいろ選べますが、にぽぽはシンプルにメイプルシロップとバターを。
飾り気のないシンプルなパンケーキでしたが、メープルシロップもバターもとってもいい味!
パンケーキも、粉にこだわっているだけあって、しっとりサックリと絶妙な味わいでした。


面白いものを発見して追加オーダーを。

20131109鞆の浦52

鞆の浦の名産品である保命酒を染み込ませたクッキーと保命酒かすを練りこんだ、“保命酒アイス”。
お散歩中に試飲した“保命酒”は薬種の味のパンチが効いていたので、アイスはどんななんだろうかとドキドキしながら食べてみましたが、思ったほどではなく、やさしい味にまとまっていました。


鞆の津ミュージアムは、障がいのある方や専門的な美術教育を受けていない方の作品を中心に展示している施設だそうです。ミュージアムの隣のカフェも、働く希望をもっている障がい者の方に働く喜びを得る場所をということを目的の一つにして 開設されたものだということを後から知りました。

でも、そういう特殊性はまったく感じない、ただただ素敵なカフェでした。




さて、鞆の浦から再びバスに揺られて30分。
福山駅に戻ってきました。

20131109鞆の浦1

駅の前には、石垣らしき建造物が・・・



ありし日の福山城。

20131109鞆の浦3


現在のJR福山駅は、元和5(1619)年に築城された“福山城”の内堀の辺りにあります。

20131109福山城1
(福山城博物館に展示されている模型)

福山城は元和5(1619)年に水野勝成によって築城されました。

備後国は安土桃山時代には毛利家の所領でしたが、関ヶ原後は東軍の勝利に貢献第一と目され、福島正則が納めることになりました。
しかしながら、福島正則は徳川幕府とすったもんだがあり改易されてしまい、その後は徳川家康の従兄弟である水野勝成が西日本の有力外様大名への幕府方の楔として備後国東南部・備中国西南部の10万石を与えられ、福山藩が成立したのでした。



20131109鞆の浦2

と、いうことでにぽぽが立っているJR福山駅南側広場には、瀬戸内海から入江を通って外堀に入ってきた船をつなぎとめる施設であった“船入(ふないり)”の遺構があります。



駅の自由通路を通って北口に出ると、いき目の前になり福山城の石垣。

20131109福山城2



目の前に見える櫓は月見櫓。

20131109福山城4

近くてびっくりしますが(笑)


     20131109福山城3

石垣フェチのにぽぽは、石垣角の算木積の勾配にしばし萌えまくる。



     20131109福山城5

力強い石垣、ら~ぶ



城址公園になっている現在の福山城の入り口は、伏見櫓のあたりです。

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この櫓は元和8(1622)年、藩主水野勝成の福山城築城にあたり、将軍徳川秀忠が京都の伏見城の一部を移築させたものだそうです。


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伏見櫓が乗っている石垣には、加工跡がついている石が目につきます。
古の人々の息遣いを感じられて、ちょっと興奮(するのはにぽぽぐらいか?)。



20131109福山城9

伏見櫓を過ぎると、いよいよ城内に入る門が見えてきます。

20131109福山城10


横に目をやれば、

20131109福山城11

福山駅のホームが同じ高さに。
ホントに駅とお城が近い!!!



筋鉄門(すじかねもん)。

20131109福山城12

筋鉄門は本丸の防衛の要であり城の格式を示す意味でも極めて重要な門です。
そのため、城門では最も堅牢とされる櫓門が採用され、門の表面は扉以外にも各所の部材が鉄板で補強されています。


防衛のためならば、本来攻めてきた敵を囲い込むように枡形に形成されていることが多いのですが、この門は正確な枡形の形状ではなく、枡形に近い食い違い虎口となっています。
福山城が建てられたのは、大阪夏の陣で豊臣家が滅び、徳川家の天下の平定が完了してからなので、機能重視というよりも形式って感じだったのかな?



余談ですが、

20131109福山城13

鞆の浦の天下の酒屋の岡本亀太郎本店さんには、福山城の長屋門が移築されていました。
明治時代の廃藩置県により福山藩が消滅、その時売りに出された福山城の門を岡本家が買ったのだそうです。

廃藩置県の時には、日本中のあちこちでお城が切り売りされたんですよねぇ。
今思えば、ちゃんと保存しておけばよかったのにとも思うけど、それが時代なんだなぁ。



20131109福山城14

筋鉄門を入れば、本来御殿があった場所ですが、今は広場に。



そして天守閣。

20131109福山城15

福山城は、昭和20(1945)年に戦災で焼け落ちてしまいました。
現在の天守閣は、昭和41(1966)年に再建されたもので、中は博物館になっております。



武者走り。

20131109福山城16

天守閣を正面に見た左側にあって、筋鉄門の櫓部分への入り口になっていますが、往時はこの武者走りに多聞櫓が建てられていたそうです。



20131109福山城17

天守閣の左側にあった石垣。
内六番櫓が乗っていたものかしら???

20131109福山城18



お城の西側。

20131109福山城19

福山藩政当時、お城の東側が町屋だったのに対し、現在野球場や美術館がある西側は、家臣の屋敷が立ち並んでいたエリアだったようです。



本丸の搦手門である棗(なつめ)門

20131109福山城20

門の木材に棗の木が用いられたのが名前の由来だと言われています。


明治時代になると棗門は取り壊されたようで、正確な時期は不明ながら石垣も崩され本丸内にクルマで乗り入れられるようされたとのこと。
また、棗門南の本丸に突出する多聞櫓も取り壊され、このあたりの本来の形状を今の姿から想像するのは難しいです。



20131109福山城21

残った石垣を懸命に支えてる小さな石の存在が、大きく心に残った福山城のお散歩だったのでした。




今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)
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