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備後の国の港町 鞆の浦  -広島県福山市ー

ども にぽぽです=*^-^*=




ものすごくというか1年以上もご無沙汰してしまいました。


お仕事もとーっても忙しくなってしまった(ありがたいことです)ので、更新もまばらになるかとは思いますが、お散歩日記を気まぐれに綴っていきたいと思っております。
そういえば・・・と、思い出したときにでも来ていただければ嬉しく思います。



と、いうことでお仕事で広島県は福山市に来ております。

20131109鞆の浦1

「福山に行ってくれる?」と、出張を依頼されて了承したものの、福山?
福島と福岡なら知ってるけども福山ってどこ(地元の皆様、どうもすみません)???
地理はさっぱりのにぽぽなのでした。



お仕事が終わっての寄り道は出張の醍醐味と思い、ググる。
ふむふむ。
尾道や倉敷も近い・・・地図をぐりぐりして、“鞆の浦”という地名を発見!!
福山は知らないが、浅見光彦シリーズファンでもあるにぽぽなので、鞆の浦という文字で連想される『鞆の浦殺人事件』。
鞆の浦なら知ってる~!

寄り道は鞆の浦に決定♪



JR福山駅からバスに乗って30分、鞆の浦に到着!

20131109鞆の浦4

鞆の浦は、古代より潮待ちの港として知られていた瀬戸内海航路の要所です。
戦国時代には、毛利氏が備後国の拠点としたり、織田信長に追われた室町幕府の足利尊氏が鞆の浦に居住したことがあったり、また幕末には坂本龍馬が立ち寄るなど、歴史的な人物とのゆかりがある場所も多いところです。
ジブリの『崖の上のポニョ』のモデル地だったり、『ウルヴァリン:SAMURAI』のロケ地でもあるそうです。


鞆の浦バス停から港の方向に歩いていきます。
前方右側は海。
瀬戸内海に島々がプカリプカリと浮かんでいます。

20131109鞆の浦5



そんな島々の素晴らしい景観を我が物にできる場所に、江戸時代の豪商・大阪屋の遺構(の一部)が建っています。

20131109鞆の浦6


真正面はに弁天島がどーんっ!

20131109鞆の浦7

たびたびこの場所に来ていた江戸時代後期の歴史家であり漢詩人でもある頼山陽は、ここから見える仙酔島や弁天島などの島々に感激し、ここを“対仙酔楼”と命名しました。



“対仙酔楼”のすぐそばの角を曲がると、江戸時代の廻船問屋・桝屋清右衛門宅が建っています。

20131109鞆の浦8

20131109鞆の浦9

慶応3(1867)年4月23日、海援隊が伊予国大洲藩から借り受けて長崎港から大坂に向かっていたいろは丸と、長崎港に向かっていた紀州藩の軍艦・明光丸が衝突し、いろは丸が沈没するという事件が起こりました。
鞆の浦で坂本龍馬が紀州藩に賠償交渉をしたとき、桝屋清右衛門は龍馬や海援隊を支援し、家を宿舎として提供しました。
   
20131109鞆の浦10


紀州藩からの奇襲(ダジャレではない)を恐れた龍馬は隠し部屋に潜んでいたらしいです。

20131109鞆の浦11
(“いろは丸展示館”の展示品)

龍馬って、どこででも隠れてるよねぇ。



崖の上にはポニョではなく、お寺。

20131109鞆の浦12


国の史跡に指定されているところだそうなので、寄ってみることに。

     20131109鞆の浦13


路地に入るといきなり狭くて、いきなり坂!

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平安中期に創建されたと伝えられる古刹“福禅寺”

20131109鞆の浦15


本堂に接する“対潮楼”は福禅寺の客殿として元禄年間に建てられたもの。
江戸時代には朝鮮通信使の一行が宿泊した迎賓館となっていました。

20131109鞆の浦16

ちなみに朝鮮通信史とは、室町時代から江戸時代にかけて李氏朝鮮より日本へ派遣された外交使節団です。

大広間の座敷から眺める弁天島・仙酔島など瀬戸内海の景観は素晴らしく朝鮮通信使の李邦彦は「日東第一形勝」と称賛したそうです。


サザエさんも訪問!

20131109鞆の浦17



20131109鞆の浦18

室内に菊のご紋が入っているのは、この寺は第62代天皇・村上天皇の勅願で建てられたと勅願寺だからだそうです。

いろは丸の賠償交渉は、この対潮楼でも行われたそうですが、いろは丸が沈んだのはどのあたりだったのだろうか、などと思いながら、瀬戸内海の絶景を堪能。

20131109鞆の浦19



鞆港の東側は以前は大可島という島だったそうです。
近世初頭に大可島を陸続きにしたため、港の海底に土砂が堆積して浅くなったり、また台風は自然の波止ではさすがに防ぎきれずに、船舶が損傷を受けたりして、いよいよ波止場の造営の必要が出て、寛政3(1791)年に、大可島下から90m、さらに文化7(1810)年には、鞆奉行・下宮左門が膨大な費用を何とか捻出し、名人・工楽松右衛門に工事を発注。波止の延長、修理を行いました。

20131109鞆の浦20


波止場の付け根から内陸側に振り返ると、高台に「船番所跡」が眺められます。
江戸時代の初め、最初の鞆奉行・萩野新右衛門重富によって造られたものです。船の出入りや安全を管理・監督する設備で、今で言う港湾管理事務所にあたります。

20131109鞆の浦21

現在、見られる船番所跡の建物部分は大正年間に新築され、昭和30年頃に建て替えられたものだそうですが、その下にあるどっしりとした石垣は江戸時代のものです。



湾岸にそって回ってきますと、波止(堤防や漁港のこと)に出ます。

20131109鞆の浦23


海にせりだした石組みの階段があります。

20131109鞆の浦24

これを“雁木”といって、満潮、干潮にかかわらず船荷の積み下ろしができるようになっています。
写真に写っている波戸の雁木は江戸時代からのもので、200mも江戸時代の雁木が残っているのは日本で鞆の浦だけなのです。



波戸のちょうど真ん中ぐらいに建つ蔵のような建物は、福山藩のお茶屋跡です。

20131109鞆の浦25


20131109鞆の浦26

藩主・阿部正弘の別邸だったところなので、瓦には“丸に鷹の羽”の阿部家の家紋が見られます。

20131109鞆の浦27



路地に入ると、タイムスリップしたように江戸時代を歩いている気になります。

     20131109鞆の浦28


重要伝統的建造物群保存地区には指定されていないのですが、幕末から昭和初期の街並みが広範囲に残っています。

20131109鞆の浦29

写真手前角のお店は『鞆酒造』さんといって、鞆の浦の名産品である薬用酒、“保命酒”を作っている酒屋さん。


20131109鞆の浦31

16種類の薬味を付け込んで作られているそうですが・・・
薬用酒といえば、ハンガリー人の友人からUNICUM(ウニクム)というものを飲まされたことがあり、その不味さ独特な味に驚いたことがあったので、『鞆酒造』さんの前を通った時も、周囲に立ち込める生薬の匂いにかなりビビりながら、すすめられるままに味見をしたところ、おおおおぉぉぉっ!

予想に反してとても美味で、お土産に購入。

20131109鞆の浦30



『鞆酒造』さんを通り過ぎ、常夜灯の方へ。

20131109鞆の浦32



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安政6(1859)年に建造された灯籠燈(とうろどう)と呼ばれる江戸時代の灯台です。
当時は油(ニシン油)の燈火で海を照らしていました。

江戸時代の港湾施設5点セットである常夜燈、雁木、波止場、焚場跡(←写真撮り忘れっ(泣))、船番所跡がほぼ完全な形で現存しているのは奇跡的で、日本で鞆港だけだそうですから、お江戸好きにぽぽとしては来たかいがあったというものです。



20131109鞆の浦34

常夜灯から『鞆酒造』さんのある路地を振り返ってみた角に建っているのは、“太田家住宅”です。
元は福山藩の御用名酒屋を務めた保命酒の蔵元“中村家”の屋敷で、明治時代に太田家の所有となったものです。

20131109鞆の浦35

“保命酒”は大阪の医師中村吉兵衛が考案した薬種です。
洪水で家財を失ったことから、備後国鞆の杜氏である万古屋の誘いを受けて鞆に移り住み、万治2(1659)年に鞆奉行の許可を受け焼酎に家伝の薬法を加えた薬酒“保命酒”の製造を始め、代々中村家が独占的に製造・販売を行っていたものでした。

文久3(1863)年、8月11日の政変で京を追わた尊皇攘夷派の三条実美ら7人の公卿が公長州に逃亡する時と、翌年の元治元(1864)年に長州から船で京都に上る際に、鞆港に寄り上陸して中村家に宿泊しています。
この際、
世にならす 鞆の港の竹の葉を 斯(か)くて嘗(な)むるも 珍しの世や
と、保命酒を竹の葉と表現して称えた歌を詠んでいます。



そろそろお腹もすいてきました。

20131109鞆の浦37

ここは“いろは丸事件談判跡。
魚屋萬蔵宅がありましたが、老朽化が進んでいたこともあり、NPO「鞆まちづくり工房」さんなどの手によって、見事、“御舟宿いろは”という旅館として再生。
宮崎駿監督のデザイン画を元に改装されたものなのだそうです。


20131109鞆の浦38

「新しい物好きだった龍馬の性格ならではの雰囲気に」という宮崎監督のコンセプトの下、伝統的な町家の窓の一部にカラフルなドイツ製ステンドガラスもはめ込まれました。



20131109鞆の浦39

中庭が眺められるテーブルに陣取り、

20131109鞆の浦40

鯛茶漬けを鯛増量で注文しました。

鯛茶漬けになじみがなく、小皿にお醤油をついで、お刺身のように鯛を口に入れて・・・
しょっぱーーーーっ!

すでに、味がついておりました。
塩麹に付け込んだような感じ、鯛の身もコリっと引き締まっていて、お醤油不要です。


ご飯が三分の一ぐらいになったところで、アツアツのだし汁をかけて

20131109鞆の浦41

大葉やゴマ、ネギの風味も相まって、美味しいこと♪
大満足のお昼ご飯でした。



“御船宿いろは”にほど近いところにある、“鞆の津の商家”

20131109鞆の浦42

江戸時代に繁栄した鞆の典型的な商家の建物だそうです。


     20131109鞆の浦43

土蔵の基礎には、こーーーーんなに長い石が使われています。
これだけの石を集められただけの財力があったということですね。



さて、港を離れて内地側に行ってみると、京都の寺町のような風情。

20131109鞆の浦47

海からいきなり急峻な山がせり上がっているのは、日本独特の光景です。
日本は島国であるとともに、国土の約73%を山地が占める山国でもあるということを実感します。



山中鹿介という戦国時代の武将の首が葬られたという首塚

20131109鞆の浦44

衰退して行く尼子氏の復興を夢見る忠臣の鏡として、また非運の武将として重なって講談など によって「山中鹿之助」として後世の人気を得ることとなった人物らしく、
「三日月よ、我に七難八苦を与えたまえ」
の宣誓はかなり有名だそうです。
(戦国萌えではないため、反応が薄いにぽぽでありました。)

それにしても、どういうシーンでかは知りませんが、自らか七難八苦を与えたまえだなんて、ちょっとマゾっ気入ってますか?



その首塚のほんのちょっと先に橋とも思えない幅の“ささやき橋”が架かっています。

20131109鞆の浦45

百済よりの使節の接待役であった“和多利”と官妓“江の浦”はこの橋で恋をささやきあい、役目を疎かにした罪で海に沈められたというお話が伝わっているそうです。


     20131109鞆の浦46

百済というと、奈良時代?飛鳥時代??
えっらい昔の悲恋の話が残っているもので驚きですが、この橋の袂は民家の物干し場に向かっていますが、この下に存在するであろう川はいったいどこにどう流れていっているのでありましょうか・・・。




最後の目的地は、山の中腹に社を構える“沼名前神社ぬなくまじんじゃ)”

20131109鞆の浦48

笠木の両端に鳥の寝床という意味の“鳥衾(とりぶすま)”が付く鳥居は他に類がなく、日本でここだけの物だそうです。

大綿津見命を主祭神とし、須佐之男命を相殿に祀る海の神様です。
鞆祇園宮(ともぎおんぐう)とも呼ばれ、地元では「祇園さん」と呼ばれていて、京都の祇園神社(八坂神社)の元社に当たるとのこと。

参道の階段をえっちらおっちら登って拝殿で手を合わせていると、聞こえるのは風が渡る音だけ。
自然と一体になったような不思議な心持になりました。


過去と現在、伝説と現が入り混じる不思議な魅力を感じられる鞆の浦のお散歩を満喫いたしました。


鞆の浦をゆっくり歩いて回るには一日かかるかと思います。
今回、にぽぽは寄ることができませんでしたが、仙酔島には温泉がある素晴らしい宿もあるので、一泊するのもいいですね。
あくまで、出張がメインであったにぽぽは、今回レンタサイクルを借りて散策をしましたよ。


今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)
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Author:にぽぽ
東京の西のはじっこに住んでいます。
お散歩したり、まったりしたり、美味しいもの食べて喜んだり。

2010年 江戸文化歴史検定3級・2級合格。
2014年 新選組検定3級・2級合格。
たまに歴史と新選組のオタク日記になります。

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