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日本橋 失われた川を求めて その1

ども にぽぽ です=*^-^*=




日本橋三越でお昼ご飯を食べた(2012年2月24日の日記⇒ 日本橋 お江戸のへそ )後のお散歩であります。


201201日本橋散歩1

日本橋三越本館と中央三井信託銀行の間の通りを歩いていこうと思います。


江戸時代の景色はこんなでした。

     201201日本橋散歩2
安藤広重 『名所江戸百景』 する賀てふ


通りを挟んで越後屋があり、正面には堂々たる富士山が見えました!



この辺りは、天正18(1590)年、徳川家康が江戸に来てすぐに造成された町割です。
地子免除(地租税ととらない)として、伊勢、大阪、京都、堺、奈良、近江、三河などから商人や職人の進出を奨励して、江戸の商工業の中枢となったエリアです。
今でいう、特区ですね(^^


中央三井信託銀行の裏手には、江戸町方の総とりまとめ役、今でいう東京都副知事のような役割である“町年寄”を務めた樽屋(代々藤左衛紋を襲名)の住居兼役宅がありました。

“町年寄”は樽屋の他、奈良屋(現在の日本橋石町の住居、市右衛門襲名、後に館の姓を許される)、喜多村屋(日本橋室町2-4辺りに住居、彦右衛門を襲名)があり、この3家が世襲して幕末まで務めたそうです。

樽屋は、三方ケ原の合戦(長篠の合戦という説もあり)の時に、徳川家康に酒樽を献上したことから、“樽屋”の屋号となったそうで、“町年寄”の筆頭であり、関東33ヶ国の升、樽改めの特権を与えられていたとのこと。
樽屋の刻印のない升、樽の使用は禁じられていたので、その方からの収入もん莫大なものだったそうです。



201201日本橋散歩4

中央三井信託銀行の建物を過ぎた次の区画にあるのが、日本銀行です。
日本のお金を作っているところですが、江戸時代にもお金(金貨)を作っていた“金座”があったところです。



日本銀行を過ぎたところは常盤橋交差点。

201201日本橋散歩5

201201日本橋散歩6

正面の高速道路の下は日本橋川が流れていて、向かって右に常盤橋(写真の字の新常盤橋は間違いです、すみません!)、左に一石橋となりす。
物流を船に頼っていた江戸時代は、ここは水路のターミナル・ポイントでした。



一石橋です。

201201日本橋散歩7

一石橋の名前の由来は、北橋詰に金座御用の“後藤庄三郎”の屋敷があり、南橋詰に御用呉服商の“後藤縫殿助”の屋敷があったので、「五斗+五斗で一石」ともじった洒落から名付けたと伝わっています。

この手のダジャレ、多いですよね江戸時代って(笑)



現在はもちろんコンクリートの橋になっていますが、この橋って、桁下がえらく低いのですよ!

201201日本橋散歩8
(これは日本橋クルーズの時の船からの写真)

満潮時は、橋の下を船が通るのは厳しそうな感じです。



話を江戸時代に戻しまして、一石橋は、「八つ見橋」や「八橋」とも呼ばれていました。
先ほど、この地点はターミナル・ポイントであったと書きましたが、この一石橋で日本橋川は外堀とつながり、さらに江戸城に物資を運び入れるために掘られた道三掘りとつながっておりました。

201201日本橋散歩9



橋上に立つと自身も含めて八つの橋(外濠の常磐橋・呉服橋・鍛冶橋、日本橋川の一石橋・日本橋・江戸橋、道三堀の銭瓶橋・道三橋)が見渡せたことが由来で、江戸の名所のひとつだったのです。

     201201日本橋散歩10
安藤広重 『富士三十六景』 東都一石ばし

絵の手前が一石橋、次に見えているのが道三堀の銭瓶橋、その向こうに小さく道三橋、さらに江戸城が見えたのですが、

201201日本橋散歩11

現在は川の上は高速道路だし、道三堀が埋め立てられて銭瓶橋はないし、ビルが建てられてしまい江戸城はもちろん見えないし(涙)。



     201201日本橋散歩12
安藤広重 『名所江戸百景』 八ツ見のはし 

江戸の頃の景色がまぶしい~っ(><)



一石橋を渡った南詰めには、正面に「満よひ子の志るべ(迷い子のしるべ)」と書かれた石標が残されております。

201201日本橋散歩13

江戸期の後期、この付近はかなりの繁華街で、迷い子が多く出たそうです。
当時は迷い子は町内が責任を持って保護するという決まりがあり、付近の有力者が世話人となり安政4(1857)年2月に「満よひ子の志るべ(迷い子のしるべ)」が建てらました。


左側には「たづぬる方」、

     201201日本橋散歩15

こちらの窪みに迷子や尋ね人の特徴を書いた紙を貼ります。



標の右側には「志(知)らする方」、

     201201日本橋散歩16

「たづぬる方」の紙を見た人の中で心当たりがある場合は、その旨を書いた紙を「志(知)らする方」の窪みに貼って迷子、尋ね人を知らせました。

このほか浅草寺境内や湯島天神境内、両国橋橋詰など往来の多い場所に数多く設置されたようですが、現存するものは一石橋のものだけです。




201201日本橋散歩17

「満よひ子の志るべ(迷い子のしるべ)」を背にして、JXビルと日本ビルジングの間。
ここは江戸時代の道三掘りの上にあたります。

201201日本橋散歩18

この辺りに架っていた“銭瓶橋”の説明板があると噂を聞いたので、しばし探してみましたが発見できず、ビルのガードマンさんに不審な目で見られてしまいました(またしても・・・汗)。

天正19(1591)年に伊勢出身の与市という人が、銭瓶橋のたもとで銭湯風呂を営んだことが記録として残っております。
江戸の銭湯第一号なのですが、なーんの名残もありません、なんか残念。
ものすごく江戸城に近いこの場所で銭湯だなんて!
名づけるなら絶対、「将軍の湯」で決まりなのに(笑)。



ビルの間を歩いて、正面が永代通り。

201201日本橋散歩19


ほぼ正面の太陽が反射しえいるのが、ホテルメトロポリタン丸の内で、東京駅の日本橋口の辺り。

201201日本橋散歩20



ここを左に行くと、すぐに永代通りが外堀通りとぶつかる呉服橋交差点になりますが、その辺りに架っていたのは、もちろん呉服橋。

201201日本橋散歩21

呉服橋を渡った先、現在のグラントウキョウノースタワーの辺りにあったのが北町奉行所です(2010年3月5日の日記⇒ 東京 龍馬伝 )。




201201日本橋散歩22


そんなに距離は歩いていないのですが、江戸時代の地図と現在の地図を見比べながらのお散歩は骨が折れます(笑)。

201201日本橋散歩23

甘いもの補給して、脳ミソを一休みさせるとしましょう!



日本橋町人地 1

江戸のオタク散歩、次回に続きます!
今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)
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2012年の常磐橋

ども にぽぽ です=*^-^*=





前回のお散歩から、ちょっと寄り道になりますが・・・。


201201常磐橋1

一石橋から外堀を上流に向かうと、“常盤橋”、“常磐橋”、“新常盤橋”というふうに、“ときわばし”が三つ架っております。


江戸時代から外掘りに架っていたのは、真ん中の“常磐橋”になります。

201201常磐橋2



江戸城の城郭門 「常磐橋御門」 の 見附橋 として架けられたもので、創架時期は定かではありませんが、見附が出来たといわれる寛永6(1629)年よりも以前から橋はあったようで、一説には天正18(1590)年とも伝えられているそうです。

201201常磐橋3



大手町側には 枡形門 の石垣跡が残っています。

201201常磐橋4

この門は、“日光街道(奥州街道)”に向う主要ルートであり、将軍家や水戸徳川家も利用する重要な見附でありました。

この橋も、もとは下に皿の“常盤橋”でしたが、皿は割れるのでよくないので改名するよう、町年寄の奈良屋市右衛門が命ぜられ、市右衛門は自宅に寄宿していた浪人に頼んで橋の名を考えてもらい、下が石の“常磐”という名を献じたそうです。



江戸時代にはむろん木造の橋でしたが、明治10(1877)年、廃止された常磐橋門の石垣の石を流用して石橋に改築しました。
日本橋よりも古い、都内随一の貴重な洋式石橋なのです。



現在は史跡として保護されつつ、車の通行はできませんが、歩行者は渡れるという情報を得ていたので、渡るのを楽しみにしていたのですが、

201201常磐橋6

なんと、通行止めに!!



橋の下から見ると、その理由は一目瞭然。

201201常磐橋5
(日本橋川クルーズの時の写真です。)

2011.03.11に起こった東日本大震災の時、常磐橋の石もあちこちずれてしまったのだそうです。

この石が一つでも落ちてしまうと・・・御想像の通り、その横、さらに横とつぎつぎに石が落ちて、橋が崩落してしまうのです。
現在、橋の下にはセンサーが付いていて、石が少しでも落ちると千代田区役所にブザーが鳴るようにして管理しつつ、修復を待っております。

日本橋川クルーズで、この橋の下を通る時は、かなり怖かったです。



大手町側にある常磐橋公園から見たところ。

201201常磐橋8



枡形門 の石垣も、番号が書かれたシールが貼られて、専門家らしい人が調査に来ていました。

201201常磐橋7

見た感じではわからないけど、やっぱり地震でなにか被害がでたのかな?



201201常磐橋9

東日本大震災から1年がたちました。
思わぬところで、地震の被害を見ることになり、改めて、あの地震のすざましいさを感じたのでした。





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日本橋 失われた川を求めて その2

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さて、日本橋からのお散歩に戻りましょう。



永代通りを西へ。

201201日本橋散歩24



埋められてしまった道三掘りの名残を探してみます。

201201日本橋散歩25



東京都千代田区大手町2-2-1の新大手町ビルジングと野村ビルの間の通り。

201201日本橋散歩26


ちょうどこの通りが、道三掘りに架っていた道三橋の跡になります。

201201日本橋散歩27
 



道三橋を越えて、永代通りを進めば、そこは江戸城大手門。

201201日本橋散歩28


永代通りに並行するようなイメージで道三掘りがあって、江戸城まで続いていた・・・現在の景色からはまったく想像もできませんねぇ・・・。



201201日本橋散歩29

道三橋跡のすぐそばでは、建っていた古いビルを壊し、新しいビルへの建て替え工事が進行中。
そして、永代通りの地下では、なにやら地下鉄の工事が行われているらしい・・・今の東京の景色も、騒音をたてつつ静かに、静かに、変わり続けているんだな~。




永代通りを戻って、再び銭瓶橋跡の辺りへ。

201201日本橋散歩30



さらに、進んで外堀通りとの呉服橋交差点から、今度は外堀通りに入ってみます。

201201日本橋散歩31



外堀通りは、言わずと知れた、江戸城の外堀を埋めて道路にしたところ。

     201201日本橋散歩33

呉服橋交差点のあたりは、道路より歩道が高くなっているところがあり、道路に降りる階段がなんとなく小さい船着き場のよう。



やがて進行方向右手に見えてくるのが、東京駅の八重洲口。

201201日本橋散歩34

八重洲の地名は、慶長5(1600)年に日本に漂着し、徳川家康に重用されたオランダ人ヤン=ヨーステン・ファン・ローデンスタインの屋敷があったことから、和名「耶楊子(やようす)」をもじってつけられたと言われています。



201201日本橋散歩35

八重洲口のグリーン地帯の中には、記念プレートもありますが、ヤン・ヨーステンの屋敷があったのは、現在の東京駅の西側、江戸城の和田倉濠に沿った辺りだったようで、江戸時代の地図には、和田倉濠のところに“八重洲河岸”という文字が見えます。

また、八重洲口の辺りに架っていた八重洲橋は明治時代になってから架けられたので、江戸時代はこの場所には橋はありませんでした。



お散歩も、もう終盤。
張り切って、外堀通りを南に進んで行きましょう!

201201日本橋散歩36



ビルが途切れた鍛冶橋交差点。

201201日本橋散歩37

ここにあった鍛冶橋を渡り、ほぼ正面に見えるガラス張りのビルの東京国際フォーラムの辺りにあったが土佐藩の上屋敷。
坂本龍馬も立ち寄りました(2010年3月5日の日記⇒ 東京 龍馬伝 )


もう銀座1丁目のあたり。

201201日本橋散歩38



そのまま進むと、JR有楽町の駅の近く、数寄屋橋交差点です。

201201日本橋散歩39


鍛冶橋の次に外堀に架かるのは数寄屋橋でした。

201201日本橋散歩40



数寄屋橋を渡ったところには、南町奉行所がありました(2010年3月12日の日記⇒ 遠山の金さんと龍馬の有楽町で逢いましょう♪ )。

201201日本橋散歩41


外堀と江戸城の間、現在の東京駅の辺り一帯は、大名小路と呼ばれた、今でいう官公庁街だったので、江戸時代が終わった明治時代初期には、大名屋敷に詰めていた人たちはみな地元に帰ってしまい、ほとんど無人の状態。
その広大な屋敷や奉行所の土地を活用して、明治政府は一気に近代化を進めることができたのでした。

だから、交差点に外堀に架っていた橋の名前が残っている以外、江戸時代の名残を探そうと思ってもな~んにも見つけることはできないのです。

そして、常に変化し続ける東京の景色、数年後にここを歩いたら、また違った景色になっているのかもしれません。




変わり続けていく街並みで、引き継がれていく江戸もあり。

201201日本橋散歩42

銀座あたりのお寿司屋さんへ入る勇気がなく(汗)、駅近の回転寿司へ。
江戸時代、お寿司は屋台で提供される庶民の食文化だったのですから、これも立派な江戸文化でしょう。

それにしても、回転寿司でも八海山が飲めて、お寿司もそこそこなものが出てくる日本って、素敵よねーと、カウンターで隣り合わせたフランス人3人のツーリストがお寿司を楽しんでいるのを眺めつつ、お酒をすするにぽぽなのでした。



日本橋町人地 2


ビルばっかりの写真で、何が何だかわかりませんでしたね、これは(汗)
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別れのキス、それはネギの味

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本日は旧暦だと3月4日です。



3月の行事といえば、上巳の節句(雛祭り)

今年は寒いけど、例年なら今頃は梅の花も咲きそろい、そろそろ桜も・・・なんていう感じ。
旧暦だと、そんな時期が雛祭りなのですね(^^



3月4日には、お雛様に“あるもの”を供え、それを食べてからお雛様を仕舞うという習慣がありました。

201203アサツキなます

何かといえば、“お蕎麦”と“浅葱鱠(あさつきなます)”です。


お蕎麦は“節句蕎麦”という呼ばれ方をしたらしいです。
ちょうど大宰府に行った友人から“梅蕎麦”が送られてきたので、ほんのりピンクの季節感ぴったりのお蕎麦をいただくことができました(^^

もうひとつの“浅葱鱠”は、浅葱とアサリやハマグリなどの貝のむき身を茹でて、酢味噌で和えたものです。
アサリのむき身がなかったので、今回は青柳を使いましたけど(^^;

“潮干狩り”の時期でもあるので、お江戸の住民は品川の辺りで獲って来たアサリやハマグリを使ったのかもしれません。




さて、お江戸の頃にはこの日にもうひとつ、“出替わり”という行事がありました。


お江戸の頃のお仕事には、いろいろな形態があったのですが、武家奉公と下男・下女のような召使奉公は1年~半年の期限付きである“出替わり奉公”という形態がとられていました。



武家奉公とは、“若党”“中間”“草履取り”というような武士の中でも下級身分のもの。

武士は知行地と地位に相応した家臣と奉公人を抱える必要があったのですが、太平の世が続き、武士が城下に居住して消費生活を営むようになると、武家の経済生活も合理性が求められ、下級奉公は譜代(召抱え)から有期のものになっていったそうです。

当初、江戸幕府は武家における出替わり奉公を禁止していましたが、時代の変化により承応2(1653)年に出替わり奉公の制が設けられ、その期日は3月5日から3月4日までと決められたのでした。


なんだか、派遣社員が多くなっている現代の状況と似ていますね。



3月4日に出される“浅葱膾”は、奉公先での最後の食事でもあったのです。



奉公先で始まった恋も、この日で終わり。

「なみだあめ あさつきくさい 口を吸い」

なんていう川柳も残っています。
ネギの臭いはなかなか無くならないですからねぇ・・・別れのキスは、浅葱膾を食べる前にしておくべきかと(笑)


奉公人同士の淡い恋であれば、ノープロブレムでありますが、女性奉公人と旦那や若旦那だったらば・・・

「ああつきの なますしんぜて 首を抜き」
(雛人形の首を抜いて仕舞うのと、奉公人を首にするのをかけている訳です)

とばかりに、「あさつきなますでたたき出す!」事になる訳です。




3月は、出会いと別れの季節、今も昔も変わらないようですね。
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東京の西のはじっこに住んでいます。
お散歩したり、まったりしたり、美味しいもの食べて喜んだり。

2010年 江戸文化歴史検定3級・2級合格。
2014年 新選組検定3級・2級合格。
たまに歴史と新選組のオタク日記になります。

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