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大阪 市中見回り! その1

ども にぽぽ です=*^-^*=





大阪にきております~!

201110大阪1

なんて・・・
実は、ほぼ一ヶ月前の10月7日のことなんですけどもね(^^;
三連休前の金曜日だというのに、夜間まで及ぶ業務で大阪へ出張だったのです。

一泊した翌日。
せっかく来た大阪ですし。
ここはやっぱり、新選組ゆかりの地を見まわらなくてはイカンでしょう♪

大阪にだって新選組の足跡はあるんですっ(>m<)。
久しぶりの更新だというのに、いきなり新選組ネタです、ええ、今だビョーキ衰えずです。



201110大阪2

“大阪のおばちゃん”を意識して、ゼブラ模様のストールに蛇革風のヒール。
市中見回りにむかないヒールだけど、お仕事帰りだから仕方ない・・・。




さて、市中見回りの最初の地は、新選組大阪上陸の地が相応しかろうと、大阪八軒家浜へ。

201110大阪3

江戸時代には八軒の船宿などが軒を並べていた事から八軒家浜と呼ばれ、淀川流域の船着き場として賑わっていた場所です。

201110大阪4

京の伏見と八軒屋の間は三十石船が上り一日、下り半日で運航し、貨客輸送の中心を占めていました。
新選組は大阪にも屯所を置いていましたので、この三十石船を利用して行き来していたのでしょう。



201110大阪5

明治43(1910)年に京阪電気鉄道が天満橋と京都五条間に開通すると、八軒家は貨客輸送の役目を終え衰退してしまいましたが、現在、水の港大阪再生の取り組みで、京阪電鉄天満橋駅と直結し、おしゃれなカフェもある『川の駅』として観光船の乗り場になっております。



201110大阪6

江戸時代の八軒家浜は、現在の土佐堀通りに沿っていたようで、写真にある昆布の永田屋さんの辺りであったようです。


     201110大阪7

永田さんの店先には、八軒家の歴史がわかるパンフレットが用意されておりました。
一人一冊いただくことが可能ですが、ものすごい造りのいいパンフレットで、無料でいただくのが申し訳ないぐらいの品でした。すばらしい!



201110大阪8

永田屋さんの隣は駐車場になっておりましたが、この石垣!
土佐堀が川だったときの名残かとも思えるような風格ですけども、高低差がものすごい。



     201110大阪9

石垣を左に見ると、ところどころ踏面がくずれている階段。
当時はこの階段を使って船着場から通りへ上がっていたようです。
新選組の大阪での定宿、“京屋”さんも、この階段を上がったところにあったという説があります。

と、いうことは!
土方さんもこの階段を上がったーーーーーーっということかっ!!
と思うと、一段一段が愛おしいく、頬ずりしたい衝動にかられます(かられるかっ!)

この階段はそうとう古そうではありますが、江戸時代からのもの、とは思えませんし。


201110大阪10

階段を上がりきると、今は公園になっております。
ここを左にまーーーっすぐいけば、10分たらずで大阪城。




201110大阪11

大阪城の大手門近くにあるのは合同庁舎ですが、江戸時代、ここには東町奉行所がありました。
江戸時代の役所の跡に現代の役所、なんとなく感慨深い。


     201110大阪12

ちょうど歩道が工事中で、奉行所の碑のところにいた警備員の方にどいてもらって(爆)写真撮影(^^;



201110大阪13

大阪城の大手門近くの石垣は、江戸城に比べてはるかに堅牢。
さすがは豊臣の牙城だわぁ~、と感動しながら歩いていたら、今の大阪城は徳川の時代になってから造りなおしたものなんですってね(汗)



     201110大阪14

登城を前に、ソフトリーム。
実はこのとき、チョーーー咳風邪で呼吸器をゼロゼロさせながら歩いていたので、喉に冷たいソフトクリームが美味しかった(T T)

咳が一ヶ月もとまらなかったので、
「も・・・もしかして、労咳(←沖田総司の持病)?!」
と一人で盛り上がっていたのですが、時を同じくして、にぽぽの同じような症状の風邪に罹っていた総ちゃん好き新選組病の同士が、やっぱり「労咳かも・・・」と思っていたという、さすが病気の症状の出方が同じ(笑)。
いや、本当に結核だったら笑っていられないから、とりあえず検査しとけって話ですよね(反省)。



いざ、登城!

201110大阪15

歩いていたときは、すっかり豊臣の城だと思っていた訳ですけど、こうして見ると、大手門も江戸城そっくり。


が、江戸城にはない、すざましいものがこれ!

201110大阪16

大手門脇の巨石!



そして、枡形門の中の・・・


どーーーんっ!

201110大阪18


巨石~~っ!!


201110大阪17

讃岐小豆島産の石で、ここの工事を担当した熊本城主・加藤忠広が寄進したものです。
はぁ~、でかい。



本丸跡に向かって歩いていきます。

201110大阪19

大阪城の城主はというと、歴代の徳川将軍でした。
慶応3(1867)年12月9日に宣言された“王政復古”の後、京の二条城を離れた徳川15代将軍・慶喜は、13日に大阪城に入りました。

18日に伏見藤森のあたりで銃撃された近藤さんも、労咳がひどくなっていた沖田総司と共に、後に二の丸に運ばれ養生にあたっています。



     201110大阪20

本丸目前の桜門を入ると、その正面にまたしても巨石!!

こちらは、寛永元(1624)年に岡山城主・池田忠雄が寄進した、備前(岡山)産の花崗岩で、なんと36畳ぐらいの大きさ!!
ひゃーーーっ、こんな石が採れたんですねぇ。


巨石に魅せられすぎて、話がそれてしまいましたが、新選組が始めて大阪城に入ったのは、慶応4(1868)年1月7日。
ところが慶喜はその前日に、家臣をもだまして江戸に逃げ帰ってしまっていたのでした!
ああ~っ、どうしても許せない慶喜の行動(2009年3月18日の日記⇒ 浜離宮 将軍家の庭園 )

一旦城に入った新選組は、再び城を出て、八軒家に宿陣したとのこと・・・。



ということで、土方さんの足跡としてはそれほどでもない大阪城だったのですが、別の視点では見所満載。
またの機会に、大阪城だけでじっくり見物してみたいと思って見上げた天守閣なのでした。

201110大阪21

ちなみに、
天守閣は寛文5(1665)年に焼失してしまったので、土方さんはこの景色をみておりません。
天守閣が再建されたのは昭和6(1931)年。
初層から四層までは、徳川時代の白漆喰塗籠、五層目は黒漆に金箔の豊臣時代の外観となっています。
この徳川・豊臣折衷城はいろいろ議論があり、豊臣時代に統一すべきという意見もあるそうです。

大阪ではやっぱり“太閤さんの城”なんですねぇ。
にぽぽも、実は黒いお城の方が好きです。松本城とか、熊本城とか、ら~ぶ♪




大阪城を後にして、さっきの階段のところまで戻ってまいりました。

     201110大阪22

江戸時代は、ここから見下ろすと土佐掘。
水の流れの気持ちのいい景色だったろうな。

なとど思いながら、さらに西に進むと、

201110大阪23

高麗橋。
幕府が管理する御公儀橋のひとつでした。


     201110大阪24

そして、ここは西日本の距離を測る基点になったところだそうで、橋のたもとに“里程元票跡碑”がありました。
東京でいう、日本橋みたいなものだったのでしょうかねぇ。



この先、ただのビルを見ては妄想しまくりの、マニアックな街歩きが続きますが、一旦休憩です。

大阪市中見回り20111008
(地図はクリックしてフル画面にしていただくと、大きくなると思います。)




コメントをお返しする余裕がなさそうなので、コメント欄は閉じておきますねm(_ _)m
今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)
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東京の西のはじっこに住んでいます。
お散歩したり、まったりしたり、美味しいもの食べて喜んだり。

2010年 江戸文化歴史検定3級・2級合格。
2014年 新選組検定3級・2級合格。
たまに歴史と新選組のオタク日記になります。

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