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風邪の予防

ども にぽぽ です=*^-^*=




まだ学生の頃のこと。
濡らしたタオルを一心不乱に振り回す姉(にぽぽ)を目撃したイモ(妹)。

風邪予防
(イラストはクリックすると大きくなると思います)

前々から普通とは言えなかった姉が、とうとうキタかと思い、おそるおそる「何をしているのか」と、問うイモに、


「こうして濡れたタオルを振り回すと、タオルにあたって、風邪の菌が死ぬのだ!」


と、どっかから聞きかじった知識を、偉そうにイモに説明したものであった。




根が素直なイモは、一家の中で暴君として君臨している姉の知識に感心し、次の日に学校で披露したが、


「風邪の菌がタオルにあたって死ぬなんて、アホなことがあるか!」


と、ことごとく笑いものになったらしい。



それから幾年。
風邪の予防法をネットでググってみたら、濡れタオルを振り回すのは有効な手段であるという情報がヒットした。
姉の言う事は正しかったようだぞ、イモよ!

ただし、風邪の菌がタオルで殴り殺される訳ではなく、部屋の湿度が上がることで、風邪の菌の繁殖が抑えられるという事。
ちょっと惜しかった。



そんな思い出話はおいといて。
風邪の季節ですね。



にぽぽの対策は、手洗い、うがい、マスク。
でも、インフルエンザの予防接種は受けていません(注射きらい←そういう問題っ?!)。
去年と同様に、絶対かからないという気合と、近くでゴホンッなどとする人がいたら、

「菌を撒き散らすんじゃねー」

と、ガンを飛ばすという対策で乗り切るつもりです。



その他は・・・。
にぽぽのカバンに入れてあるものをご紹介しましょう!



まずは、“葛根湯”

DSCN9316.jpg

基本的に、葛根湯が好きです(笑)
漢方薬の中では最も知名度があるものかと思いますし、2000年以上前からある薬であります。

「でも、あまり効かないよねー」って言われますが、葛根湯好きとして正しい飲み方を主張させていただきます。


東洋医学では、風邪(邪気)は首の後ろ(風門)から入り、背中(風池)にとどまり、そこから勢力を拡大させると言われています。
体を温める葛根湯は、この初期段階で、汗をかかせ風邪を攻撃するものです。

なので、
ゾクっとして、もしかして、なんとなく・・・風邪ひいちゃったかな?
というタイミングで、すぐに飲むのがよいのです。


葛根湯は肩こりや筋肉の痛みにも効果的なので、万が一風邪じゃなかったとしても、肩こりや筋肉疲労に効いたと思えばいいでしょう(笑)



熱っぽい、喉が痛いという段階にきてしまったら、もう葛根湯は効きません。
そうなった時のために“板藍根(ばんらんこん)”

DSCN9315.jpg


右側の粉末のタイプは、水やお湯に溶いて飲む、または、普通に薬のように飲みます。

“板藍根(ばんらんこん)”は、アブラナ科の植物の根を乾燥させた生薬で、清熱解毒(せいねつげどく)、涼血利咽(りょうけつりいん)の効果が有ります。
要するに、抗ウィルス、抗菌で、熱や咽の痛みを抑えます。

写真のものは、薬ではなく栄養補助食品の扱いですから、健康食品売り場などに行けばあると思います。


左側のタイプのように、飴になってるのもありました。
ちょっと咽がイガイガする・・・という時にいいですね。



さらに、咳止めにはだんぜん、レンコンです!

     DSCN9317.jpg

レンコンは、肺を潤し、肺の熱を取る効果があります。

レンコンを皮のまますり下ろし、キッチンペーパーで絞った汁を飲みます。
ちなみに、これは二日酔いにも効果があるそうです。



これからの忘年会の時期、咽や胃腸にいい大根と共に、レンコンを常備しておけば万全!




疲れたナーと思ったら、無理せずに休む!これが一番大事ですね!
今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)
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theme : ダイエット・美容・健康
genre : ライフ

池上 ごまの店 いい友?!

ども にぽぽ です=*^-^*=




東急池上線の池上に来ております。

ここは、にぽぽの父方の祖父母の家があるんです。
子どもの頃、毎年親戚一同で初詣していた池上本門寺は、勝海舟と西郷隆盛の江戸城引渡しの会談が行われた場所であった!


池上本門寺
     DSCN9324.jpg

あの頃は、そんな事知らなかったけどなぁ。
今日は、祖父の用事で来ているで、見所いっぱいの本門寺のお散歩は、またの機会にじっくり計画するつもり♪



本門寺門前の商店街は、とっても昭和な雰囲気で和む~。

     DSCN9325.jpg



名物の葛餅をお土産に買って帰ろうかなと歩いていたら、お?!
おばちゃまがはみ出すほど、大繁盛しているお店がありました。

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ごまのお店 いい友?

ごまの専門店であるらしいですが、いい友って?
あやしい(--;)



小さい店内、胡麻商品にあっちからもこっちからもお客さんの手が伸びて、からまりそうな勢い!

お店にいた正味10分ぐらいの間に、お店の方が、

「どーぞ!そちらのお客さんもどーぞ!」

って、飲み物(胡麻とキナコを牛乳で溶いたもの、美味しい♪)をサービスされ、胡麻の飴も渡され、すごいの!
なるほど、おばちゃまのハート鷲づかみね(^^



魅力的な商品ばかりで、にぽぽのテンションもアーーーップ!!
手にしたカゴに、次から次へと商品を入れておりました。

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胡麻まみれになっているアジ、イワシ、ワカサギは、佃煮なのかなんなのかカテゴリがわからないけど。
人気No.1というイワシから食べてみました。

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美味しっ!!
しかも骨ごと食べられて、体にも美容にもよさげ♪


今日は、重そうな胡麻油や胡麻ドレッシングを買ってこれなかったけど、海苔巻きみたいな形の胡麻おはぎとか、ごま石鹸とか、買いたいものが沢山あったので、本門寺お散歩の時には買出しリュックを背負って来ようと決意しました(笑)




あ!お取り寄せができるらしいです(⇒HP )

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theme : 美味しかった♪
genre : グルメ

大森 ここが始まり、大森貝塚

ども にぽぽ です=*^-^*=




池上での用事を済ませて、時間はお昼。
お腹が減ったんだけど、おじーちゃんの家に行く時には、いつも車だったので、池上の駅前って、全くなじみが無い。
駅前のマックぐらいしか知らないのよねーと思いながら、駅前のビルの2階にあるインドカレーのお店に入ってみました。

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ランチはバイキングのみだった!

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バイキングは苦手・・・自分でよそいにいくっていうのがメンドクサイ(爆)


とにかくカレーを盛り、ターメリックライスを持って席についたら、「ナン、ナンマイ?」と聞かれ、以前に世田谷のカレー屋さんで、「ナンデスカ ナンデスカ」と聞かれたことを思い出して笑いそうになってしまった。
(2009年7月22日の日記⇒ 車窓から始まるお散歩その2 芦花公園から千歳烏山 )



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ヒヨコ豆、野菜、なすとチキン、チキンの4種類のカレーはそれぞれ味わいが違い、甘めのもの、辛めのものと変化があって美味しかった!
特に、細かく刻んだリンゴが入った自家製のヨーグルトは、酸味が少なくてちょーーー美味しかった!
ボールごと食べたかったぐらい♪

ポンポコなお腹をさすりつつ、腹ごなしに寄り道することにしました。



池上から東急池上線で一駅、蒲田へ向かい、そこから京浜東北線で大森へ。

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ホームには“日本考古学発祥の地”の碑がたっています。

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明治10(1877)年に、いわゆる“おやとい外国人”として来日したアメリカの動物学者であるエドワード・シルベスター・モースが横浜から新橋へ向かう途中に大森駅付近で貝殻が積み重なっているのを列車の窓から発見し、発掘調査を行いました。
これが“日本で初めての学問的な遺跡の発掘”となったのです。

にぽぽは、小学校3年生ぐらいの時、図書室で大森貝塚の本をみつけ、夢中になりました。
縄文時代という大昔の人が、自分が食べているアサリや蛤と同じ物を食べていた(大昔の人はマンモスの肉だけ食べてると思っていた)ことが不思議で、しかもそれが残っているということに、衝撃を受けたんですねぇ。
しばらくは、常にシャベルを持ち、家の近所をやたらと掘りまくっていました(←貝塚を発見するつもり、マンマンであった)。

思えば、あれが歴史オタクの、記念すべきはじめの一歩だったのかも・・・。



大森駅北口を出てすぐ近くの、NTTデータビルの脇を入っていきます。

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「大森貝墟」の碑。
貝塚じゃーなくて、貝墟ってなってる。

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JRの線路ぎりぎりのところに、しかも碑は線路に向いて建っているので見にくいったら!

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このあたり、大田区と品川区の堺にあたりますが、品川区に入ってからすぐのところには、“大森貝塚遺跡庭園”があります。
この庭園の中にも「大森貝塚」の碑が・・・。

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品川区側の貝塚碑は昭和4(1929)年、大田区側の貝墟碑は昭和5(1930)年に相次いで建てられました。
モースが発掘場所の詳細を書かず“大森村”と記述したために、発掘地点が品川区説と大田区説にわかれてしまいました。

決着がついたのは、昭和59(1984)年!!
東京府が現在の品川区大井6丁目の土地所有者に調査の保証金を支払った文書が発見されたことや、再発掘調査によってモースが調査したのは品川区側であったことが判明したのでした。
碑を建ててから50年以上も揉めてたってこと?!



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“大森貝塚遺跡庭園”のエントランスから続くスロープを上がっていくと、中央部分が白くモワモワ煙っている!


スチームの噴水だった!

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思わず中央に立って歌いたくなるけど、夏ならまだしも、今の季節じゃ風邪をひくね。



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噴水をぐるりと囲むように、地層をイメージしたモニュメント。
なかなか、いい雰囲気です。



モニュメントの裏側に、白いシェルターがあります。

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その中が掘られていて、貝が埋っている地層がのぞけるようになっており、解説ボードが置かれています。

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ただし、地層に下りたり、触ったりしてはいけないらしい。
「えーっ!」って感じですね。

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目の高さで貝層をみられるようにして、アクリル板で保護するとかすればいいのに!!



先ほどの「大森貝墟」の碑と同じく、公園の裏側はすぐにJRの線路。

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縄文時代は今より海面が高かったので、この辺りはこんなだったらしい。
線路のところはもう海って感じだったのかな。

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貝塚を発掘したモースさんもいらっしゃいました。

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すごーくおじいさんのようですが、発掘当時のモースは39歳だったそう。
1838年生まれ、日本の年号なら天保9年。
天保6(1835)年生まれの土方さんと同年代のお方なのね。
大森貝塚発見の時に土方さんが生きていれば42歳・・・厄年だね(←どーでもいいっ!)



10分もあれば見尽くせてしまう広さの“大森貝塚遺跡庭園”ですが、大きな樹木がバランスよくゆったり配置されていて、気持ちのいいデザインの公園です

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でも、実がなる木がないのよねぇ。
せっかく縄文なんだから、クヌギやナラや栗を植えて、縄文時代に食べていたという“どんぐりのクッキー”を作ったり、土器を作ったりするイベントを秋にやればいいのに。




大森駅から“大森貝塚遺跡庭園”に向かう道は“池上通り”で、律令時代(大化の改新から10世紀ぐらいまで)の東海道です。

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“池上通り”からJRの線路に向かう道は、がくっと下りになっている地形を見ると、なるほど、縄文から奈良時代ぐらいはJRの線路のあたりが海岸線だったんだろうなーと納得できます。

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地図の右側が海の方向になります。

大森貝塚
(クリックすると、地図は大きくなると思います。)

ちなみに、江戸時代の東海道は、もっと地図の右!
JRの線路左側の道はクネクネしているのに比べ、右側はまっすぐ整備されているのも興味深く、江戸時代にはさらに海岸線が後退して、整備された新しめの街並みなのだろうかとか、地図をガン見しながらいろいろ考えてしまいます。

地図オタクでもある、にぽぽの一面がムクムクしてしまうのでありました。




お江戸好きで、新選組と土方さんを愛し、地図を見ることが大好きで、お城をの石垣にうっとりする・・・本当に変な女である。
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近清 新選組の愛したお漬物 

ども にぽぽ です=*^-^*=




楽しみに待っていた品物が届きました♪
これは、京都の西洞院蛸薬師にある近清さんのお漬物です(^^

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近清さんは明和元(1764)年創業、240年続く老舗のお漬物屋さんです。


近清さんは、江戸時代半ばから明治初期まで、東本願寺、西本願寺にお漬物を献上していたそうで、西本願寺を屯所としていた新選組の賄いにも、近清さんのお漬物が出されたそう!



200人を超える隊士の腹ごしらえのために、常に沢庵と奈良漬のみじん切りがどんぶり鉢に盛られ、いつでもご飯を食べられるように準備されていたとか!

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にぽぽも、新選組の食べ方にならって、みじん切りしたお漬物をたんまり入れた湯漬けにして、かっこんでみました。

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茄子生しば漬、瓜の奈良漬、田舎沢庵、それぞれの食感と味がご飯と絡んで、複雑な美味しさです。
化学調味料や保存料を使わず、じっくり熟成させているお漬物の味。
無駄な甘みがつけられているお漬物も多い昨今、特に沢庵の酸っぱさには驚きます。
漬物が、野菜のヨーグルトと言われるように、乳酸菌たっぷりなんだろうなぁと思います。

若い頃、親戚の家の沢庵漬けが気に入って、樽ごと持って帰ったというエピソードがある土方さんも、この味には納得だったのかな。

昔ながらのお漬物だけでなく、新しい味にもどんどん挑戦している近清さん。
今度京都に行ったら、お店にもお邪魔してみようと思いました。(⇒HP )




美味しいお漬物があると、ご飯がすすんじゃうわぁ・・・。
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築地から泉岳寺 赤穂浪士引き上げルートを歩く! その1

ども にぽぽ です=*^-^*=




東京中央区の築地上空です。

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足元に写る聖路加病院は、江戸は元禄の頃には、赤穂藩浅野家の上屋敷がありました。

今年も“あの日”が近づいてまいりましたなぁ。


にぽぽの日記で、この時期に“あの日”といえば?
古くからにぽぽのところに来てくださっているブロ友さんの、「またか・・・」という、うんざりした顔が浮かびますが、『忠臣蔵』に決まっております。
にぽぽの討ち入りも、なんと今年で3回目でござる、おのおの方!!




今年はいよいよ赤穂に!とも思ったのですが、バタバタしており実現できなかったので、2008年に歩いた赤穂浪士の引き上げルート(2008年12月14日の日記⇒ 両国から泉岳寺 赤穂浪士引き上げルートを歩く! )のうち、疲れて電車にに乗ってしまった築地から泉岳寺までを歩くことにいたしました。



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改めまして、お散歩は、聖路加病院の脇にある、“浅野内匠頭邸跡”の碑からスタートします(^^
おのおの方、いざ、参らん!!

     DSCN9416.jpg

実際の引き上げルートをしっかり調べましたよ!
2008年のときよりも、オタク度がUPしてます、確実に。
(にぽぽの歩いたルートは、日記の最下部に地図を載せておきます♪)


当時は浅野家上屋敷の前に築地掘りがあり、浪士たちはそこに架かる軽子橋を渡ったのですが、現在は掘りも橋もないので、築地本願寺に向かって歩いていきます。



築地本願寺
正式には“浄土真宗本願寺派本願寺築地別院”

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建立当時は、浅草の地にありましたが、“明暦の大火(江戸三大大火の一つ)”で焼け野原になった江戸の町を
幕府が再構築した際に、築地に移ったそうです。
赤穂浪士が歩いた時代も、築地本願寺はここにあったのですが、インド様式の石造りではありませんでした。
(インド様式になったのは、関東大震災の後)


築地本願寺を通り過ぎ、

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築地四丁目の交差点で晴海通りを渡り、新大橋通りへ。


築地場外市場のエリアに入ります。
浪士達が歩いた時代は、ここの辺りまで築地本願寺の境内でした。

     DSCN9428.jpg

美味しそうなお店が並んでます・・・

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食べたいけど~今日は先を急ぎます(涙)
場外市場を通り過ぎたら、市場橋交差点を曲がり銀座方面へ。


新橋演舞場や、

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読売新聞社を通り過ぎて、

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銀座五丁目の交差点で昭和通りを渡ると、みゆき通りに入ります。

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みゆき通りに入って一つ目の交差点を曲がります。

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当時はここに三十間掘りがあったので、浪士達は掘りに沿って歩いていきました。


浪士たちは、そのまま歩いて、三十間掘にかかる“汐留橋”を渡ったのですが、橋のあった場所は現在、海岸通りと首都高速がどーん!と直進を阻んでおります。

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しかたないので、海岸通にかかる歩道橋を渡ります。

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高速道路を頭上ギリギリに潜るために、一旦階段で下って、また登るという、バリアフリーもへったくれもない設計。
東京にはこういう、道路優先の都市作りの産物がチョイチョイありますね。

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歩道橋を渡りますと、建設業界では、東京最後の大開発と言われ、10年ぐらい前に整備された“汐留再開発地区”に入りまます。

この辺りで吉田忠左衛門と富森助右衛門の2名が、大目付仙石伯耆守屋敷へ直訴するため、隊列を離れました。



再開発の際、初めて鉄道が敷かれた当時の“新橋停車場”が発見され、当時の姿が復元されています。

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その前を通り過ぎ、R15(第一京浜)に平行する細い道に入りますと、そこが“旧東海道”になります。



宮崎駿さんデザインの時計や、

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アンパンまんがいる、

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このビルは日本テレビタワーです。

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江戸時代は“東海道”にそって、脇坂淡路守、伊達陸奥守、松平肥後守の屋敷が並んでいました。

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ちなみに、再開発の工事の時に行なわれた、伊達家上屋敷の発掘調査がこんな感じでした。

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(2010年8月30日の日記⇒神田川 江戸っ子自慢の上水道 その3 より抜粋)


日本テレビタワーの北玄関は、伊達家の表門があった場所で、表門をすこし過ぎた辺りで、浪士たちは仙台藩の足軽門番に尋問を受けましたが、特に引きとめられることもなく通過できたようです。

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ここから、内匠頭が切腹した田村右京太夫の屋敷(2009年12月14の日記⇒ 新橋 新正堂の“切腹最中”)。はすぐ近く。

実際の浪士たちは、主君切腹の地の近くを通りながら、何を思ったでしょう。
いや、疲れていて、何も考えられなかったかしれない・・・。



“旧東海道”をまっすぐに進んでいきますと、浜松町1丁目の交差点で、当時は“通り町筋”と呼ばれていた国道15号にぶつかります。

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当時ここに流れていた宇田川にかかっていた宇田川橋を渡り、あとは“通り町筋”をひたすら、泉岳寺まで進むことになります。

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浜松町は大門の交差点

     DSCN9454.jpg

浜松町は、にぽぽの勤務先です。
この辺りには討ち入りまで、赤埴源蔵、矢田五郎右衛門が住んでいました。


にぽぽは、赤埴源蔵の、“徳利の別れ”が大好きで、いつ見ても大泣きの場面なのですが、どうもこれはフィクションらしい。
大酒飲みでのん気なキャラに設定される源蔵さん、そもそもそんなに酒飲みでもないようです。
でもいいんです、忠臣蔵は、もはや“形”が大事ですから(^^;

赤埴源蔵の、“徳利の別れ”
討ち入り前夜、源蔵さんは最後の別れの為に、日頃世話になっていた兄夫婦を訪ねました。
しかし、兄の伊左衛門さんは留守で、兄嫁は「また酒の無心だろう」と、仮病をつかって会いませんでした。
そこで源蔵さんは兄の羽織借りて、羽織を相手に盃を交わすというシーン。




ここで一旦休憩。
会社帰りによく寄る“芝大門 更科布屋”さんでお昼です。
オーダはめずらしく暖かいお蕎麦にしまして、このシーズンの“かきそば”にしました。

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この後、浪士たちのお墓のある泉岳寺に行きますので、ちょー飲みたかったけど、お酒はがまんしました!
今日はとてもストイックなお散歩(^^;



ここまでのルートはこちらです。

赤穂浪士引き上げ1
(クリックすると別窓で開きますので、それをフル画面にすると地図は大きくなると思います、多分)




懲りずに次回に続きます~(汗)
今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)
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築地から泉岳寺 赤穂浪士引き上げルートを歩く! その2

ども にぽぽ です=*^-^*=




浜松町で一休みして、再び国道15号を歩き始めます。

     DSCN9454.jpg



金杉橋北交差点。

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高速道路の下は、今も堀になっており、東京湾へ出て行く釣り船や屋形船の船溜まりになっています。

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この辺りには、磯貝十郎左衛門の病身の母が移り住んでおり、大石内蔵助は、磯貝に母を見舞うように勧めましたが、上杉家からの追っ手が来ることを恐れ、
「自分だけが特別扱いを受ける訳にはいかないし、すでに別れはしてきている」
と、隊列から離れなかったのだそうです(涙)



芝4丁目の交差点を過ぎて、

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しばらく進んでいきますと、1階に三菱自動車のショールームが入っているビルの前に“西郷隆盛と勝海舟の会見の地”の碑があります。

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薩摩藩の蔵屋敷があった場所で、薩摩から運ばれる物資を荷揚げして蔵に保管していたところです。
江戸時代、この裏はすぐ海だったという事です。



さらに進み、JR田町駅を過ぎて、三田図書館の辺りは、日が差し込み、黄金色のイチョウが美しかったです。

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ここは、後に浪士達の預け先の一つとなる、水野家の屋敷があった場所です。



“札の辻”の歩道橋。

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“札の辻”は、江戸時代のはじめに高札場が設けられていた場所です。
元和2(1616)年には、芝口門をここに建てて、江戸正面入口としての形式を整えました。
芝口門は、東に接する江戸湾から海を隔てて房総の山々を望む景色が素晴らしく、一日眺めていても飽きない景色であったことから“日暮御門”と呼ばれたそうです。


ここに来て、間新六は道端に倒れ込み、父親の喜兵衛に励まされて起き上がったということです。
浪士達は、吉良邸で二時間余り戦闘をした上、さらに二時間近く雪道を歩き続けている訳ですから、とても景色を眺めるどころではなく、疲労困憊だったのでしょうね。



“札の辻”の歩道橋を渡ると、真正面に東京タワーが見えます。

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一日眺めていても飽きない景色とはいえませんが、現在もなかなかの景勝地かも。



“札の辻”を過ぎ、泉岳寺ももうすぐだなーと思いながら、ふと横を見てみたら、“御田八幡社”でありました。
うっかり見過ごすところでしたが、呼ばれたのかな?(笑)

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ここに、討ち入り直前に脱盟した高田郡兵衛が、麻裃の正装で酒樽をもって現れました。
高田郡兵衛は、討入り強硬派のリーダー格でしたが、討入りがせまる12月に突然脱盟をしました。
その理由は、旗本である伯父から養子になる話をされ、「存じ寄りある」と断ったものの、「存じ寄りとは仇討ちのことではないか?養子に来れば口を閉ざすが、来なければ話を公にする」と言われ、やむを得なく養子の話を受けたとされています。


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そんな経緯を知る事の無い浪士一同の前に姿を見せれば、何を言われるか推して知るべしですが、郡兵衛は、それでもかつての同士達にねぎらいをかけたかったのでしょうか・・・。

“御田八幡社”に現れた郡兵衛は、浪士たちから罵声を受けて追い返されたという逸話も残っております。
その後の郡兵衛はといえば、赤穂浪士が英雄化するに及び、脱盟者という世間の悪評に耐えかね、養子の話しも無くなり、消息は不明です。
浪士切腹の後、自害したとも伝えられています。
これも、赤穂浪士の裏の悲劇の一つですね。



“御田八幡社”を過ぎると、違和感があるほど大きな木が立っている場所がありますが、“高輪大木戸”があった場所です。

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大木戸は、街道の治安と交通規制を目的に、夜は門を閉めて通行できないようにしていたもので、“高輪大木戸”は江戸の南の入口として、宝永7(1710)年に設けられました。
ちなみに、東京都内で、大木戸跡の場所が確認されているのは、ここと、新宿の“四谷大木戸”ですが、門の遺構がしっかり確認できるのはここだけです。


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東海道を行く旅人の送迎もここで行われるのが一般的で、
「お江戸日本橋七つ立ち、初のぼり、行列そろえてあれわいさのさ、こちゃ高輪夜明けの提灯消す、こちゃえ」と、この辺で夜が開け、持参した提灯の火を消したところです。

送る方、送られる方が別れを惜しむ茶店も多くあり、ここから東海道1番目の宿場町である品川宿の間は景色も良く、月見の名所でもあったそうです。

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高輪大木戸を過ぎると、江戸の外。

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この辺りは“牛町”と呼ばれ重量物の運搬の牛車用の牛が千頭もいたと言われ、かなり牛臭かったようですが、浪士達の討入りの噂を聞きつけた江戸の人々が数多く見物に押しかけていたと思われます。



泉岳寺交差点に到着しました。

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ここを曲がって坂をちょっと登れば泉岳寺の門がありますが、元禄の頃、都営浅草線の駅出入口の辺りに山門があり境内までは階段が続いていました。
本所の吉良邸から約3時間で12km弱を歩いて、浪士達の先頭が泉岳寺山門に到着したのは、朝9時頃だったそうです。


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詰め掛けた見物客を規制する為、泉岳寺では山門を閉めて厳戒態勢をとったようです。



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亡き主君の墓前に吉良上野介義央の首級を供えた後、幕府より即日切腹の沙汰があるだろうと覚悟していたようですが、幕府内では前代未聞のこの出来事に即決できず、浪士たちは長い一日を泉岳寺で過ごすことになりました。



境内には浪士達の縁の品がいろいろな場所から移されております。


“主税の梅”

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伊予松山藩松平家中屋敷の書院前庭にあった梅で、大石内蔵助の息子、主税他9名がこの梅の木の下で切腹したと伝えられています。



“血染めの梅”

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浅野内匠頭が一ノ関藩田村家上屋敷で切腹を命ぜられ、磯田源太夫が介錯の時、血潮がほとばしって傍らの庭石と梅にかかったもの。明治39年に田村家移転の際、泉岳寺に移植されました。



“首洗井戸”

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吉良上野介義央の首級をこの井戸で洗い、浅野内匠頭の墓前に供え報告したそうです。



これらの前を通りながら、いよいよ浪士たちの墓所に入りますが、そこにある門は、浅野家上屋敷の裏門であったものです。

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大石内蔵助がこの門から屋敷内に出入りしていたと伝えられており、明治初年に屋敷が取り壊される際、泉岳寺に移築されたという事です。



門を入ると、お線香を売っています。
にぽぽは今回、初めてお線香を買って浪士たちの墓前にお参りです。

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2008年の訪問は、ちょうど討入り当日で、人の数もお線香の煙も半端なかった。
今年は討入りより少し前に訪問しているのですが、それでもお参りの人は沢山!!

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浅野内匠頭のお墓のお線香はこんな!

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浪士達のそれぞれのお墓の前のお線香もこんな!!

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本当に、ほんっとーに日本人って、赤穂浪士が好きなんですねぇ(人の事はいえないが)。

浪士たちの戒名は“刀”の文字で始まっており、切腹したこをと示しています。
そして、一人一人にお線香を供えつつ享年を目で追っていくと、大石主税良金16歳、矢頭右衛門七教兼17歳の最年少組に続き、24歳、25歳、26歳、27歳、34歳、35歳・・・
以前はそんなに感じなかったんだけど、だんだん自分の年齢が上がってきたから、こんな若かったんだと感じて、なおさら切ない。



家老の大石内蔵助であっても、享年45歳だものなぁ~。
無駄に生きちゃーいかんなぁ、などど、人生のいろいろを思わず反省。

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あら楽や 思ひは晴るゝ 身は捨つる 浮世の月に かゝる雲なし


にぽぽは大石内蔵助の辞世の句が好きです。
正しい解釈は知らないけど、死に際して、身は捨てるとも、思いは晴れて、“楽”だと言う。
事を成して、かかる雲(“苦”も)なし。

楽なのか、楽しいのか?
討入りまでの月日に、いかに苦労が多かったか・・・改めて心中お察しする次第。

でも、やり遂げたっていう晴れ晴れとした気持ち、にぽぽの人生の最期も、こんな心境であるように、しっかり生きていかなくちゃ~♪



今回のお散歩は、泉岳寺門前にあるお土産屋さんで見つけました。

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“塩味饅頭 志ほ万”

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赤穂から仕入れている、赤穂の塩を使っているお饅頭です。
浅野内匠頭が生前に茶の伴として好んでいたもので、江戸参勤の折には将軍にお土産として献上したそうです。
(大石内蔵助の起き上がり小橋は別に購入したもので、お菓子にはついていません 笑)



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外側の皮はよくあるお饅頭の皮ではなく、もち米を焼いて粉にした“寒梅粉”を使っているのだそうです。
ぱくっとした際に、しゅふっとするというか・・・そうですねぇ、甘くない落雁みたいな感触のところに、ほんのりと赤穂の塩の効いた上品なこしあんがギュッとしてます(←相変わらず、食べ物の説明は変)。
お茶にものすごーく合う“風雅”なお菓子で、全国にファンが多いそうですが、にぽぽもこれ、大好きになりました♪

“かん川本舗さん”のお菓子で、お取り寄せもできるようです(⇒HP )が、赤穂に行ったら寄って来なくては。




ここまでのルートはこちらです。

泉岳寺まで
(クリックすると別窓で開きますので、それをフル画面にすると地図は大きくなると思います、多分)




2010年の討入りも、無事終了。おのおの方、お疲れ様でござった!
今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)
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“肝”心な爪のケア

ども にぽぽ です=*^-^*=




悩みごとが無いにぽぽです。
なので、悩める人の気持ちがわかりません。

「最近、彼とのことで悩んでて、もうどうしたらいいかわからない~(sight)」というから聞いてみたら、結局ノロケと自慢だったりして、やってられん。
こういう性格だから女子の友人ができないのかもしれない(笑←笑ってていいのかっ?!)




そんなにぽぽですが、ありました!悩みが!!


爪の弱さです、キッパリ!
過去に数回、爪ネタをUPしており、爪の補強の意味でマニキュアして、甘皮マッサージしてみたりしたものの、そうそう爪は強くならず。

ジェルネイルも爪も良さそうな気もするけど、爪が伸びてきた時にジェル落とすのとかメンドクサそうだし、ジェルネイル常用者のイモ(妹)が、ジェルで常に保護されているので、爪がますます退化して薄くなってきた(ような気がする)と話していたので、それはイヤかも・・・。



冬は乾燥するし、何かいいネイルケア用品が無いかと物色していたら、良さそうな物を発見♪

ボタニカルハードナー(爪強化液)

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樹木由来の天然樹脂が痛んだ爪表面をしっかり補強してくれるというもの。
爪に塗った時は、接着剤みたいにペタペタしてますが、乾くとスルっとなります。
使い始めてから2ヶ月、樹脂がしっかり爪に沁みこんだ実感があり、2枚爪にもなりにくく、爪が剥けたりもしなくなってきました。



フィンガーチップトリートメント(指先クリーム)

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乾燥も爪のヒビの原因の一つ。
このクリームはすごく濃厚ですが、付けたそばからスルーっと成分が肌に浸透してしまって、べたつきません。
ツルスベの魅惑的な指先は、女子の必須アイテムでありましょう♪

両商品とも、石澤研究所の、“&nail”のシリーズで、成分は全てオーガニック。
ローズマリー油、レモン果皮油、パロマローザ油、などなど。香りもとてもいいです(^^



これで爪の悩みから開放されるかもねと、ウキウキお手入れをしていましたら、通っている漢方養生の授業で、「肝のトラブルは爪に現れる」と教わりました。


東洋医学でいう“肝”とはイコール“肝臓”という臓器を指す訳ではないのですが、“肝”の働きの一つに血を貯蔵することがあり、これが足りないと全身に栄養が行き渡らず爪が折れたり割れたりすると。




目から鱗がポロリ・・・



健康診断で、唯一の再検査項目は“貧血”!!

そうか、そうだったのかーーーーーーっ!!
さらに、血が足りなくて筋肉等にも栄養が行き渡らないから冷え性。


まったく、にぽぽそのものではありませんか。
どうりで爪の表面だけケアしてても、改善されないはずだよ。




ちーーーー、ちをくれーーーーっ!

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血は食べ物でしか作れないそうで、とりあえず「赤いものを食べろ」だそうです。


貧血は仕方ないぐらいに思っていたけど、真面目に改善に取り組むことにいたしました。
今年の目標!貧血の改善!!

あ、今年はもう終っちゃう(汗)。




そのうち、にぽぽの自己流貧血改善生活で、経過を報告することもあるかも(^^
ないかもしれないけど(笑)

今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)
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合格発表

ども にぽぽ です=*^-^*=




さすがの年末、飲んだり、飲んだり、飲んだり(笑)で、日記放置になってしまいました(^^;
プロフィール欄に、こそっと江戸検のことを書き加えていたのを見てくださり、発表記事を読み逃したかしらって、メッセージやコメントをいただいたブロ友の皆様、ありがとうございました。



10月の末に受けた“江戸文化歴史検定”の結果が12月15日に送付されてきました!


3級
江戸検定1

獲得点数90点で、無事合格いたしました。


“江戸検”のHPにアップされたデータによりますと、平均点64.52点、合格率は40.4%だったもよう。

割と簡単だと思っていたので、平均点も合格率ももっと高いかと思っていたのですが、意外でした。
ちなみに、去年は平均点72.95点で、合格率は61.6%だったので、去年より難しかったのかな?



副賞(?)
江戸検定2

合格認定のカードとバッチです。
合格認定のカードの裏には、名前と認定番号が入っていて、これを持っていくと日光江戸村その他の入場料が割引になったりします。
そこまで行くのが・・・という気もしますけど。




さて、同時に受けた2級はといいますと、

江戸検定3

こちらも、なんとか合格いたしました。

平均点は59.83点。
受験者数1,437人中、合格者265人で、合格率は20.1%だったそうです。


2級は、さすがのにぽぽ(←合格したらいきなり態度でかし)も、ちょっと回答に悩む箇所がありました。
とにかくテキストを隅から隅まで読みつくすこと、欄外に書かれているような小さな文字も、流し読みをしないことが勝敗を分けるなーという実感でした。


副賞(?)
江戸検定4

受験が終わったときには、お江戸満腹状態で、しばらく触れたくもなかったけど、やっぱり好きなものは好きで、2級合格したら、目指せ1級モードになってきちゃいました(笑)

でも、1級は合格ラインが80点(3・2級は70点)の上に、今年の合格率1.7%ですってーーーっ!!
946人受験して、15人しか合格していないんですよ。
冷や汗がでますね、これ。
今年のように直前の付け焼刃的なオベンキョーでは、とうてい合格できなさそうです。

今から計画的にやれば、なんとかなるかな・・・って、計画的にできる性格ではないのが大問題。
でもね、楽しく取り組むことが大事ですから、ゆるゆるとチャレンジを続けてみようと思います♪




今年は、年明けからパソコン教室に通い、“江戸検”を受験し、バーナーワークと漢方の勉強と、例年になく盛り沢山な1年でした。

これも実を言えば、元気で前向きで、それぞれ好きなことにチャレンジしている、ブロ友の皆様に刺激されたからです。
もともと、そんなに前向き溌剌な性格ではないのですから。

thanks from the bottom of my hearts!!



今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)
1年の総括みたいになってますけど、年内まだ更新しますよ、多分(笑)
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Author:にぽぽ
東京の西のはじっこに住んでいます。
お散歩したり、まったりしたり、美味しいもの食べて喜んだり。

2010年 江戸文化歴史検定3級・2級合格。
2014年 新選組検定3級・2級合格。
たまに歴史と新選組のオタク日記になります。

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