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九段 歴史の交差点 その1

ども にぽぽ です=*^-^*=





あちこちフラフラとお散歩しては、現代の街並みに昔の光景を見つけるのを楽しみしているにぽぽですが、今日歩くエリアほど、江戸、明治、大正、昭和の時代の移り変わりを強烈に感じる場所はないように思います。

都営新宿線、神保町駅を出て、地下鉄東西線の竹橋駅に向かうところの景色。

     1.竹橋ジャンクション

正面は首都高速竹橋ジャンクション。
右手には集英社、竹橋ジャンクションの手前には共立女子大学、ジャンクションを越えて毎日新聞社。
その先江戸城(本丸公園)・・・ざっとそんなロケーションです。



道なりに進んでいって、共立女子大学の前の交差点の先に架かる橋を“雉子橋”といいます。

     2.雉子橋

     3.雉子橋


江戸時代に橋が架かっていた場所とは若干異なるという事ですが、この辺りには雉子の養殖場と雉子料理屋があり、勅旨が江戸に来たときに雉子料理を食べるのを楽しみにしたといいます。


雉子橋からの景色。

     4.首都高の下

江戸時代に物流の中心だった川や掘割の上に、ことごとく首都高が覆いかぶさっています。
この華奢な橋脚が交通量の多い首都高を支えているのかと思うと、ちょっと心配になります(^^;



黒いビルの敷地内に入りこんでいる石垣は雉子橋門があった跡。

     5.竹橋門跡

     6.竹橋門跡

すぐ南側にある竹橋門と共に、江戸城の天守閣も近く、警備のとても厳しい門であったそうです。
寛永6年(1629)年7月西の丸外郭門、石垣などが構築されまたのですが、だいたい出羽、奥州の大名が工事を受け持ちました。
雉子門は明治6年(1873)10月20日に撤廃されました。



東西線竹橋駅の上には毎日新聞社が建っております。

     7.籾倉跡
     
この辺り一体には江戸城中御用の米や餅をつくる“御春屋(おつきや)”があったところとして知られています。
“御春屋(おつきや)”は城内で消費する食料や燃料を集荷する施設でした。

毎日新聞社がこの場所に移ってきたのは明治41年、明治の始めの頃には文部省がありました。




毎日新聞社の先は江戸城本丸に向かう平川門なのですが、今回は堀をV字に戻るように北の丸公園の方向へ歩いていきます。

     8.北の丸公園へ


北の丸公園にはかの有名な大きな玉ねぎがあります(^^

     9.玉ねぎ



ここに見えてくる橋は清水門。

     10.清水門

この門は寛永元(1624)年助役大名、浅野長晟により建てられた枡形の城門。
江戸時代には清水門の前に、将軍直属家臣の居住地や蔵・馬場・厩といった江戸城付属の施設が置かれました。

池波正太郎さんの鬼平犯科帳では、長谷川平蔵の役宅も清水門外におかれていると書かれていますが、それは池波さんのフィクションです。



そのちょっと先にいかめしい建物があります。
九段会館、旧軍人会館です。

     11.九段会館

ここは、昭和11年の「2.26事件」に際して、戒厳司令部が置かれたことで有名です。
今は結婚式場やコンサートホールとして使われています。
夏には屋上でビヤガーデンが開かれますが、ウェイトレスさんはなぜかバニーガールの格好・・・珍しいですよね、バニーガール。
※後日(2015年)追記 東日本大震災の影響で平成23(2011)年4月に廃業し、施設は閉鎖されてます。



     12.清水門へ

清水門に戻って北の丸に入っていこうと思います。

     13.清水門

     14.清水門

     15.登城



門を入ると、江戸時代そのままのような階段。

     16.階段

まるで、江戸城に登城する大名の気分になります。
大名なら、この階段は籠にのって登っていくか・・・(^^;



上りきって見下ろしてみれば、江戸時代と現代が出会う合成写真のよう・・・

     17.階段上から

ものすごくうそ臭い感じがして思わず笑っちゃいそうになります。

門の正面に見える白い建物は平成19年竣工の千代田区役所本庁舎。
明治9年当時には大隈重信邸がありました。

大隈重信は二度総理に就任し、早稲田大学を創設するなど多方面に活躍ましたが、その邸宅は雉子橋門前から清水門あたりまでの広大なものだったようです。




北の丸公園を歩いていくと、麻生さんのおじいさん、吉田茂の像が!
なんでここにあるんでしょうねぇ?

     18.吉田茂

その先、さっき遠目に見えていた大きな玉ねぎ、武道館です。

     19.武道館



武道館前の駐車場から大型バイクのエンジン音がするので覗いてみると・・・

     20.バイク

警視庁のバイク講習中でした。
黄色いバイクは首都高バイク隊のものです。

     21.講習

こうやって運転技術を磨いているんですねぇ。
にぽぽが中型免許を取るのに教習所に通っていた時には、転び方が上手い!って教官に褒められたなあ。
自慢にならないけど(笑)



武道館の脇にある時代がかった門は田安門。

     22.田安門


江戸城が作られた初期は北丸が作られていて、代官屋敷や大奥に仕えた女の隠遁所になりました。
春日局や英勝院の屋敷などもここにあったそうですが、8代将軍吉宗の第二子宗武が、享保15(1730)年ここに一家を創立して田安家を興しました。
清水門側には9代将軍家重の第二子重好をして側宝暦9年(1759)に起こした一家が門名にちなんで清水家と称し、北の丸公園は西側一帯を田安家、東側一帯を清水家が所有していました。

     23.田安門

文久元年(1861)に江戸城が炎上した時には、14代将軍家茂と夫人和子(和宮)が清水家に移っていたそうです。



田安門を出ると牛ヶ淵のお濠脇に先ほど見た九段会館が建っているのが見えます。

     24.九段会館

北の丸公園の辺りは明治維新後、日本陸軍に関連する施設が多く建てられました。
なんとなく戦争の名残を感じてしまう場所なのです。





今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)
ちょっと長くなってしまいました、九段のお散歩、もう少し続きます(汗)
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九段 歴史の交差点 その2

ども にぽぽ です=*^-^*=




今回は、にぽぽには珍しく、おも~い事を語っております。
字がいっぱいだし・・・興味のある方はどうぞごゆっくり(^^
むずかしすぎるよ~という方は、最後のにぽぽが買ったお土産のところぐらいをお読み下さい(笑)



さて、東西線九段下駅の辺りから九段坂を登っていこうと思います。


     25.九段坂

この坂は、江戸のはじめに出来たものだそうです。
坂の両側に飯田町があり、古くは飯田坂と呼ばれました。
宝永の頃、この坂に沿って九段になった長屋をつくり江戸城のお花畑の役人を置いたのが九段坂の起こりです。
坂はいまよりずっと急で途中には石段もあり、車の通行が出来るようになったのは明治の中ごろからでした。
それでもまだ坂は急だったので、大八車の後押しを生業とする“押屋”がたむろするようになり、一回の押賃は一銭だったといいます。




九段下の交差点の近くに昭和館があります。

26.昭和館

昭和館というのは、戦没者遺族に対する援護施策の一環として、戦没者遺族を始めとする国民が経験した戦中・戦後の国民生活の労苦を後世代の人々に伝えていくために、厚生労働省が平成11年3月に開設した国立の施設なのです。

こんな施設があるってご存知でしたか?
主に昭和10年ぐらいから昭和30年ぐらいまでの日本の暮らしを見せている訳で、どうしても太平洋戦争時の事が中心となってくる訳ですね。
にぽぽはどうも全く、入ってみようという気が起こりません。
だいたい昭和館っていうなら、昭和の時代全部網羅して欲しいよ、せめて。

この戦争前後の国民の苦労を見せて、それで?って感じてしまいます。
国のやることというのはどうしてこう、“点”としての捉え方なんだろう・・・。


戦争はよくない、戦争は悲惨だ。
そんな事は今や当たり前の意見で、日本人だって、やたらめったら好戦的な民族では無い訳です。
むしろ温厚。
その日本人が、どうして無謀とも狂気とも思える戦争をするに至ったのか?
さらには、どのように日本人が戦争を善として国を挙げて戦うようになっていったのか?

そういうことを歴史の“線”と世界情勢の“面”で見せて「じゃあ、戦争をしないために日本が取るべき最善策は何だったのか」ということを、子ども達に考えさせるようにしなければ、こんなものいくら展示してたってただのポーズになっちゃう気がする。


だ・・・大丈夫かな、こんな事書いちゃって(小心者)

でも、歴史に学ぶってそういうことだと思う・・・歴史好きの一人として。





いや~、思わず熱くなってしまいましたが、この昭和館の辺り、江戸時代には番書調所(ばんしょしらべしょ)というものがありました。

     27.番所調書跡

安政3(1856)年、徳川幕府の洋学の研究所として設立されました。
やがて、洋書調書、開成書となり、明治になって大学南校から開成学校をへて、東京大学になりました。



さらに登っていきますと、前回の日記で書いた田安門が左に見えてきます。
そのあたりに常燈灯台が建っています。

     28.常燈灯台

幕末から明治にかけて流行した和風と洋風の折衷様式。
正式には高燈籠といわれ、もともとは靖国神社に捧げるお灯明台として、明治4(1871)年に建造されました。
船舶のための灯台としての役割もはたしました。
品川沖、あるいは房総からも灯が見えたといわれています。

今でも夕刻になると明りが灯されます。



常燈灯台の前にある歩道橋から九段坂を見下ろします。

29.月の名所

江戸時代には坂の上から神田、日本橋、浅草、本所はもちろん、安房、上総の連山も眺められたそうです。
月の名所としても有名で十五夜、十三夜、二十六夜待ち、のお月見を楽しんだようです。

ちなみに、明日は旧暦8月15日、中秋の名月です。
月は綺麗に見えるでしょうか?





歩道橋を渡りきると、かの、靖国神社の入口。

30.靖国神社



鳥居の大きさが尋常ではありませんね(汗)

31.鳥居



靖国神社は今年で創立140年。
そもそも明治2(1869)年、戊辰戦争の戦没者の慰霊のために、京都東山から招魂して“東京招魂社”として創建されました。
その後、明治12(1879)年に靖国神社と改称されました。


33.本殿

戊辰戦争の新政府軍側の戦没者を祀ったことが靖国神社の起源なので、戊辰戦争で戦った旧幕府軍の兵士や、奥羽越列藩同盟の兵士、新選組や彰義隊などの旧幕臣の戦死者は祀られていません。
また、明治維新の功労者でも、西南戦争で政府の反乱軍となった西郷隆盛さんも祀られていません。

そんな成り立ちからして、結局官軍による、官軍の為の神社じゃないかー!と新選組スキスキにぽぽとしては面白くなさを感じてしまのです。


そして、明治から昭和にかけて、、「天皇・朝廷・政府側の立場で命を捧げた」戦没者を“忠霊”、“忠魂”、さらには“英霊”と称し、“天皇の名の下に”戦う正義の意識を植え付けることに使われたのだと思うし、それを疑うことなく、ひたすら純粋に散っていった多くの青年達の事を思うと、当時の日本の軍部というか、政府というか、国の罪は重い。
靖国神社という存在を今のままに残すのは、やっぱりどうなのかな~って感じざるをえない、にぽぽです。




遊就館。

34.遊就館

遊就館は明治10(1877)年の西南戦争が終わるころ設立の構想が出され、同12年に陸軍卿・山県有朋を中心に、「御祭神の遺徳を尊び、また古来の武具などを展示する施設」として構想されました。
明治14(1881)年にイタリア古城式の建物が竣工し、翌15年2月25日に開館式が行われました。

平成14(2002)年には新館も建設されました。


エントランス

36.SLと大砲

37.ゼロ戦

SLと大砲とゼロ戦を並べているこの展示センスがよくわからない・・・


にぽぽは、初めて常設展示を見てみたのですが、意外に若い人や外国の方が多く来ているのに驚きました。

戊辰戦争当時の資料のところは、興味深く見れたのですが、時代が移って日清・日露戦争、さらに大東亜戦争(太平洋戦争という書きかたはしていなかったです)のあたりの展示で、“英霊”の遺書や遺品、そして膨大な量の遺影・・・いくどとなく涙が浮かびました、心が押しつぶされるようです。


“英霊”とされた青年達の日本を思い、家族を愛する気持ちには、素直に感動しながらも・・・どうも展示の仕方に戦争を美化、礼賛している姿勢を感じてしまうのは、にぽぽのかんぐりなのかしら・・・。

お土産コーナーにも自衛隊コスチュームのキューピーさんとかあるし、なんで自衛隊グッズが靖国神社にあるの?




とかいいながらこんなものを買ってきてしまって、今まで書いた偉そうなことはナンだったの!
という声が沢山聞こえてきそう・・・・(^^;

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海上自衛隊のコーヒーのパン
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陸上自衛隊のフルーツのケーキ
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航空自衛隊のママレードのケーキ
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なんか・・・
不謹慎な終わり方で、どうもスイマセン。





今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)
ほんとーーに長々お付き合いくださって、ありがとうございました。
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仲秋の名月 2009

ども にぽぽ です=*^-^*=




今年の旧暦8月15日は、10月3日、昨日でした。
東京は朝から雨。
午後に雨はあがったものの、夜になっても雲、雲、雲でお月様は見えず。

残念。



去年はやっぱり雨のち曇りだった(2008年9月14日の日記⇒仲秋の名月 )様子。
それでも去年は月見団子を作り、ススキなんかも飾ったんだなぁ・・・エライぞ、去年のにぽぽ。



今年は、金曜日の飲みすぎの結果、一日死亡(二日酔い)しておりました。

名月の代わりの本日の朝食。

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パンの上の満月(笑)


今日はお天気らしいのですが・・・ちょっと雲が多いなあ。





今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)
空白の昨日を取り戻す勢いで、家事にいそしみます!
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タイムトラベル 尋常高等小学校5年2組

ども にぽぽ です=*^-^*=





これは、夢でしょうか?

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にぽぽは平成21年の時代を生きているはずなのですが・・・
歴史散歩の趣味が高じて、とうとう時空を超えてしまったようです。
この建物は尋常高等小学校。



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下駄箱の正面にこんな風に階段があって、ギシギシ登っていくと教室。



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誰もいません・・・
怖いぐらいに静か・・・・。



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5年生の教室にしては、小さい机。
にぽぽの膝ぐらいの高さしかありません。
小学校1,2年生用の机がはいっているのじゃないかしら?



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教室からの景色。
どうやら本当に昔の日本に来てしまったようです。

すいませーん!!
誰か、いませんか?



一体、にぽぽはどこにいるのでしょう?




今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)
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府中 郷土の森博物館

ども にぽぽ です=*^-^*=





タイムトラベルにやってきたのは、東京都府中市の郷土の森博物館です(笑)

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東京都府中市というのは、先日も日記に書いた大国魂神社のあるところで、東京都のほぼ中央に位置し、東京23区と多摩地区の境にあたるような場所になります。

歴史はとーっても古く、645年の大化の改新によって現在の埼玉県と東京都の大部分であった“武蔵国”の国府が置かれました。
鎌倉時代にも要衝地域として重要な位置を占め、江戸時代には甲州街道の宿場町として大変に栄えた街でした。


にぽぽがやってきた郷土の森博物館は、府中の歴史や風土、自然をテーマとして、プラネタリウム、復元建築物、公園が配置されているのです。



特に、今回のにぽぽのお目当ては、復元建築物。
江戸後期から昭和にかけての建物が復元されています。

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入口を入ってすぐ左側に、前回日記に書いた府中町立高等尋常小学校が建てられているのです。

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バルコニーを持つ木造2階建の校舎は、昭和10(1935)年9月に建設され、以後昭和54(1979)年に取り壊されるまでの間、親しまれてきました。
もとは、延床面積は5,870m2の北多摩エリア随一の規模だったそうですが、その中心部分のみ移築復元されているそうです。

それでも、あったかみのある当時の雰囲気はじゅうぶんに味わうことができます♪


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この建物は、幕末から明治にかけて、府中宿を代表する商家、田中屋です。
明治天皇の休憩所(←またでた!明治天皇の多摩御幸!)や宿所として利用されたこともあり、その御座所として使われた奥座敷部分が残されていました。


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現在、表店(おもてみせ)部分などを休憩所やそば処として利用されています。


となれば、蕎麦好きのにぽぽが食べない訳にはいきませんな。

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しっかりした柱や梁、いい佇まいです(^^

そして、お約束の天ぷらそば♪

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新そばですよ!
コダワリの蕎麦!っていう訳にはいかないかと思いきや、なかなかのお蕎麦です。



お蕎麦を食べ終わって、次に訪ねたのは、旧島田屋住宅。

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こちらも、旧甲州街道の商家です。
移築・復元したのはその店蔵(みせぐら)部分で、明治19(1886)年から足掛け3年の歳月をかけて建築されました。

薬屋さんだったのかしら?

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くる~っと歩くと、懐かしい丸ポスト。

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にぽぽの家のそばは、いまだこの丸ポストが使われていますけどね。

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この建物は、旧府中郵便取扱所(旧矢島家住宅)です。
近代郵便制度は明治4(1871)年、郵便規則の制定と郵便切手の採用によってスタートしました。
これに基づいて翌5年3月、府中では当時府中番場宿の名主兼問屋の矢島九兵衛さんが郵便取扱役に任命され、その居宅が郵便取扱所に当てられたそうです。

建築年代は幕末から明治初頭(5年以前)の間と推定されています。

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ここが窓口でしょうね!



そのお隣にたてられているのは、大正8年(1919)から3か年計画で建築され、同10年に竣工した府中町役場です。

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府中市制以後も市役所、市立図書館、教育研究所等に利用され、昭和59(1984)年解体、61(1986)年に竣工当時の姿に復元しました。多摩地区に現存する最古の役場建築で、大正時代の建物としては東京都指定の第1号だそうです。


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位置口を入るとカウンターになっていて、その向こう側が事務スペース。
今と作りは変わりませんね。


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建物の奥には電話室があり、その向こう側に宿直室なんかもあります。




お茶屋さんでお団子があったので、ちょっと買い食い!

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素朴にお醤油味。
やわやわで美味しい~!



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これは、今から約4.500年前の縄文時代中期の集落遺跡で発掘された建物跡。
柄鏡形敷石建物跡と呼ばれています。
鏡のように平面形をして、床に入りを敷き詰めた建物跡は、縄文中期から後期にかけて関東・中部地方と東海地方頭部で発見されているそうです。
使い方ははっきりしていないらしく、呪術や祭祀と関係があるのではないかと言われているそうです。




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旧河内家住宅は農家。
天保15(1844)年に旧大沢村(現三鷹市)から人見村に移築されたことが調査で明らかになっているそうです。
天保15年といえば、近藤勇さんが生まれた年・・・・おっとっとまた、新選組ネタになってしまう。

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茅で葺いてあるぽってりした屋根といい、

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仏壇と神棚がいっしょにあって、神棚には招き猫やらだるまやらいろんな縁起物が飾られています。
なんともあったかみのある雰囲気(^^


そして囲炉裏端。

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すすけた屋根。

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煙に燻された、いい香りがします。



まだ他にも復元建物があるし、本当は秋の植物も満喫したのですが・・・カメラの解像度の設定を間違えて、写真がヒドイことになりました(泣)


昔の日本の建物好きのにぽぽには、たまらない~!
またいずれ、ゆっくりと訪れてみたい。
お気に入りの場所となりました!!




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芝大門 更科布屋 10月のそば屋酒

ども にぽぽ です=*^-^*=




にぽぽの日記では何度も登場している、会社近くのお蕎麦屋さん。

創業寛政3(1791)年創業の更科布屋さんにやってきました。

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先月、変わりそばの“しょうが切り”を食べて、その美味しさが気に入り、10月の変わりそばを食べにやってきたという訳です。



いつものようにお酒を注文!
この日はちょっと寒かったので、そば焼酎をそば湯割り。

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そして、蕎麦味噌をつけてもらいました。
ここの蕎麦味噌は、甘めの練り味噌にそばの実が入っていて、焼酎に合うんだ、これが♪




そして、もう一品。

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初めてオーダしてみた、そば豆腐の揚げだし。
お豆腐というより、そうねぇ・・・
白子っぽいというか濃厚な豆乳プリンというか、そんな舌触り。
とろっとろなのでお箸じゃなくてレンゲでいただきました。

これにもそばの実が入ってたまにカリコリとアラレっぽい歯ざわり。
厚めの衣にたっぷりと出汁をつけて。
これがまた、焼酎に合う~!!

そば、蕎麦、そば。
この日選んだ肴は蕎麦づくしになってしまった(^^



最後にお蕎麦。

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10月の変わりそばは“菊切り”ですが、三色蕎麦にしました。
下から、更科(白)、菊葉切り(緑)、菊切り(黄)。
綺麗ですね~!


やっぱり、更科一門の独特の技だという変わりそば・・・美味いなぁ~。
ちょっと最近、更科ファンなの・・・(^^



10月からは“松茸蕎麦”も出てるし、生粉打ち(きこうち)もぞくぞく登場。
これは通い倒さなくては!!


そういえば、去年は通ぶって“生粉打ち”をオーダした時に
「なまこうちそば」なんて言っちゃったんだったなぁ・・・(2008年11月11日の日記⇒港区芝大門 そば屋酒で粋にきめる )。
なつかしや。





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月と太陽をこの手に!

ども にぽぽ です=*^-^*=





5月にパワーストーンのブレスレットを作っていただいた(2009年5月18日の日記⇒府中 オーダーメイドのブレスレット )彩石屋(いろいしや)さんにまた、お邪魔してきました。

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悩みに合わせた石を選ぶ方が多いのでしょうが、相変わらず、にぽぽには悩みも望みもありません(^^;
なんと茫漠とした人生を送っているのだろうか。
だけど、今回は、「ガーネットが欲しい!」という主体的な気持ちをもって、いざ!



スピリチュアルなことに関しては、ノンポリ(ノンポリシー 笑)だと以前に書いたことのあるにぽぽです。
パワーストーンとか、お守りとかそいういうものに過剰にのめりこむ事はないのですが、気持ちがいいなとか落ち着くなという場所や物には、何か不思議な作用があるのかもしれないと思います。

直感というものは大事にしたいと思っているので、欲しいと感じたガーネット、潜在意識でにぽぽが必要としているのかもしれません。




彩石屋店長のeriさんにガーネットが欲しいのだと告げ、アクセントに他の石を入れるかとか聞かれ、出来上がったブレスレット。

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ガーネット(柘榴石)
クリスタル(水晶)

光が当たると石榴色が浮かび上がる。
ガーネットはにぽぽの誕生石でもあるのですが、以前はそんなに好きでもなかった石です。
今は、なぜだか惹かれます。



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真ん中にはお店で気になった、ルチルクォーツ(針入り水晶)を入れてもらいました。



出来上がってみると、にぽぽのブレスレットだなって思えるのが不思議。


5月に作ってもらったブレスレットと重ねてつけても、ニュアンスがよく合います。
どっちもにぽぽだ(^^

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5月につくったのはブルームーンストーンに黄水晶。
ムーンストーンは月の性質を持った石。
今回のガーネットは太陽の性質を持った石なんですって。


太陽と月を手に入れて、最強すぎ(笑)



アクセントに使った石の方に注目してみると・・・
シトリン(黄水晶)は金運・財運の中でも特に蓄財運・貯蓄運を高めてくれる石、なかなかお金の貯まらない人にいいらしい。
ルチアクォーツ(針入り水晶)も、強力な金運石として有名なんですって。



金じゃ、金じゃ、金じゃぁ~。
地獄の沙汰も金次第!
そんなにお金に執着してたんだ、にぽぽって(^^;
知らなかったなぁ~(笑)




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全国的に3連休

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お天気に恵まれた10月の3連休、音信普通になっておりましたにぽぽの日記(笑)
何をしていたかと言えば、実は!!

何にもしていなかったのでした(^^;



なーんにもしていなかったというと、ちょっと語弊があるかもしれませんが、家の片付けなどをしながらなんとなくのほほんと。
そうそう、ささやかなにぽぽのコンテナの植え替えもしましたよ♪

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にぽぽの家は、門から階段を7段ほど上がり、そのまま玄関までうなぎの寝床のようにずずーっと長いのです。
北東向きなので午前中しか陽が入らない、植物には居心地よくなさそうな場所。
お庭のないにぽぽの家で、唯一お花をちょっと楽しめるのがこのスペース。




実は、この四角いコンテナ、この連休に買ってきたもの。

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以前は丸いプラスチックのものを5鉢ぐらい並べていたのですが、どうもすっきりしない・・・。
丸い鉢に植わっている枯れてしまったお花を抜いて、土をフルイにかけて、土の中のムシをどけて(ぎゃーっ!!)、肥料を足して、四角いコンテナに土を戻して・・・
ものすごい重労働でした。
中腰でずーっとこの作業をしていたおかげで、太ももが筋肉痛・・・ああ。



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四角いコンテナに植えたのは、ヒューケラーという葉っぱ。
ぜーんぶ色が違うのですよ、もうちょっとモサモサになったらいい感じになるんじゃないかな。
楽しみ。

ブロ友のまつんこさん( ⇒農家生まれのジャンクガーデンへ ) とかMayuming さん( ⇒ちょこっとの、嬉しいブログ ** 花教室 Atelier May's **へ )のように、お花のセンスがあれば綺麗に寄せ植えつくれるのになーと思いつつ、センスがないので、ぜーんぶ葉っぱ(笑)



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でもこのヒューケラー、葉っぱの裏側が可愛らしいピンクだったりして、オサレは雰囲気をかもし出してくれますね。
にぽぽのようなインチキガーデナーの強い見方だ!



こっちはハロウィンと名のついたビオラ。
オレンジとほとんど黒のような濃~い紫。

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植えたばかりなのでチンマリしてるけど、ビオラも丈夫なので、にぽぽでも枯らさずモサモサに育てられます、いい子だね♪



この連休PCに触らずにいたのですが、今日会社で一日PCに向って仕事していたら、一気に肩が凝りまくりましたっ(><)
やっぱり一日PCに向って座りっぱなしの生活は、体によくないなー、と思いっきり実感したのでした。
明日、マッサージの予約を入れちゃいましたよ、トホホ。





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今日は社会復帰できないうちに、就業時間が終わったのでした(T T)
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吉原その1 地図に残る斜めの四角 

ども にぽぽ です=*^-^*=





浅草雷門の前に来ています。

     1.雷門


朝早いので、仲見世もまだ準備中ですが人が少なくて歩きやすいです。

     2.仲見世

     3.仲見世



せっかく来たのですが、浅草寺の本堂は改修工事中~。

     4.本堂


でもお参りを済ませました。
本日のお散歩は浅草♪・・・ではありません。


“北国”に行こうと思います(笑)
“北国”というのは、江戸時代に存在していた遊郭、あの吉原のことです。



江戸幕府開設直後の元和3(1617)年、そもそもは日本橋葺屋町(現在の日本橋人形町)に遊郭が許可されましたが明暦の大火(1657年)で日本橋の吉原も焼失したことをきっかけに、日本堤山谷付近に移転されることになりました。
以前の日本橋の方を元吉原、浅草の方は正式には新吉原(略して吉原)と呼ばれました。
新吉原は江戸城の北にあったので、北郭・北国・北州とも呼ばれたのです。

遊郭というのは“公許されている”ものを指し、江戸時代には吉原(江戸)、島原(京都)、新町(大阪)が三大遊郭として存在し、他にも20数ヶ所あったらしいです。
江戸の遊郭は吉原のみ、他の場所は“岡場所”などど呼ばれていました。
“吉原遊廓”は昭和33(1958)年2月28日の閉鎖まで、なんと341年間に渡り同じ場所に存在し続けました。




浅草寺の北東部に出て、現在の浅草2丁目、花川戸1、2丁目にまたがる通りを北に向かいます。

        5.馬道

     6.馬道

この道を馬道といい、古く江戸時代から遊客が馬を利用して新吉原へ通う道筋であったことから起ったともいわれるだけに、当時からすでに商家が立ち並んでいたそうです。


馬道が土手通りとぶつかるポイントです。

     7.土手通り



現在は大きな道路となってる土手通りですが、もともとは江戸時代に作られたその名のとおり土手でした。

     8.土手通り
   安藤広重『名所江戸百景』に書かれた日本堤(土手通り)



以前はこの通りに平行して山谷堀があり、吉原に行くには、この堀を船で行くか、浅草柳橋のあたりからを籠を使うかでした。

     10.吉原への道



土手だった名残は交差点の名前に見られます。

        9.土手の名残





浅草寺から10~15分ぐらい歩きますと、見えてくる“吉原大門”の文字。

     11.吉原大門



ガソリンスタンドの右側を入っていったところが、吉原があった地域です。

     12.吉原大門交差点




昭和41(1966)年まで“吉原”という地名があり、台東区新吉原江戸町1丁目、新吉原京町1丁目などの名がありましたが、現在は住居表示の実施により、台東区千束となり、遊郭があったのは3~4丁目にあたります。

     吉原古地図     



どの方向を向いて寝ても北枕にならないよう、斜めに作られた吉原は、今の地図でも割と簡単に探す事ができます。

新吉原地図
(地図はクリックするとちょっと大きくなります)



吉原はその周囲を水をたたえた大溝(おおどぶ)でぐるっと取り囲まれた文字通りの廓でした。
大溝は幕末ごろからお歯黒溝とも呼ばれるようになりました。
これは遊女の使うお歯黒で溝の水が真っ黒だったからとも、水が流れず差し水だったため、いつもお歯黒のように真っ黒だったからとも言われています。

吉原図
(図はクリックするとちょっとだけ大きくなります)



長くなってしまいそうなので今回はここまで~(^^






今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)
次回は吉原の名残を歩いてみようと思います。
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2009年10月14日 8:22am 新宿駅

ども にぽぽ です=*^-^*=




すっかりサボり癖がつきつつあるにぽぽです(汗)
あーっという間に書いておいた日から1週間が過ぎてしまい、吉原お散歩の途中なのですが、こっちの日記をUPします!
あわあわあわっ。



さて、
新宿駅は、明治18(1885)年に現在の山手線が開業したのが始まりで、大正期に入り次第に市街地が拡大するにつれ、京王線や小田急線の私鉄、大江戸線や丸の内線などが乗り入れるターミナル駅となっていきました。

一日の平均乗降者数は346万人、ギネス世界記録に認定されている堂々の世界一多い駅であり、地下道で接続している西武新宿駅まで含めると364万人以上、この数字は横浜市の人口に匹敵するといいます。

新宿を経由する通勤経路のにぽぽも世界一の乗降者のうちの一人という訳です。



殺人的新宿駅の中でも、朝の通勤時間に最も危険なのは、13番線の総武線登りと14番線の山手線内回りのホームです。



10年ぐらい前から駅のバリアフリー化で設置されたエレベータやエスカレータで場所をとられ、ただでさえ狭いホームがさらに狭くなり、電車が入ってきても、黄色い線の“外側”を歩かざるを得ない。
動いている電車とスレスレですれ違うという命がけの状況です。

いつか大事故が起こるに違いないと思いながらも、意外事故は起こらない。
だからってコレでいいのかは疑問だけど。



前置きが長くなりましたが、これは先週のこと。

いつものように京王線からJRへの連絡通路を通り、中央通路を山手線に向かって歩いてました。
ら、ら、ら・・・?
人だまりで動けなくなってしまいました。

ホームに登る階段もこんな!!

3.山手線ホームへ



そしてにぽぽの後ろもどんどこ、どんどこ、人が増えていきます。

4.後ろ

にっちもさっちもどうにもブルドック(古っ)


どうやら目黒か五反田のあたりで“線路内に人が立ち入った”ために山手線が遅れていたのでした。


ちょっと電車に遅れがでると、あーっという間に人があふれてしまいます。

DSCN8306.jpg

そしてこの人たちみーんな同じ電車に乗り込むんですよ。
新宿駅を使う通勤・・・ものすごい過酷です(T T)





今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)
にぽぽは今日もがんばって通勤ラッシュにもまれていまーす!
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吉原その2 生きては苦界

ども にぽぽ です=*^-^*=





前回に続きまして、今回は吉原遊郭のあった場所を歩いてみたいと思います。

吉原図
(図はクリックするとちょっとだけ大きくなります)

↑これ、会社のPCのパワポで課長の目を盗みつつ、こちょこちょと一生懸命描いたので、また載せちゃいました(笑)



この角に植えられているのが“見返りの柳”。

        13.見返りの柳

かつて京都の島原遊郭の門口に柳があったことから、吉原でも柳を植えていて、その柳の辺りで遊び帰りの客が去りがたい思いを抱いて遊郭を振り返ったのが“見返り柳”の由来だそうです。


ちなみにこちらが京都島原大門の跡。

     島原大門2

これは新選組関連の史跡を訪ねて京都を旅した時に撮ったもの。
右側の火消し桶の横あたりに柳が植わっていたような記憶があります。
どうせなら柳まで写せばよかったのにね(^^;



吉原の“見返りの柳”は当時のものではなく植え替えられた6代目だそうで、柳があったのは山谷堀脇の土手だったそうです。



     14.見返りの柳



     15.衣紋坂

この道を衣紋坂といい、土手通りから吉原遊郭の入口に向かう坂です。
遊客がここで身なりを整えた(衣紋をつくろう)ことに由来するといいます。
また、街道から遊郭を見通せないようにS字状に道を付けたとされています。

歩いてみるとグル~っと円を描いているようなきついS字カーブですが、吉原時代そのままの道なりだそうです。

広重 東都名坂つくし之内 衣紋坂
広重 衣紋坂



右側手前のマンションが「松葉屋」跡です。

     16.松葉屋跡

松葉屋は江戸時代から続く引き手茶屋で、1998年まではとバスのツアーコースとして“おいらんショー”に取り組んでいました。
この手前に「大門」がありました。
土手通りの吉原大門交差点のところに大門があったのではないのですよ。



松葉屋跡を右に曲がり、今は道となっているかつてのお歯黒溝を反時計回りに歩いてみます。

     17.お歯黒溝



細い道を行くと左側に「吉原公園」の入口階段が現れます。
この階段の右側の石積みが、かっての吉原お歯黒ドブ跡の石垣の遺構です。

     18.お歯黒溝遺構


吉原の時代から残っているものは、もうこの2m程度の石垣しかありません。

     19.お歯黒溝遺構
 
     20.お歯黒溝遺構




角を曲がって西河岸側のお歯黒溝だったところ。

     21.西河岸側



さらに曲がって常夜灯のあった場所から仲の町通りを吉原大門に向って見ている状態です。

     22.水道尻



仲の町通りをすぎて京町二丁目側のお歯黒溝のところ。

        23.水道尻側


大溝は新吉原初期のころ5間の幅(約9m)があったそうですが、江戸末期から明治初期のころ2間(約3.6m)に狭められ、さらに明治36年ごろには3尺幅(約1.2m)となりました。
この道幅がちょうどお歯黒溝のまんまという感じがします。



三つ目の角を曲がって、現在花園通りと呼ばれている通りが羅生門河岸側のお歯黒溝です。

     25.羅生門河岸側

きらびやかなメインストリート、仲の町通りから東西の河岸に足を運ぶと、世界は一転。
花魁遊女の年齢制限は27歳。
身請けは数えるほどの、しかも花魁格に限られ、年季明けでも故郷に帰れず東西河岸に落ちる遊女が多かったのだそうです。

なかでもこの東河岸はもっとも凄絶で、時間にして10分程度で一人の客を相手にし、代金は100文~50文(1000~750円)、狭い間口の戸のところに遊女が立って客を引き摺り込む仕掛け。
“羅生門河岸”の別名があるのは、人間の腕を捕まえたら死んでも放さない茨木童子の羅生門の鬼の故事に由来するという、遊郭というより地獄の様相だったと語られています。

華やかな吉原の濃い影の部分だったのでしょう。



お歯黒溝をくるっと回って戻ってきた吉原大門があった場所。

     27.吉原大門跡

約2万坪(6万6000平方メートル)に数千の遊女がいたといわれる吉原の唯一の出入り口がこの場所でした。
「江戸時代にタイムスリップして、昔日の吉原情緒を感じられるものを」と地元商店会が費用を出して復活させた大門があります。


明治中期小川一真撮影 吉原大門

時代により大門のデザインはいろいろだったようですが、これは明治中期の頃の写真です。



吉原大門からまっすぐ伸びているのが仲の町通り。
花魁道中も行われたメインストリートで、春には桜の木が植えられたりと、お客達を夢の世界にさそうような演出がされたようです。

歌川広重 吉原夜の桜



仲の町通りのちょうど真ん中ぐらいに“稲本”という名前の旅館がありました。

     29.旅館稲本


吉原の大店であった“稲本楼”と関係があるのかと思い、帰宅してから調べると、“旅館稲本”の後ろ側にあったビジネスホテル稲本が、もと稲本楼のあった場所なのだそうです。

大正3年 稲本楼小柴

これは大正3年に稲本楼がかかえていた花魁(かな?)小柴の写真です。


一時期は日本一のソープランド街とよばれましたが、現在は下火に。

     28.横道

それでも150件の風俗店が営業しているとの事ですが吉原遊郭であった6町のうち、営業禁止区域になった京町一・二丁目全域と江戸町一・二丁目の東側半分はマンションが新築され、遊郭吉原の面影は時代と共にどんどん薄れているようです。

     32.京町一丁目




常夜灯があったあたりを通り過ぎた右手に吉原神社があります。

     33.吉原神社

この神社ができたのは明治8(1875)年、それはで吉原にまつられていた5つの稲荷神社を合祀したものだそうです。
今の場所にうつったのは大正12(1923)年緒関東大震災の後だそうで、昭和10(1935)年には吉原弁財天を合祀しました。
遊女達の喜怒哀楽を見つめてきたこの神社は、女性の幸せへのご利益があるといわれ、最近は江原さんがおすすめしているスピリチュアルスポットだそうで、注目をあつめているらしいです。





今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)
あともう一回、吉原のお散歩にお付き合いくださいね。
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吉原その3 死しては浄閑寺

ども にぽぽ です=*^-^*=


江戸時代の名残を歩く時には、現代の風景に江戸時代の風景を透視させるようにして歩くので(←病気!病気! 笑)、いつも歩き終わるとぐったりするのですが、今回は特に疲れを感じました。


羅生門河岸のあたりを歩いてると下腹のあたりがシクシク痛くなったりと、ちょっと不思議なこともありました。
幽霊は見たことないですが、歴史散歩をしていると、「ここはちょっとヤバイ雰囲気」とか、「なんか寒気がする」という場所にあたることがあります。
その土地に暮らした人々の気持ちが、ずーっと長く細く積もって残ることもあるのかなぁって思ったします。

だからといって、吉原遊郭の跡はヤバイですよーといい加減な事を言いたいのではないですよ。
地元商店会の方々が町興しにといって、吉原遊郭があったことを記憶から消さず、その土地と一緒に暮らしていこうとする姿勢はいっそ清々しい思いがしますし(^^

人と人に相性があるように、人と土地にも相性があって、“気”みたいなものをキャッチしちゃうこともあるのかもねっていう話しです。




ということで、元気のでるものをガッツリ食べたくなったにぽぽです。

土手通りの吉原大門交差点まで戻って、山谷堀があった側に信号を渡りますと、木造のいい~雰囲気の建物があります。

     34.土手のいせや



明治22年創業の老舗、“土手の伊勢屋”です。

     35.店


店名「伊勢屋」の由来は、創業者が伊勢出身だったからだそうで、山谷堀の土手沿いにあったので「土手の」という屋号が付いたとか。



     36.看板

吉原遊郭や浅草観音のお客様向けの食堂として営業を始めましたが、現在は、天麩羅のみ。
とっても有名はお店で、行列覚悟で行かなければなりません。

吉原のお散歩の時は伊勢屋さんで天丼を食べようと狙ってきていたので、行列が出来始める時間にお店に到着し、列の4番目に滑り込みました!抜かりありません、ふっふっふ。

     37.すりガラス



席に着くと、どのお客さんも迷いなく「イとナメコ椀」、「ハとナメコ椀」、「かき揚げ丼」、「アナゴ椀なし」とか、ちゃんちゃん♪とリズムよくオーダしていきます。
イ、ロ、ハは、並 上、特上よいうような事。

初心者にぽぽ、アワアワと慌てまくりリズムを崩す・・・。


厨房からはパリパリと油の音とごま油のいい香り。
明治から変わらない店構えだそうで、床も柱も油で黒光り、貫禄でてます。


どんぶりから天ぷらがはみ出した天丼はこちらの名物です。

     38.ハとなめこ


すんごいボリュームで全部食べられないかも・・・
胸焼けしちゃうかも・・・



     39.天丼

なんて心配は全く無用、完食。

特にアナゴの天ぷらはカシッ!といい音がします。
脂の多いアナゴの天ぷらって、フニっとして当たり前だと思っていたので、油ぽさを感じない天麩羅にびっくり仰天!
濃い目のタレは正に江戸の味!



ここでコメントでもいただいた『吉原炎上』のことについて、ちょっとふれておきます。

名取裕子さん主演『吉原炎上』
映画/吉原炎上2

映画『吉原炎上』は主人公をはじめフィクションですが、モデルになったのは、明治44(1911)年の“吉原大火”です。


吉原は江戸時代にたびたび火事に見舞われています。
俗に“村八分”という言葉があって、仲間はずれにされいても、“葬儀”と“火事”の二分には手を貸すといわれますが、お歯黒溝の内側はまったく外界に触れさせなかったため、火事が起こっても吉原の中だけで対処しなければなりませんでした。
そのため、ひとたび火事になると、ほとんど全焼といった具合に被害は大きかったようです。


これは明治44年の吉原大門。

明治最後の吉原大門

映画でも再現されていました(^^

映画/吉原炎上1



そして、4月9日に起こった大火の被害

明治44年の大火その1

明治44年の大火その2


吉原大門

大火で焼かれた大門

吉原大火の後、大店は再建されず、小規模な遊郭が営業を続けたようで、大正、昭和と時代が下っていくにつれ吉原の華やかさは失われていったようです。




さて、天丼をたいらげ、モリモリに元気回復したにぽぽは、土手通りをさらに北に歩きます。

土手通りは三ノ輪2丁目で明治通りと合流し、さらに大関横町でR4である昭和通りと交差します。

     41.三ノ輪

だたっぴろい車だらけの通り(^^;



大関横丁で昭和通りを右に入り常磐線の線路のすぐそばに“浄閑寺”があります。

     42.浄閑寺


吉原遊郭の誕生(1657年)よりも2年早い明暦元(1655)年に創建されました。

安政2(1855)年の大地震の際、多くの吉原の遊女が、投げ込み同然に葬られたことから「投込寺」と呼ばれるようになりました。
その後も、身寄りのない遊女たちを葬り、関東大震災や東京大空襲で焼死した遊女たちもこの寺に投げ込まれたそうで、その数約一万一千人といわれていますが、新吉原開業以来からの数は二万五千に及ぶそうです。



        43.慰霊塔

浄閑寺には、遊女たちを供養するために建てられた“新吉原総霊搭”があり、その台座には『生まれては苦界 死しては浄閑寺』と刻まれた句碑がはめ込まれています。





今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)
3回にもわたる吉原散歩にお付き合いいただきまして、お疲れ様でした!
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カレンダー

ども にぽぽ です=*^-^*=





今日の東京・八王子はとっても寒かった~!
朝から雨で日差しがなかったのも影響しているのだと思いますが、一日暖房をつけて過ごしていました。


はっと気づけば、もう10月も最後の日曜日。
あと2ヶ月で今年も終わってしまう~っ(汗)
アタフタと意味も無く慌てたりします。



この時期お店にいけば、カレンダー売り場が大盛況!
にぽぽの部屋には、いつもPCのところに小さい卓上カレンダーを置いています。



来年のカレンダーを購入してきました(^^

DSCN8299.jpg



チラッと中をのぞいてみますと~

DSCN8300.jpg

満月、新月などが一目瞭然!



さらににぽぽに嬉しいのは、

DSCN8301.jpg

旧暦の日付が書き込まれているところです!
にぽぽのように江戸時代好きだと、歴史のいろんな出来事が今の太陽暦だと季節感がどうも変。
今まで手帳に自分で旧暦の日付を入れていたのです(←物好きっ)

こういうのが出たということは、にぽぽのような病気の仲間がたくさ~ん増えたってことかしら♪



新しいカレンダーを見ると、新しい年はどんな1年になるかな~ってウキウキしますよね!






今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)
楽しい事がてんこ盛りの1年でありますように!
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日常を旅するトラベラーズノート

ども にぽぽ です=*^-^*=





みなさんはスケジュール帳って使いますか?



最近はケータイやi-podのスケジュール機能を使ったりしている方も多いのでしょうね。
アナログ人間のにぽぽは、だんぜん手帳派です(^^

エコ的には紙を使わないほうがいいのかな?
だけども、落書きしたり、シール貼ったりっていう作業の楽しさを諦めきれないので、手帳ぐらい許してもらおう。



前回のカレンダーに関連して、今回は来年の手帳のお話です、恐縮です(^^;

ここ5年は、長財布サイズのシステム手帳を愛用していたのですが、ちょっといいものみ~つけた!
・・・というか前からいいな~って思ってたんだけど、システム手帳も壊れてないし、もったいないし~・・と買うのを控えていたのですが、とうとう我慢が限界になって買っちゃた!

DSCN8369.jpg



そっけないぐらいのシンプルさ。

DSCN8370.jpg



牛革をバッサリとカットし、ゴムを錫製のパーツで留めただけのとてもシンプルな作りです。

DSCN8371.jpg




真ん中に通ってるゴムに別売りのリフィルノートを好きななようにセットして使います。

DSCN8373.jpg




にぽぽは月間スケジュールと、方眼ノートと、茶色のクラフト紙のノートを選びました。

DSCN8374.jpg

方眼ノートはお散歩に役立ちそうなお店情報や地図なんかを控えて、クラフト紙の方はいろんなチケットをペタっと貼ったり落書きしたりなんてイメージしてます(^^



トラベラーズノートは自分の使いやすいようにアレンジできるのも魅力。
飛行機や新幹線のチケットも挿めるように、これも別売りのポケットを装着♪

DSCN8376.jpg




DSCN8377.jpg

DSCN8378.jpg




三冊のノートをセットすると、ぐぐっと厚みが出て“それらしく”なってきました(^^

DSCN8379.jpg



購入時は茶色のノートには茶色のゴムが付いているのですが、ゴムの色を変えただけでも印象が変わって楽しいです。

DSCN8380.jpg

表紙にペイントしたり、レザークラフト売り場にある革のお花なんかをビス留めしても楽しそう。




にぽぽはしばらく、基本のデザインで楽しむつもりですけど・・・


“しおり”の紐に手持ちのカレン族のシルバービーズをつけて

DSCN8382.jpg


ゴムにもカレン族のシルバービーズとウッドビーズを通し、ちょっとだけカスタマイズしてみました。

DSCN8383.jpg



タイ北部の都市チェンマイの工房で丁寧になめされている牛革と、タイの少数民族であるカレン族のシルバービーズ。
意識した訳じゃないけど、とっても馴染んでる気がします!




来年からこのノートを使いたおす予定。
植物性タンニンでなめした牛革は傷が付きやすいのが難点ですが、使うほどに味が出てくるそうですから、傷も色落ちも思い出の一つとして経年変化を楽しみたいと思います。



ノートがいい感じにくたびれた頃には、沢山のステキな旅の思い出に囲まれているハズ♪

DSCN8385.jpg



何気なく過ぎていく毎日にいろんな発見をしながら、旅するように日常を楽しみたいと思わせてくれるステキなノートに出会いました♪

トラベラーズノートHP ⇒こちら





今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)
手帖のカスタマイズでプチクラフトを楽しみました!
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Author:にぽぽ
東京の西のはじっこに住んでいます。
お散歩したり、まったりしたり、美味しいもの食べて喜んだり。

2010年 江戸文化歴史検定3級・2級合格。
2014年 新選組検定3級・2級合格。
たまに歴史と新選組のオタク日記になります。

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お仕事がとってもとっても忙しくなってしまってReコメできないのが心苦しく、コメントをいただかない設定にしております。

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