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歌舞伎デビュー! 七月大歌舞伎

ども にぽぽです=*^-^*=


大人が観に行くもの。
そんなイメージがあって、なかなか足を踏み入れられなかった歌舞伎座。

でも、そろそろにぽぽだって、いい大人の年齢に達しているので、ここらで一発!
歌舞伎を楽んでみたーーーーーいっ!


チケットは、夜の部(開演4:30pm)なので、
銀座6丁目にある、鉄人 道場六三郎さんのお店 “懐食みちば”で遅めのランチ。
お手軽なコースの五法膳。
五法「生、焼、蒸、煮、揚」を楽しめる膳だそうです。

20150709銀座1


前菜

20150709銀座2

冷やし煮物と添えられている青もみじが、夏らしく涼しげ♪
お皿のななめ右上から 魳寿し、蟹すだれ巻き、チーズ黄金焼、ブドウの天ぷら!

ねっとりしたチーズの次に程よい酸っぱさのブドウとか、いろんな味がぎゅっとなっているお皿でした。


御椀

20150709銀座3

鱧しんじょと小蕪、ジュンサイも入って、これまた夏らしいお椀。
道場さんの命の出汁をたんのうです。


御膳

20150709銀座4

20150709銀座6

20150709銀座5

お造りは、トロのようなカツオ。氷の演出が粋ですね。
焼き物は丸茄子の煮びたしのお皿の中に焼き魚とパプリカ。これも彩がきれい。
茶わん蒸しにはトウモロコシと湯葉!意外な組み合わせが絶妙の味バランス。


食事

20150709銀座7

お食事は、うどんの冷たいのか温かいのか。赤だしごはんかの、いずれか。
にぽぽは冷たいうどんをお願いしました。
ゴマの風味が効いている豆乳スープのおうどんは、いくらの塩気がちょーどよかった。


水菓子

20150709銀座8

杏仁豆腐かなと、スプーンを入れたら、中は鮮やかなグリーン。
枝豆のプリンでした。

デザートを食べる頃にはお腹ポンポコに。
どれも綺麗で、ちょうどよい美味しさ。


はぁ~、満足満足♪♪



・・・・


じゃなくて、今日は歌舞伎がメインだった。


20150709銀座9

この日(2015.07.09)、銀座はあいにくの雨。
まあ、にぽぽは雨女ですし、梅雨明け前ですから当然の天気と言えますけどもね。

以前にこの辺りをお散歩したのは、歌舞伎座が高層ビルになる前だったので、もう5年も前のことです(2010年3月8日の日記⇒銀座 龍馬伝)。
さぼりさぼりではありながら、このブログも結構長く続いてるもんですね。


20150709銀座10

夜の部の演目は、
平家物語を題材にした熊谷陣屋と牡丹灯籠。

初心者のにぽぽにも馴染みのあるうれしい演目。


20150709銀座11

熊谷陣屋には、市川海老蔵さん
牡丹灯籠には、市川中車さんと坂東玉三郎さん!


歌舞伎座の前の人だかりは、4時に開場すると、我先にと中に押し入っていきます。
指定席なんだから急ぐ必要はないんですけど、なんか熱気に押されて早くいかなくちゃっていう気になってしまう。


20150709銀座12

会場に入ると、舞台には歌舞伎のシンボルである“定式幕”がふわりとかかっており、
おー歌舞伎観に来たんだよな~という気分が盛り上がってまいります。

ちなみに、江戸時代の芝居小屋における幕は、幕府が許可を与えている芝居小屋にだけにしか許されていませんでした。
幕府が許可を与えていた芝居小屋は三つだけで、中村座、市村座、森田座で、『江戸三座』と呼びます。
(当初は山村座を入れた四座だったのですが、山村座は有名な江島・生島事件で没落してしまったのです。)

『江戸三座』のあった時代の幕は座ごとに配色が異なっていて、中村座が黒・白・柿(現在は平成中村座が使用)、市村座は黒・萌黄・柿(現在は国立劇場や大阪新歌舞伎座が使用)、森田座は黒・柿・萌黄(現在は歌舞伎座や京都南座が使用、天乃屋の歌舞伎揚げもこれ!)でした。



寛政年間(1789~1800年)の森田座です。

寛政年間の木挽町森田座

こちらは、一つ目の演目が終わった後の平成年間の歌舞伎座(笑)。

20150709銀座13

花道があって、桟敷席があって。
構造は江戸時代から引き継がれています。

一つ目の演目と二つ目の演目の間の幕間は35分。
この間にお弁当を食べていたりします。幕の内弁当ですね!


一谷嫩軍記・熊谷陣屋の市川海老蔵さんの“制札の見得”(歌舞伎の中の有名な見得)も良かったし、牡丹灯籠の市川中車さんもよかった!
なんていったって、坂東玉三郎さんの素敵だったこと!!
仕草が美しいばかりではなく、中車さんとのコミカルな掛け合いに、会場は笑いまくり。
怪談なのに、人間のエゴだったり、欲だったりがオカシク描かれているんですよ。
牡丹灯籠ってこういう話だったのかーと初めて知りましたよ、にぽぽは。

牡丹灯籠が空を飛んだり、いろいろな仕掛けがあってすごく楽しかったです。

ちなみに、牡丹灯籠はそもそも落語の演目で、歌舞伎化されたのは明治25(1892)年なので、言葉もわかり易くて、初心者のにぽぽでもじゅーーーーぶん楽しめました♪



20150709銀座14

歌舞伎を出ることには、すっかり歌舞伎にはまった にぽぽでした。
次は桟敷席で幕の内弁当を食べたいぞーっ!! (←そこ?)




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日本橋 失われた川を求めて その2

ども にぽぽ です=*^-^*=




さて、日本橋からのお散歩に戻りましょう。



永代通りを西へ。

201201日本橋散歩24



埋められてしまった道三掘りの名残を探してみます。

201201日本橋散歩25



東京都千代田区大手町2-2-1の新大手町ビルジングと野村ビルの間の通り。

201201日本橋散歩26


ちょうどこの通りが、道三掘りに架っていた道三橋の跡になります。

201201日本橋散歩27
 



道三橋を越えて、永代通りを進めば、そこは江戸城大手門。

201201日本橋散歩28


永代通りに並行するようなイメージで道三掘りがあって、江戸城まで続いていた・・・現在の景色からはまったく想像もできませんねぇ・・・。



201201日本橋散歩29

道三橋跡のすぐそばでは、建っていた古いビルを壊し、新しいビルへの建て替え工事が進行中。
そして、永代通りの地下では、なにやら地下鉄の工事が行われているらしい・・・今の東京の景色も、騒音をたてつつ静かに、静かに、変わり続けているんだな~。




永代通りを戻って、再び銭瓶橋跡の辺りへ。

201201日本橋散歩30



さらに、進んで外堀通りとの呉服橋交差点から、今度は外堀通りに入ってみます。

201201日本橋散歩31



外堀通りは、言わずと知れた、江戸城の外堀を埋めて道路にしたところ。

     201201日本橋散歩33

呉服橋交差点のあたりは、道路より歩道が高くなっているところがあり、道路に降りる階段がなんとなく小さい船着き場のよう。



やがて進行方向右手に見えてくるのが、東京駅の八重洲口。

201201日本橋散歩34

八重洲の地名は、慶長5(1600)年に日本に漂着し、徳川家康に重用されたオランダ人ヤン=ヨーステン・ファン・ローデンスタインの屋敷があったことから、和名「耶楊子(やようす)」をもじってつけられたと言われています。



201201日本橋散歩35

八重洲口のグリーン地帯の中には、記念プレートもありますが、ヤン・ヨーステンの屋敷があったのは、現在の東京駅の西側、江戸城の和田倉濠に沿った辺りだったようで、江戸時代の地図には、和田倉濠のところに“八重洲河岸”という文字が見えます。

また、八重洲口の辺りに架っていた八重洲橋は明治時代になってから架けられたので、江戸時代はこの場所には橋はありませんでした。



お散歩も、もう終盤。
張り切って、外堀通りを南に進んで行きましょう!

201201日本橋散歩36



ビルが途切れた鍛冶橋交差点。

201201日本橋散歩37

ここにあった鍛冶橋を渡り、ほぼ正面に見えるガラス張りのビルの東京国際フォーラムの辺りにあったが土佐藩の上屋敷。
坂本龍馬も立ち寄りました(2010年3月5日の日記⇒ 東京 龍馬伝 )


もう銀座1丁目のあたり。

201201日本橋散歩38



そのまま進むと、JR有楽町の駅の近く、数寄屋橋交差点です。

201201日本橋散歩39


鍛冶橋の次に外堀に架かるのは数寄屋橋でした。

201201日本橋散歩40



数寄屋橋を渡ったところには、南町奉行所がありました(2010年3月12日の日記⇒ 遠山の金さんと龍馬の有楽町で逢いましょう♪ )。

201201日本橋散歩41


外堀と江戸城の間、現在の東京駅の辺り一帯は、大名小路と呼ばれた、今でいう官公庁街だったので、江戸時代が終わった明治時代初期には、大名屋敷に詰めていた人たちはみな地元に帰ってしまい、ほとんど無人の状態。
その広大な屋敷や奉行所の土地を活用して、明治政府は一気に近代化を進めることができたのでした。

だから、交差点に外堀に架っていた橋の名前が残っている以外、江戸時代の名残を探そうと思ってもな~んにも見つけることはできないのです。

そして、常に変化し続ける東京の景色、数年後にここを歩いたら、また違った景色になっているのかもしれません。




変わり続けていく街並みで、引き継がれていく江戸もあり。

201201日本橋散歩42

銀座あたりのお寿司屋さんへ入る勇気がなく(汗)、駅近の回転寿司へ。
江戸時代、お寿司は屋台で提供される庶民の食文化だったのですから、これも立派な江戸文化でしょう。

それにしても、回転寿司でも八海山が飲めて、お寿司もそこそこなものが出てくる日本って、素敵よねーと、カウンターで隣り合わせたフランス人3人のツーリストがお寿司を楽しんでいるのを眺めつつ、お酒をすするにぽぽなのでした。



日本橋町人地 2


ビルばっかりの写真で、何が何だかわかりませんでしたね、これは(汗)
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2012年の常磐橋

ども にぽぽ です=*^-^*=





前回のお散歩から、ちょっと寄り道になりますが・・・。


201201常磐橋1

一石橋から外堀を上流に向かうと、“常盤橋”、“常磐橋”、“新常盤橋”というふうに、“ときわばし”が三つ架っております。


江戸時代から外掘りに架っていたのは、真ん中の“常磐橋”になります。

201201常磐橋2



江戸城の城郭門 「常磐橋御門」 の 見附橋 として架けられたもので、創架時期は定かではありませんが、見附が出来たといわれる寛永6(1629)年よりも以前から橋はあったようで、一説には天正18(1590)年とも伝えられているそうです。

201201常磐橋3



大手町側には 枡形門 の石垣跡が残っています。

201201常磐橋4

この門は、“日光街道(奥州街道)”に向う主要ルートであり、将軍家や水戸徳川家も利用する重要な見附でありました。

この橋も、もとは下に皿の“常盤橋”でしたが、皿は割れるのでよくないので改名するよう、町年寄の奈良屋市右衛門が命ぜられ、市右衛門は自宅に寄宿していた浪人に頼んで橋の名を考えてもらい、下が石の“常磐”という名を献じたそうです。



江戸時代にはむろん木造の橋でしたが、明治10(1877)年、廃止された常磐橋門の石垣の石を流用して石橋に改築しました。
日本橋よりも古い、都内随一の貴重な洋式石橋なのです。



現在は史跡として保護されつつ、車の通行はできませんが、歩行者は渡れるという情報を得ていたので、渡るのを楽しみにしていたのですが、

201201常磐橋6

なんと、通行止めに!!



橋の下から見ると、その理由は一目瞭然。

201201常磐橋5
(日本橋川クルーズの時の写真です。)

2011.03.11に起こった東日本大震災の時、常磐橋の石もあちこちずれてしまったのだそうです。

この石が一つでも落ちてしまうと・・・御想像の通り、その横、さらに横とつぎつぎに石が落ちて、橋が崩落してしまうのです。
現在、橋の下にはセンサーが付いていて、石が少しでも落ちると千代田区役所にブザーが鳴るようにして管理しつつ、修復を待っております。

日本橋川クルーズで、この橋の下を通る時は、かなり怖かったです。



大手町側にある常磐橋公園から見たところ。

201201常磐橋8



枡形門 の石垣も、番号が書かれたシールが貼られて、専門家らしい人が調査に来ていました。

201201常磐橋7

見た感じではわからないけど、やっぱり地震でなにか被害がでたのかな?



201201常磐橋9

東日本大震災から1年がたちました。
思わぬところで、地震の被害を見ることになり、改めて、あの地震のすざましいさを感じたのでした。





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日本橋 失われた川を求めて その1

ども にぽぽ です=*^-^*=




日本橋三越でお昼ご飯を食べた(2012年2月24日の日記⇒ 日本橋 お江戸のへそ )後のお散歩であります。


201201日本橋散歩1

日本橋三越本館と中央三井信託銀行の間の通りを歩いていこうと思います。


江戸時代の景色はこんなでした。

     201201日本橋散歩2
安藤広重 『名所江戸百景』 する賀てふ


通りを挟んで越後屋があり、正面には堂々たる富士山が見えました!



この辺りは、天正18(1590)年、徳川家康が江戸に来てすぐに造成された町割です。
地子免除(地租税ととらない)として、伊勢、大阪、京都、堺、奈良、近江、三河などから商人や職人の進出を奨励して、江戸の商工業の中枢となったエリアです。
今でいう、特区ですね(^^


中央三井信託銀行の裏手には、江戸町方の総とりまとめ役、今でいう東京都副知事のような役割である“町年寄”を務めた樽屋(代々藤左衛紋を襲名)の住居兼役宅がありました。

“町年寄”は樽屋の他、奈良屋(現在の日本橋石町の住居、市右衛門襲名、後に館の姓を許される)、喜多村屋(日本橋室町2-4辺りに住居、彦右衛門を襲名)があり、この3家が世襲して幕末まで務めたそうです。

樽屋は、三方ケ原の合戦(長篠の合戦という説もあり)の時に、徳川家康に酒樽を献上したことから、“樽屋”の屋号となったそうで、“町年寄”の筆頭であり、関東33ヶ国の升、樽改めの特権を与えられていたとのこと。
樽屋の刻印のない升、樽の使用は禁じられていたので、その方からの収入もん莫大なものだったそうです。



201201日本橋散歩4

中央三井信託銀行の建物を過ぎた次の区画にあるのが、日本銀行です。
日本のお金を作っているところですが、江戸時代にもお金(金貨)を作っていた“金座”があったところです。



日本銀行を過ぎたところは常盤橋交差点。

201201日本橋散歩5

201201日本橋散歩6

正面の高速道路の下は日本橋川が流れていて、向かって右に常盤橋(写真の字の新常盤橋は間違いです、すみません!)、左に一石橋となりす。
物流を船に頼っていた江戸時代は、ここは水路のターミナル・ポイントでした。



一石橋です。

201201日本橋散歩7

一石橋の名前の由来は、北橋詰に金座御用の“後藤庄三郎”の屋敷があり、南橋詰に御用呉服商の“後藤縫殿助”の屋敷があったので、「五斗+五斗で一石」ともじった洒落から名付けたと伝わっています。

この手のダジャレ、多いですよね江戸時代って(笑)



現在はもちろんコンクリートの橋になっていますが、この橋って、桁下がえらく低いのですよ!

201201日本橋散歩8
(これは日本橋クルーズの時の船からの写真)

満潮時は、橋の下を船が通るのは厳しそうな感じです。



話を江戸時代に戻しまして、一石橋は、「八つ見橋」や「八橋」とも呼ばれていました。
先ほど、この地点はターミナル・ポイントであったと書きましたが、この一石橋で日本橋川は外堀とつながり、さらに江戸城に物資を運び入れるために掘られた道三掘りとつながっておりました。

201201日本橋散歩9



橋上に立つと自身も含めて八つの橋(外濠の常磐橋・呉服橋・鍛冶橋、日本橋川の一石橋・日本橋・江戸橋、道三堀の銭瓶橋・道三橋)が見渡せたことが由来で、江戸の名所のひとつだったのです。

     201201日本橋散歩10
安藤広重 『富士三十六景』 東都一石ばし

絵の手前が一石橋、次に見えているのが道三堀の銭瓶橋、その向こうに小さく道三橋、さらに江戸城が見えたのですが、

201201日本橋散歩11

現在は川の上は高速道路だし、道三堀が埋め立てられて銭瓶橋はないし、ビルが建てられてしまい江戸城はもちろん見えないし(涙)。



     201201日本橋散歩12
安藤広重 『名所江戸百景』 八ツ見のはし 

江戸の頃の景色がまぶしい~っ(><)



一石橋を渡った南詰めには、正面に「満よひ子の志るべ(迷い子のしるべ)」と書かれた石標が残されております。

201201日本橋散歩13

江戸期の後期、この付近はかなりの繁華街で、迷い子が多く出たそうです。
当時は迷い子は町内が責任を持って保護するという決まりがあり、付近の有力者が世話人となり安政4(1857)年2月に「満よひ子の志るべ(迷い子のしるべ)」が建てらました。


左側には「たづぬる方」、

     201201日本橋散歩15

こちらの窪みに迷子や尋ね人の特徴を書いた紙を貼ります。



標の右側には「志(知)らする方」、

     201201日本橋散歩16

「たづぬる方」の紙を見た人の中で心当たりがある場合は、その旨を書いた紙を「志(知)らする方」の窪みに貼って迷子、尋ね人を知らせました。

このほか浅草寺境内や湯島天神境内、両国橋橋詰など往来の多い場所に数多く設置されたようですが、現存するものは一石橋のものだけです。




201201日本橋散歩17

「満よひ子の志るべ(迷い子のしるべ)」を背にして、JXビルと日本ビルジングの間。
ここは江戸時代の道三掘りの上にあたります。

201201日本橋散歩18

この辺りに架っていた“銭瓶橋”の説明板があると噂を聞いたので、しばし探してみましたが発見できず、ビルのガードマンさんに不審な目で見られてしまいました(またしても・・・汗)。

天正19(1591)年に伊勢出身の与市という人が、銭瓶橋のたもとで銭湯風呂を営んだことが記録として残っております。
江戸の銭湯第一号なのですが、なーんの名残もありません、なんか残念。
ものすごく江戸城に近いこの場所で銭湯だなんて!
名づけるなら絶対、「将軍の湯」で決まりなのに(笑)。



ビルの間を歩いて、正面が永代通り。

201201日本橋散歩19


ほぼ正面の太陽が反射しえいるのが、ホテルメトロポリタン丸の内で、東京駅の日本橋口の辺り。

201201日本橋散歩20



ここを左に行くと、すぐに永代通りが外堀通りとぶつかる呉服橋交差点になりますが、その辺りに架っていたのは、もちろん呉服橋。

201201日本橋散歩21

呉服橋を渡った先、現在のグラントウキョウノースタワーの辺りにあったのが北町奉行所です(2010年3月5日の日記⇒ 東京 龍馬伝 )。




201201日本橋散歩22


そんなに距離は歩いていないのですが、江戸時代の地図と現在の地図を見比べながらのお散歩は骨が折れます(笑)。

201201日本橋散歩23

甘いもの補給して、脳ミソを一休みさせるとしましょう!



日本橋町人地 1

江戸のオタク散歩、次回に続きます!
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日本橋 お江戸のへそ

ども にぽぽ です=*^-^*=




201201日本橋1

日本橋に来てみましたぁぁぁ!
ブログを初めて4年目になろうとしておりますが、なんと日本橋界隈を歩くのは初めてなのです。
お江戸といえば日本橋というのにね。



江戸時代の日本橋の風景はこんなでしたよ。

201201日本橋2
安藤広重 『東海道五十三次』 日本橋朝ノ景



同じ方向で撮った現在の日本橋。

201201日本橋3

日本橋南側からの景色になります。

日本橋七つ(午前4時)立ちという言葉通り、朝焼けの中、日本橋を北から南に渡ってくる大名行列は、参勤交代を終えて、東海道を品川へ向かい、知行地(地元)へと帰るところなのでしょうか。




日本橋の南詰西側には幕府の通達や禁令を知らせる“高札場”がありました。

201201日本橋4



向かいの東側、現在の野村ビルの前の広場辺りには処刑予定者の晒し場があり、男女の姦通者、女犯の僧侶、心中未遂者などが晒し者にされました。
見せしめの意味があったのですが、物見高い江戸っ子達には格好の娯楽になってしまったようです(^^;

201201日本橋5

高札場跡には解説板がありますが、晒し場跡にはまったく何の形跡もなし。
ダークサイドの歴史は、触れず残さずなのでしょうね。

この場所に交番があるのは、晒し場も交番も犯罪抑止の意味で同じ・・・と笑っていいのか悪いのか。




晒し場の当たりをうろうろしていたら、橋のたもとに船を発見。

201201日本橋7


株式会社ジール主催の日本橋川観光ガイド付きミニクルーズで、乗船可というではありませんか♪
(不定期運行のようで、お散歩した1/8にたまたま運行されておりました。)

30分1000円也でしたが、喜び勇んで乗船いたしましたので、本日の写真は地上からと川からのものを織り交ぜてUPいたします(^m^)



現在の日本橋は12代目で明治に架けられたものです。
今年で架橋100年になるそうです。

201201日本橋8

茨城産の白御影石の橋は、テレビCMで流れる通り、某ケルヒャー社により“日本橋クリーニングプロジェクト”として、高水圧洗浄機によって100年分の汚れが落とされ、石本来の白さがよみがえり、ピッカピカの日本橋になっております。

それにしても、激しく景観を損ねる首都高、邪魔~っ!
戦後復興、東京オリンピック、高度成長、日本改造計画・・・・。
景観のことなど考える余地もないほど、必死だった当時を悲しいぐらいに感じますが、やっぱり橋の上に首都高は無い方がいいな。




ところで、誰でも知ってる有名な橋ですが、その実、日本橋がいつ架けられかは明確ではないのだそうです。

日本橋が最初に記録に登場するのは、江戸時代初期に書かれた随筆の『慶長見聞集』で、
「此橋を人間はかつてもって名付けず 天よりやふりけん地よりや井でけん 諸人一同に日本橋とよびぬる事奇体の不思議と沙汰せり」と記されています。

つまり、誰が名づけた訳でもなく自然にそう呼ばれるようになったということです。
不思議ですねぇ~。


江戸幕府開府とほぼ同時の慶長8(1603)年に架けられたという説と慶長17(1612)年説があるとか。
ただ、日本橋を起点として東海道を始めとする五街道の整備が開始されたのが慶長9(1604)年2月なので、その時点で橋が無かったとは考えにくく、慶長8年説をとるのが妥当と考えられています。




橋の北詰の東側(下の絵の右下の部分)には、魚河岸がありました。

     201201日本橋10
安藤広重 『名所江戸百景』 日本橋雪晴

大正12(1923)年に起こった関東大震災以後、魚河岸は築地に移転しましたが、江戸時代は魚を運ぶ多くの船が日本橋川を行き交い、一日に千両のお金が動くと言われるほどの活気だったそうです。



201201日本橋9

行き交う船の影もなく、ビルばかりなり。


ところで、日本橋が架かる川を日本橋川といいますが、京橋が架かる川は京橋川だったし、新橋が架かる川は新橋川でした。
名もなき川は、橋によって特別な川となったという事なのかしら。




橋の上に戻って、

     201201日本橋6

橋柱文字は、徳川幕府最後の15代将軍慶喜の揮毫です。
明治時代の欧米化日本の象徴とも言うべき、ルネッサンス式の石造橋に、江戸時代の象徴である徳川の最後の将軍の毛筆の文字が掲げられているというのは、江戸好きにぽぽには感慨深いものがあります。
江戸時代と明治、そして今は、間違いなく連続して存在しているのだなぁと・・・・つい、橋のたもとにじーっと佇む不審な女になってしまいました(まぁ、いつもの事ですが)。



徳川家康により、五街道の起点とされたことは、明治時代にも踏襲され、日本の道路の起点となりました。
橋の中央には「日本国道路元標」が埋設されております。

     201201日本橋13


道路の真ん中まで見に行くのは危ないので、橋の北詰の西側にあるレプリカで我慢しましょう。

     201201日本橋15

201201日本橋14

橋柱文字が徳川慶喜ならば、こちらは当時の総理大臣の佐藤栄作の筆です。


何を見てもスゴイものばかりです。
さすが、現役の国道道路橋で初めての国の重要文化財に指定(平成11年5月13日)されただけはあります(上から目線 笑)。




再び、日本橋川上流(西側)より側面に注目してみますと、

201201日本橋11

向かって左側(南側)のアーチが茶色くなって石が削れているようなところがあります。
洗浄したばかりなのに、もう汚れ?


201201日本橋12

汚れではなくて、これは関東大震災の時に、燃えた船が激突した跡なのだそうです。
歴史の遺構として、修復せずに残されております。

また、橋の上や欄干に、いくつも黒や褐色になった部分が見られますが、それも昭和19(1944)年3月の東京大空襲の時に、日本橋に降りそそいだ焼夷弾の跡なのだそうです。



見どころ満載すぎるので、橋のことだけですでに字が飽和状態に!

     201201日本橋16

日本橋周辺エリアは、江戸時代から続く老舗もたくさんあって、そのどこかでお昼にしようと考えていたのですが、あまりに多すぎて絞り切れず・・・。


結局わかりやすい日本橋三越へ(笑)。

201201日本橋17



本館7階の”特別食堂”

201201日本橋18

よき時代のデパートの食堂という感じが素敵です。
食堂の中にクロークがあったり、待ち合わせロビーがあったりするのが、普通のデパートの食堂とは違うところですが。



洋食にしようか和食にしようか迷って、ホテルオークラ山里の“フォアグラ&ヒレステーキ丼”

201201日本橋19

フォアグラは濃厚だし、ヒレステーキは火の通り具合がばっちりで、そりゃー美味いに決まってるではありませんか!

が、

どうなのかなー・・・・。
丼にしなくてもいい気がするな、フォアグラとステーキは(爆っ!)。

付け合わせの香の物とお味噌汁がものすごく美味しくて、デザート(メロンとイチゴ)に添えてあったミントの葉をものすごく美味しいと感じたということは・・・フォアグラとご飯の組み合わせは、にぽぽにはノッタリしすぎだったのかもしれないわ。

ああ、なんて贅沢な事をいっているのだろう、罰あたりもんだ。




罰あたりだけど、やっぱり丼は海鮮系が好きだなーと思ったのでした、チーン。
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にぽぽ

Author:にぽぽ
東京の西のはじっこに住んでいます。
お散歩したり、まったりしたり、美味しいもの食べて喜んだり。

2010年 江戸文化歴史検定3級・2級合格。
2014年 新選組検定3級・2級合格。
たまに歴史と新選組のオタク日記になります。

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お仕事がとってもとっても忙しくなってしまってReコメできないのが心苦しく、コメントをいただかない設定にしております。

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