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別れのキス、それはネギの味

ども にぽぽ です=*^-^*=




本日は旧暦だと3月4日です。



3月の行事といえば、上巳の節句(雛祭り)

今年は寒いけど、例年なら今頃は梅の花も咲きそろい、そろそろ桜も・・・なんていう感じ。
旧暦だと、そんな時期が雛祭りなのですね(^^



3月4日には、お雛様に“あるもの”を供え、それを食べてからお雛様を仕舞うという習慣がありました。

201203アサツキなます

何かといえば、“お蕎麦”と“浅葱鱠(あさつきなます)”です。


お蕎麦は“節句蕎麦”という呼ばれ方をしたらしいです。
ちょうど大宰府に行った友人から“梅蕎麦”が送られてきたので、ほんのりピンクの季節感ぴったりのお蕎麦をいただくことができました(^^

もうひとつの“浅葱鱠”は、浅葱とアサリやハマグリなどの貝のむき身を茹でて、酢味噌で和えたものです。
アサリのむき身がなかったので、今回は青柳を使いましたけど(^^;

“潮干狩り”の時期でもあるので、お江戸の住民は品川の辺りで獲って来たアサリやハマグリを使ったのかもしれません。




さて、お江戸の頃にはこの日にもうひとつ、“出替わり”という行事がありました。


お江戸の頃のお仕事には、いろいろな形態があったのですが、武家奉公と下男・下女のような召使奉公は1年~半年の期限付きである“出替わり奉公”という形態がとられていました。



武家奉公とは、“若党”“中間”“草履取り”というような武士の中でも下級身分のもの。

武士は知行地と地位に相応した家臣と奉公人を抱える必要があったのですが、太平の世が続き、武士が城下に居住して消費生活を営むようになると、武家の経済生活も合理性が求められ、下級奉公は譜代(召抱え)から有期のものになっていったそうです。

当初、江戸幕府は武家における出替わり奉公を禁止していましたが、時代の変化により承応2(1653)年に出替わり奉公の制が設けられ、その期日は3月5日から3月4日までと決められたのでした。


なんだか、派遣社員が多くなっている現代の状況と似ていますね。



3月4日に出される“浅葱膾”は、奉公先での最後の食事でもあったのです。



奉公先で始まった恋も、この日で終わり。

「なみだあめ あさつきくさい 口を吸い」

なんていう川柳も残っています。
ネギの臭いはなかなか無くならないですからねぇ・・・別れのキスは、浅葱膾を食べる前にしておくべきかと(笑)


奉公人同士の淡い恋であれば、ノープロブレムでありますが、女性奉公人と旦那や若旦那だったらば・・・

「ああつきの なますしんぜて 首を抜き」
(雛人形の首を抜いて仕舞うのと、奉公人を首にするのをかけている訳です)

とばかりに、「あさつきなますでたたき出す!」事になる訳です。




3月は、出会いと別れの季節、今も昔も変わらないようですね。
今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)
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本日2月8日 事始め

ども にぽぽ です=*^-^*=





本日は旧暦だと2月8日で、“事始め”です。


“事始め”は、正月を納めて通常の生活を始める日であり、12月8日の“事納め”とセットで“事八日”と言われます。

12月8日を年を納めて正月の準備を始める日として“事始め”、2月を“事納め”とする地方もあります。
ここがややこしいのですが、もともと“事始め”は2月8日に農家がその年の作業を始めることを意味しており、2月を“事始め”とする場合は農事に関するもの、12月を“事始め”とする場合は正月に関するものの場合が多いようです。



この両日は、武家も町屋も竹竿の先に目籠をつけて、軒に高く掲げました。

     鮮斎永濯『温古年中行事』事始め

ニンニクや目籠を庭先に置くという地域もあるようですが、これは、天からもたらされる災害や病魔を防ぐためのオマジナイでした。


特に東日本では、妖怪や厄神が家を訪れるという伝承が多く、この日に現れるので有名なのが“一つ目小僧”です。
目籠を使うのは、“一つ目小僧”は目がたくさんあるものを嫌うからなのです。



新品の籠を使ったそうなので、籠屋さんはこの時期大忙しだったかもしれません。

節分の鬼は柊、一つ目小僧は目籠・・・
こんなもので追い払えるなんて、日本の妖怪ってかわいらしいですねぇ(^^




2月8日には“針供養”(2009年2月9日の日記⇒ 2月8日の針供養 )も行われますが、これも針(=目が一つ)を使わずに休めることが、一つ目小僧を鎮めることになっていたとか。

そういえば、屋根から沢山の目籠が出ている景色と、お豆腐に沢山の針が出ている風景は、なんだか似ている気がします。



さて、“事始め”に食べるのは“御事汁”です。

201202事始め


魔除けの呪力をもつと信じられていた赤小豆の他、ゴボウ、イモ、ダイコン、豆腐、焼き栗、クワイなど野菜を6種類入れて味噌で煮込んだものです。
無病息災を願って食べました。



6種類の野菜を煮るので“六質(ムシツ)汁”とも呼ばれ、無実汁と語呂合わせされ、無実の罪をまぬがれることができるとされました。

天からの災害からも、人がもたらす災害からも逃れることができる汁という訳です。




旧暦に注目すると季節の行事や昔の行事食に関連する日記になります。
行事食というからには、普段の食事より、ちょっとご馳走だったのだろうと思のですが、ささやかですよね~。

現代の食事からすれば、どこがご馳走なのだという感じ・・・。
それだけ、今は普通が贅沢なのかもしれないなぁ~というか、食べ過ぎ(汗)を反省したりします。
 
昔の食事を意識して生活したら、すごく健康になりそうです(笑)





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本日1月15日 小正月

ども にぽぽ です=*^-^*=




本日は旧暦だと1月15日で、“小正月”です。

小正月は、正月(1月)の満月の日(15日)のことです。
1月7日までを“大正月”と呼ぶのに対して、“小正月”と呼びます。
“女正月”と呼ぶ地方もあるそうですね。



大正月には“七草粥”を食べますが、この日の朝は“小豆粥”を食べる習慣がありました。

2012小豆粥1

小豆粥は、邪気を払い1年の健康を願って食べるものでした。
15日は望の日(満月)なので、“望粥”とも呼ばれたそうです。


望から餅に転じて、江戸時代は小豆粥にお餅を入れて食べるようになりました。
11月22日が「いいふーふの日」とか、日本人は語呂合わせやダジャレが昔から好きだったのね(笑)



もともとは、小正月までを“松の内”としており正月飾りも出ていたのですが、江戸時代の初めの明暦3(1657)年1月18日に江戸の大半を焼失するにいたった火事が起こった後、徳川幕府は燃えやすい門松などはさっさとしまうように“松の内”を1月7日までと定めたそうです。


そして、元服の儀も小正月い行っていたことから、1月15日は“成人の日”となった訳ですが、この名前から小正月との関連がわかりにくく、さらに小正月自体がなじみの薄いものとなってしまい、現在は第一月曜日が“成人の日”とされております。

3連休になるのは、にぽぽも嬉しいのですが、物事の意味とか、文化の継承などの面から考えると、どうなのかなーと考えてしまいますね。




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本日 1月1日 元旦

ども にぽぽ です=*^-^*=




本日 1月1日♪


江戸時代の正月風景
文化3(1808)年のお正月風景/『諸国図会年中行事大成』より
(クリックするとちょっと大きくなります)



とうとうボケちゃった・・・・訳ではありません。


お江戸を愛し、お江戸のカケラを追いかけるにぽぽにとって、以前からムズムズと気になっていた、江戸時代と現代の季節の相違。



冬真っ最中だというのに、年賀状には「新春」「迎春」と書き、桃の花も咲かない“ももの節句”。
菖蒲にはまだ早い“端午の節句”には、無理やり菖蒲湯に入り、“七夕”は梅雨真っ盛りの時期で、1年どころか何年も会えない織り姫と彦星・・・(涙)

江戸時代に使われていた暦は、旧暦なので、今の暦に当てはめるとおかしなことになってしまうのですね。




そこで!
本日は、旧暦のことについて、うざったく語ってみたいと思います。
(日記4年目にして、“お江戸うんちく”カテゴリーに記事が1つしか入っていないことにも気づいた 汗っ)



現在使われている新暦(太陽暦)は、地球が太陽の周りを回る周期を元にして作られている暦です。
対して、江戸時代に使われていた旧暦(太陰太陽暦)は、1ヵ月は月の満ち欠けの周期にしつつ、1年の長さは太陽で見るというものでした。


どういうことかというと、
月の周期の約29日半なので、30日の“大の月”と29日の“小の月”を設けて1年にする。
すると、1年は354日となり、新暦の1年に比べて11日ほど短くなります。
このズレが3年で1ヶ月分になるので、約3年に一度、余分な1ヶ月を閏月として挿入してズレを解消したのです。(江戸時代に使われていた暦も、天保14年まで使われていた寛政暦と天保15年以降の天保暦がありますが、以下ここで書く旧暦は“天保暦”のこととします。)



さらなる問題は、1年が12ヶ月の年と13ヶ月の年ができてしまい、季節がずれてしまうので、太陽の軌道を24等分して求めた二十四節気を用います。
今のカレンダーにも「大寒」とか「春分」とか記載されていますよね、アレです、アレ。


     二十四節季
(クリックすると大きくなると思います。)



1太陽年を春分点(黄経0度)を基点として24等分して導き出された節季を、黄経上の特定の度を太陽が通過する日に節季と中気を交互に配置していく方法で、黄経330度の“雨水”を含む月を1月とし、以下中気を含む月を2月、3月としていくのです。
(黄経は太陽の位置を示す座標と思っていただければいいかと。)
中気をまったく含まない月は閏月となります。
閏月は、その時によって、5月だったり、7月だったりいろいろでした。
ちなみに、今年2012年は、3月の後に閏3月があります。


しかも、今年の1月は“大の月(30日設定)”でも、来年の1月は“小の月(29日)”になったりしちゃって今年の今日は来年のいつになっているのかわからない。
あるいは無いかもしれず・・・うーん、複雑すぎる。




めちゃくちゃ複雑な暦は、“幕府天文方”で作られていました。
今でいう“国立天文台です。


“鳥越の不二”

     鳥越の不二
葛飾北斎の『富獄百景』より


この目盛のついた丸い“渾天儀(こんてんぎ)”というものが子午線や天の赤道や黄道などの観測器だったのです。
天文台は、現在の浅草橋のあたりにあったそうなので、今度お散歩して来なくちゃ~♪



江戸時代の人たちも、暦が売り出されるまで次の年の日にちがわからなかったそうで、11月頃に“こよみ売りが町を回ればあっちでもこっちでも、「どうなってる?」「どうなってる?」と大騒ぎだったらしいです。



こんな状態なので、毎年同じ日に何かをするという“記念日”という発想もありません。
個人的にお誕生日を祝う・・・なんていうこともありませんでした。
お正月を迎えるとみーんないっせいに一つ年を取ることになったので、例えば12月31日に生まれた赤ちゃんは、生まれたその日が1歳で、翌日には2歳になってしまう訳です。
今でも七五三や厄年で使われている“数え年”ですね。




2012誕生日1

“誠”のケーキで祝ってもらった、にぽぽ2012年の誕生会。

2012誕生日2

そして、にぽぽはハゲヅラだった(爆)

2012誕生日3
お祝いしてくれたみんな、芋侍の店長、皆様、ありがとー!
後日(2015年)追記:芋侍は2012年4月28日に閉店しました。


年の数え方はお江戸じゃなくてよかったわ(^^。



今年は、旧暦で日記をつけてみようと思いつきました♪
明治5年11月9日(新暦でいうと1872年12月9日)、突如として来年から新暦だからねーと天皇の勅書が出たために、この年の12月は2日しかなく、大混乱となったそうです。

にぽぽの、行き当たりばったりの思いつき旧暦日記も、大混乱となるかも・・・・
いや、大混乱になるに違いない(汗っ)




どうなることやら、お楽しみに(^▽^)/”
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ズイズイ ズッコロバシでお茶一服

2008年8月29日(金) 東京/ 未明の雷雨はハンパなかった・・・




ども (ウンチク)にぽぽ です (=´ー`)ノ



この週末は、少し夏らしい気温に戻るようですが、ほんとうにしばらく涼しくて、めっきりとお茶が美味しかったですね~。


お茶一服



本日は、江戸時代スキスキにぽぽのウンチク話を一つ。



江戸城の将軍様も、お城にばかりいた訳ではなく、鷹狩りに出かけたり、大名家のお庭を見に出かけたりした訳なんですが、さて、将軍がお出ましになるというお触れがでたら、サー大変!


その日、将軍が通る道沿いは全て通行止めはもちろんのこと、道は掃き清められて、街道沿いは、火も炊いちゃいけないから、お風呂屋さんも休業、住民達は、お風呂にも行けず、ご飯の支度もできないという事になります。万が一にも火事など出さないようにという厳重な警戒態勢です。


そればかりでなく、戸という戸、障子の隙間も全てピッチリとふさがなくては、万が一にも、将軍の行列を見ては失礼にあたるということで、厳重に目張りもしなくてはならなかったんですって!



これは将軍だけにとどまらず!

新茶の季節には、京都の宇治から江戸に、将軍へのお茶が届けられます。
これを『お茶壺道中』といって、東海道を通ったり、中山道経由で、甲州街道(2008年8月25日の日記⇒旧甲州街道を行く)を通って運ばれたりしましたが、この『お茶壺』様も将軍と同じ扱いになるんですよ!



♪ズイズイ ズッコロバシ 胡麻味噌ずい
 茶壺に追われて 戸をピッシャン 抜けたーらどんどこしょ♪



の茶壺に追われて 戸をピッシャンとは、お茶壺道中が近づいてきたら、通り抜けるまで、家に入って戸をピッタリと閉めていなくてはならなかった!という事を歌っているんだそうです。



こういう事は、将軍の威光を知らしめる為の、幕府の演出だったんですって!
お茶を飲んでいたら、以前に読んだ本を思い出して、ウンチクしてみました。


また暑さが戻ってくるようですね。
にぽぽとしては、残暑も楽しみたいので、ちょっと嬉しいです♪



本日のウンチクはこちらの本からでした!
徳川将軍家の演出力 (新潮新書 198)徳川将軍家の演出力 (新潮新書 198)
(2007/01/16)
安藤 優一郎

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東京の西のはじっこに住んでいます。
お散歩したり、まったりしたり、美味しいもの食べて喜んだり。

2010年 江戸文化歴史検定3級・2級合格。
2014年 新選組検定3級・2級合格。
たまに歴史と新選組のオタク日記になります。

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