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第一回 新選組検定

ども にぽぽ です=*^-^*=




気がつけば桜も葉桜になりつつあって、前回の日記から一ヶ月近く経ってしまっておりました(^^;
今年度、にぽぽはお仕事で、ちょっと大きなプロジェクトにかかわることになり、しばらくぶりに残業などしちゃっております。
プロジェクト終了予定の9月までは忙しくなりそうで、日記もまたまたサボりがちになってしまう気配です。



さて、こんな風に忙しくなる前の3月のこと。

201203新選組検定12

幕末友達の一人がくれた、新選組の同人誌系の漫画本といっしょに同封されていたのが、『第一回 新選組検定』の開催チラシでした!

「ふーん・・・」と眺めているうちに、もちろん!これは受けねばなるまい!!と、新選組オタクの血が騒いだ訳なのであります。




さて、3月18日。

201203新選組検定1

京都と東京で同時開催される検定試験。
にぽぽは、市ヶ谷駅に降り立ったのでした。




201203新選組検定3

市ヶ谷駅近くの外堀跡の桜の蕾はまだまだ固く、咲く気配もなし。



にぽぽの前方には人々がちらほら。

201203新選組検定2

本を開きつつ、新選組がどうのこうのと、言葉のきれはしが聞こえてくるのをみると、どうやらにぽぽと目的を同じくする御仁らしい。



そして、

201203新選組検定4



東京の試験会場である“法政大学 市ヶ谷キャンパス”の外濠校舎前には、誠の旗とだんだら羽織を着た係員さんがお出迎え。

201203新選組検定5




201203新選組検定6

たいがいせっかちなにぽぽですから、試験開始の1時間前に到着したのですが、すでに校舎のロビーには老若男女がわんさかと、参考資料的なものを広げておりました。



入室許可がでて、受験番号ごとにそれぞれの教室に。

201203新選組検定7

教室一番乗りのにぽぽでありました(せっかちだから 笑)。



201203新選組検定9

受験番号117のにぽぽの席は、

201203新選組検定10

前から4列目のど真ん中でした。
(この写真は、新選組検定事務局長のブログから拝借しました。)

会場には、大河ドラマ『新選組!』の主題歌が流れて、気分も盛り上がってまいります♪



試験は100問のマークシート方式。
試験で使った鉛筆は、これまた幕末友達が大宰府で買って、にぽぽに送ってくれた鉛筆でした♪

201203新選組検定11




それから、それから。
にぽぽは今回、3級(組長)と2級(副長)と同時受験したのですが、昨日、試験結果が送られてきました~。



まず、3級(組長)の結果。

201203新選組検定13

99点で2位。
一問ケアレスミスしたのが、未だに悔しいーーーーっ!


201203新選組検定14

3級に合格すると、新選組十一番組長として名前が追記された認定証がいただけます(笑)。



2級(副長)の結果は、じゃーん!

201203新選組検定15

晴れて1位!!


201203新選組検定16

2級の認定証は副長として名前が追記されますが、なんと!近藤さんと土方さんにはさまれて、にぽぽの名前が記載されているーーーっ!
恐れ多い(冷汗)。



第一回目の開催ということで、過去問データがなく、どんな問題なんだろうとドキドキしながら受験してきましたが、結構やさしかったなーという印象。

HPなどでは、3級でも難しかった!というコメントが多かったので、にぽぽはこれから、「新選組オタクである」と胸を張って言えるなーと思っております(笑)。


秋には、1級(局長)の試験も行われるというので、張り切って、初代局長合格を目指します♪




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大阪 市中見回り! その2

ども にぽぽ です=*^-^*=





えらい間があいてしまいましたが、大阪市中見回り((2011年11月8日の日記⇒大阪 市中見回り! その1 )の続きであります。




御公儀橋であった高麗橋を渡ってすぐの一帯は、豪商の建ち並ぶエリアでした。
ここから先は、妄想力フル稼働でのお散歩です。

201110大阪25



江戸時代の景色はこんなだったかも。

201111大阪63
(住まいのミュージアム 大阪くらしの今昔館)



橋のすぐそばには、岩城升屋という呉服屋があり、西隣にあった三井越後屋とともに、大阪を代表する呉服屋さんだったのですが、この店は山南さんが不逞浪士を打ち取った際に佩刀“赤心沖光”を折ったといわれているところ。

201110大阪26

岩城升屋さんは明治19年ごろまでに閉店してしまったとのことで、現在はまったく違う会社のビルが建っていて、その頃の面影はなし、ビルの入り口にあったライオンの像(なぜライオン?)を撮ってみました(笑)。



この通りを右に曲がった先にある大阪市立開平小学校のところには、両替商の平野屋さんがありました。

201110大阪28

文久3(1863)年4月2日、土方さんたちが京についたばかりでまだ壬生浪士と名乗っていた頃に、平野屋さんで百両を借用し、これを元に浅葱色の“あの隊服”を作ったのでした。

平野屋さんに出向いたのは、近藤・芹沢・新見・土方・沖田・永倉・野口の7名。

その際の借用証書とともに、添え書きを残しておりました。


『 尽忠報国と表を錺(かざ)り、天下浪人と申し偽り、向後金子無心申し入れ候者これある(に)おいては、拙者どもの旅宿へ一応談判(に)及ぶべきよう挨拶致すべく、然るうえは同者の内罷り出で、きっと埒明け申すべく候もの也。

京都壬生役
浪士
新見 錦
近藤 勇
芹沢 鴨

亥四月

大阪 平野屋五兵衛殿 』

今後、尽忠報国といつわって、金策を申し入れる者がいたら、自分たちが出向いて解決してあげますよということなのですが、近藤さんたちこそ、金策申し入れる者だった訳なんですけどね(笑)。



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平野屋さんの当主は五兵衛さん、お隣の両替商の天王寺屋さんの当主も五兵衛さんだったので、このあたりは
「天五に平五、十兵衛横町」 (5+5で10ってことね)
と、呼ばれたそうです。

天五も平五も、大名達にたくさんお金を貸していたのですが、明治維新後の廃藩置県で大名への貸付が帳消しにされたことがもとで、倒産してしまったようです。




平野屋さん後から西へすこし歩くと、大阪両替商の総代ともいうべき、鴻池本宅跡があります。

201110大阪32

現在は、大阪美術倶楽部。

201110大阪31

鴻池にも、文久3年7月にお金を借りに行っています。
その額は、二百両。

山南さんが刀を折ったのは、岩城升屋ではなくて、鴻池が浪士に襲われているところを助けたためであったとか、そのお礼に近藤さんが“虎徹”をもらったのだとか、大阪でのエピソードはいまいちあやふやです。


鴻池も、明治になり大名家への貸付を帳消しにされましたが、資本の差でありましょうか、その後も“鴻池銀行”→“三和”→“UFJ”となって現代に続いているのはご承知のとおりで、本宅跡のすぐ近くにはUFJ関連の会社がありました。

     201110大阪34

この辺りの土地は、昔からほとんどが鴻池のものだったのでしょうね。


この付近、現在は味もそっけもないオフィス街ですが、なぜか銀行や証券会社が多いのは、両替商が建ち並んでいた江戸の頃の名残なのでしょうか?

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ここを抜けると、淀屋橋。

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淀屋橋を渡って、

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左に見える建物は、日本銀行大阪支店。



さらに次に架かるのは大江橋。

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淀屋橋と大江橋の間に挟まっている、日本銀行大阪支店があるエリアが中之島。
江戸時代には、多くの藩の蔵屋敷が建ち並んでいたところです。
蔵屋敷とは、大名が知行地からの徴収物を売りさばき、上方でのみ入手しうる必需物資を購入し、財政資金を調達していた、営業所とでもいうところでしょうか。

浅田次郎著『壬生義士伝』で、主人公の吉村貫一郎が、鳥羽伏見の戦いからはずれ、血だらけで南部藩の蔵屋敷にたどり着くシーンがありましたが、それがこの辺りなのですね。



また話がづれてしまいましたが、

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大江橋を渡り、しばらくまっすぐに歩いていきますと、

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滋賀銀行の建物の角に、

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“しじみばし”という欄干。


現在、川はありませんが、江戸時代はここに蜆川が流れていたのです。

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この通りが、蜆川だったところでしょうか?

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文久3(1863)年6月2日、浪士捕縛のため下阪していた壬生浪士一行は、3日早朝に仕事を終え、舟遊びをしていたときに、この蜆橋のあたりで大阪力士と衝突して乱闘事件を引き起こしました。

そのメンバーはというと、芹沢・山南・沖田・永倉・斎藤・島田・平山・野口の8名。
この時、力士一人を死亡させてしまいました。
まだ会津藩の預かりとなったばかり、不埒な行いはまずいということで、力士側から因縁をふっかけられてやむを得ずの正当防衛であるとして、近藤さんが東町奉行所に事件を届け出ました(笑)。

大阪には、新選組になる前、必ず事を成そうと期待と不安を抱きながら過ごしていた頃の土方さんたちの足跡が残っていて、歩いていて、なんとなく甘酸っぱいです。




今回の旅の終わりは、

201110大阪53

天保山。



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大観覧車あり水族館ありのスポットですが、江戸時代も、松や桜の木が植えられ茶店なども置かれている、行楽地でありました。

     浪速百景天保山



文久4年(1864)年1月、江戸から船で天保山に着き、上方入りする徳川14代将軍家茂を、新選組はこの場所で出迎えて、警護の任に就きました。

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その後新選組として栄華を極め、そして時代に見放された慶応4(1868)年。

鳥羽・伏見の戦いに敗れ、1月9日には永倉さんが、翌日10日には近藤さん、土方さんらが、船に乗り江戸へ向い、二度と新選組として京・大坂の地を踏むことはなかったのでした。

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にぽぽもここを大阪での最後の後にして、東京へ。
土方さん達が船で5日をかけた江戸までの道のりは、今、新幹線で約3時間半です。



その前にエネルギー補給をば。

天保山マーケットプレースの中のフードコートには、“なにわ食いしんぼ横町”などがあり、オモロ美味しそうな雰囲気です。

     201110大阪59


が、

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朝ごはんも昼ごはんも食べていなかったので、腹へりまくり。
いろいろ物色する余裕もなく、一番角にあったお店でとりあえず注文したのは、

“イカ焼き”と”串揚げセット”

201110大阪61



せっかく大阪に来たのにフードコートかいな・・・と思ったものの、これが結構美味しくてビックリ。

201110大阪62

特に、東京では見かけない“イカ焼き”はジャンクだけどモチモチして美味しかったな~♪
(東京でのイカ焼きは、イカ丸ごと炭焼きにして、醤油をつけたものですよね?)



この日、18:00に六本木で約束があったので、駆け足となってしまったのですが、歩けてよかった大阪新選組散歩!でありました(^^




大阪市中見回り20111008
(地図はクリックしてフル画面にしていただくと、大きくなると思います。)



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大阪 市中見回り! その1

ども にぽぽ です=*^-^*=





大阪にきております~!

201110大阪1

なんて・・・
実は、ほぼ一ヶ月前の10月7日のことなんですけどもね(^^;
三連休前の金曜日だというのに、夜間まで及ぶ業務で大阪へ出張だったのです。

一泊した翌日。
せっかく来た大阪ですし。
ここはやっぱり、新選組ゆかりの地を見まわらなくてはイカンでしょう♪

大阪にだって新選組の足跡はあるんですっ(>m<)。
久しぶりの更新だというのに、いきなり新選組ネタです、ええ、今だビョーキ衰えずです。



201110大阪2

“大阪のおばちゃん”を意識して、ゼブラ模様のストールに蛇革風のヒール。
市中見回りにむかないヒールだけど、お仕事帰りだから仕方ない・・・。




さて、市中見回りの最初の地は、新選組大阪上陸の地が相応しかろうと、大阪八軒家浜へ。

201110大阪3

江戸時代には八軒の船宿などが軒を並べていた事から八軒家浜と呼ばれ、淀川流域の船着き場として賑わっていた場所です。

201110大阪4

京の伏見と八軒屋の間は三十石船が上り一日、下り半日で運航し、貨客輸送の中心を占めていました。
新選組は大阪にも屯所を置いていましたので、この三十石船を利用して行き来していたのでしょう。



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明治43(1910)年に京阪電気鉄道が天満橋と京都五条間に開通すると、八軒家は貨客輸送の役目を終え衰退してしまいましたが、現在、水の港大阪再生の取り組みで、京阪電鉄天満橋駅と直結し、おしゃれなカフェもある『川の駅』として観光船の乗り場になっております。



201110大阪6

江戸時代の八軒家浜は、現在の土佐堀通りに沿っていたようで、写真にある昆布の永田屋さんの辺りであったようです。


     201110大阪7

永田さんの店先には、八軒家の歴史がわかるパンフレットが用意されておりました。
一人一冊いただくことが可能ですが、ものすごい造りのいいパンフレットで、無料でいただくのが申し訳ないぐらいの品でした。すばらしい!



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永田屋さんの隣は駐車場になっておりましたが、この石垣!
土佐堀が川だったときの名残かとも思えるような風格ですけども、高低差がものすごい。



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石垣を左に見ると、ところどころ踏面がくずれている階段。
当時はこの階段を使って船着場から通りへ上がっていたようです。
新選組の大阪での定宿、“京屋”さんも、この階段を上がったところにあったという説があります。

と、いうことは!
土方さんもこの階段を上がったーーーーーーっということかっ!!
と思うと、一段一段が愛おしいく、頬ずりしたい衝動にかられます(かられるかっ!)

この階段はそうとう古そうではありますが、江戸時代からのもの、とは思えませんし。


201110大阪10

階段を上がりきると、今は公園になっております。
ここを左にまーーーっすぐいけば、10分たらずで大阪城。




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大阪城の大手門近くにあるのは合同庁舎ですが、江戸時代、ここには東町奉行所がありました。
江戸時代の役所の跡に現代の役所、なんとなく感慨深い。


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ちょうど歩道が工事中で、奉行所の碑のところにいた警備員の方にどいてもらって(爆)写真撮影(^^;



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大阪城の大手門近くの石垣は、江戸城に比べてはるかに堅牢。
さすがは豊臣の牙城だわぁ~、と感動しながら歩いていたら、今の大阪城は徳川の時代になってから造りなおしたものなんですってね(汗)



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登城を前に、ソフトリーム。
実はこのとき、チョーーー咳風邪で呼吸器をゼロゼロさせながら歩いていたので、喉に冷たいソフトクリームが美味しかった(T T)

咳が一ヶ月もとまらなかったので、
「も・・・もしかして、労咳(←沖田総司の持病)?!」
と一人で盛り上がっていたのですが、時を同じくして、にぽぽの同じような症状の風邪に罹っていた総ちゃん好き新選組病の同士が、やっぱり「労咳かも・・・」と思っていたという、さすが病気の症状の出方が同じ(笑)。
いや、本当に結核だったら笑っていられないから、とりあえず検査しとけって話ですよね(反省)。



いざ、登城!

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歩いていたときは、すっかり豊臣の城だと思っていた訳ですけど、こうして見ると、大手門も江戸城そっくり。


が、江戸城にはない、すざましいものがこれ!

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大手門脇の巨石!



そして、枡形門の中の・・・


どーーーんっ!

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巨石~~っ!!


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讃岐小豆島産の石で、ここの工事を担当した熊本城主・加藤忠広が寄進したものです。
はぁ~、でかい。



本丸跡に向かって歩いていきます。

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大阪城の城主はというと、歴代の徳川将軍でした。
慶応3(1867)年12月9日に宣言された“王政復古”の後、京の二条城を離れた徳川15代将軍・慶喜は、13日に大阪城に入りました。

18日に伏見藤森のあたりで銃撃された近藤さんも、労咳がひどくなっていた沖田総司と共に、後に二の丸に運ばれ養生にあたっています。



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本丸目前の桜門を入ると、その正面にまたしても巨石!!

こちらは、寛永元(1624)年に岡山城主・池田忠雄が寄進した、備前(岡山)産の花崗岩で、なんと36畳ぐらいの大きさ!!
ひゃーーーっ、こんな石が採れたんですねぇ。


巨石に魅せられすぎて、話がそれてしまいましたが、新選組が始めて大阪城に入ったのは、慶応4(1868)年1月7日。
ところが慶喜はその前日に、家臣をもだまして江戸に逃げ帰ってしまっていたのでした!
ああ~っ、どうしても許せない慶喜の行動(2009年3月18日の日記⇒ 浜離宮 将軍家の庭園 )

一旦城に入った新選組は、再び城を出て、八軒家に宿陣したとのこと・・・。



ということで、土方さんの足跡としてはそれほどでもない大阪城だったのですが、別の視点では見所満載。
またの機会に、大阪城だけでじっくり見物してみたいと思って見上げた天守閣なのでした。

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ちなみに、
天守閣は寛文5(1665)年に焼失してしまったので、土方さんはこの景色をみておりません。
天守閣が再建されたのは昭和6(1931)年。
初層から四層までは、徳川時代の白漆喰塗籠、五層目は黒漆に金箔の豊臣時代の外観となっています。
この徳川・豊臣折衷城はいろいろ議論があり、豊臣時代に統一すべきという意見もあるそうです。

大阪ではやっぱり“太閤さんの城”なんですねぇ。
にぽぽも、実は黒いお城の方が好きです。松本城とか、熊本城とか、ら~ぶ♪




大阪城を後にして、さっきの階段のところまで戻ってまいりました。

     201110大阪22

江戸時代は、ここから見下ろすと土佐掘。
水の流れの気持ちのいい景色だったろうな。

なとど思いながら、さらに西に進むと、

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高麗橋。
幕府が管理する御公儀橋のひとつでした。


     201110大阪24

そして、ここは西日本の距離を測る基点になったところだそうで、橋のたもとに“里程元票跡碑”がありました。
東京でいう、日本橋みたいなものだったのでしょうかねぇ。



この先、ただのビルを見ては妄想しまくりの、マニアックな街歩きが続きますが、一旦休憩です。

大阪市中見回り20111008
(地図はクリックしてフル画面にしていただくと、大きくなると思います。)




コメントをお返しする余裕がなさそうなので、コメント欄は閉じておきますねm(_ _)m
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栗浸りのGW② 石田散薬を作る

ども、にぽぽ です=*^-^*=




今更GWもあったもんじゃないですが、楽しい体験だったので、UPさせてもらいます。

“『燃えよ剣』の舞台を歩く”というイベントに参加した(2011年5月15日の日記⇒ 栗浸りのGW① 燃えよ剣の舞台を歩く )翌日は、土方さんが行商をしていた“石田散薬”を作るというイベントが行われました。


     201105石田散薬作1

このイベントにも、栗塚旭さんが参加してくださって、純粋な新選組ファンと栗塚さんファンいりまじりの、結構な参加人数でありました。



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これが、石田散薬の原料である、牛額草。
水辺に生息している草で、牛の顔のような葉の形が名前の由来です。
“ミゾソバ”とも呼ばれています。


お花は10月中旬ぐらいに咲くのですが、

去年のみぞそば
(2007年秋、高幡不動/土方さん像のところで撮影)

こんな風に、金平糖みたいなので、関西の方では、そのまんまに“コンペイトウ”って呼ばれているんですって。




作り方をざっくりご説明しましょう♪
(え?興味ない??・・・でも説明しちゃうっ♪)


材料は、乾燥した牛額草。

201105石田散薬作4

そして、お酒。

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この“千代鶴”というお酒は、秋川(現東京都あきる野市)にある“中村酒造(⇒HP )”という蔵元で作られているもの。



東京サマーランド近く、滝山街道を八王子から青梅に向かっていくと、重厚な存在感のお店があります。

20110820千代鶴2

にぽぽの家から車で20~30分なので、先日バヒョッと行って来ました。



駐車場の入り口には、大きな“酒林(杉の葉のくす玉)”が。

     20110820千代鶴1

“酒林”は、新しいお酒ができると店先に吊るされて、お客様にお知らせするという、昔からの習慣なんですよ。
酒の神として信仰の厚い、奈良の三輪神社(大神神社)(2010年9月27日の日記⇒ 奈良の旅1日目 -その1- 大神神社 )のご神木が杉だったので、杉の葉を用いることになったといわれているそうです。
杉の葉が、緑から茶色に枯れていくについれ、新酒も蔵の中でまろやかに美味しくなっていくのです、風流なCMだと思いませんか?



“中村酒造”さんは、200年ぐらい前からお酒を造っている蔵元で、土方家の石田散薬作りには、この千代鶴が使われたそうです。

薬の製造法は、土方家を継ぐ家長にのみ伝えられたそうなので、末っ子だった土方さんは知らなかったかもしれませんが、行商の途中に、中村酒造さんに寄って、お酒を仕入れてくるようにおにーちゃんに言われて、この場所に来たことはあったかもーっ。
きゃーーーっ!妄想爆走中。

20110820千代鶴3



話を石田散薬作りに戻しまして・・・(^^;

201105石田散薬作5

乾燥した牛額草を細かくし、焙烙に入れます。



201105石田散薬作6

火にかけて、お酒を振って、かき混ぜつつ黒焼きにしていくのです。



201105石田散薬作2

というような説明を、石田散薬保存会(?)の方から説明を受けて、

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ステージで、まずは栗塚さんがお手本を。



次はにぽぽ達が工程体験と思いきや、ここからが長かった!

石田散薬の行商先のお話やら・・・
その一軒が太田道灌さんのご子孫の家だったとかで、そのご子孫の話があり、土方さんのお兄さんのご子孫(土方歳三資料館を管理なさっている)の紹介があり・・・

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考えてみれば、すごい豪華なステージだけど、皆さんお話が長くて長くて~。
その間、栗塚さんはずーーーーっと焙烙を混ぜ続けていた訳で、スターほったらかしでいいのかいな?!



ほとほと「先生!ひんけーつーで倒れそうです・・・」っていう極限状態で、やっとお話が終わって、にぽぽ達も、調理実習(?)開始。

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このポニポニの手は、にぽぽです(汗)

火にかけられた牛額草は、ほうじ茶のような、香ばしい匂いです。
風で焙烙の中身が飛びそだし~、混ぜても混ぜても、なかなか黒くなってこないし。
意外と疲れる作業。



201105石田散薬作11

やっとこさ、黒焼きになったものを、薬研というもので、ゴーリゴーリと粉状にしていきます。


     201105石田散薬作12

よく時代劇で町医者がゴリゴリしてますが、やってみると、まっすぐゴリーっといかなかったり、結構力が必要です。
実際は、行商する1年分をまとめて作った訳ですから、ものすごい重労働ですね。



201105石田散薬作13

売られていた当時の通りの包み方も習いました。
スプーン1杯程度(4g)が適量のところ、欲張って多く包もうとしたものだから、上手に包めず(爆)。



最後に“石田散薬”の復元スタンプを押した袋に入れて、作った分をお土産にいただきました。

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飲むなら、あくまで自己責任でお願いします。
って言われましたけど、せっかくだから飲んでみたい!

イザー!



ただ苦い、炭の粉って感じ・・・・さもありなん?
薬効については、現在解明されていないとのこと。



石田散薬は、土方家の先祖が、夢枕に立った河童明神から教わったとされる、骨接ぎ打ち身、捻挫、筋肉痛、また切り傷等に効くとされた薬で、熱燗にした日本酒で飲むのが特徴とされました。

新選組関連のドラマでは、土方さん自身に「あれは効かねぇんだ」と言われてたりします(笑)。
1948(昭和23)年の薬事法改正に伴う製造販売許可申請をきっかけに、製造されなくなりましたが、その後も石田散薬を売って欲しいと土方家を訪ねてくる人もいたそうです。

効くと思って飲めば効く。
薬なんて、心の支え的なところもあるのかもしれません。


いただいた石田散薬は、まだ大事に持っております。
抜歯の腫れにも効くのかな~、熱燗で飲んでみようかしら(笑)





今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)
ちょっと長くなりましたけど、追記もあったりします(爆)。
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栗浸りのGW① 燃えよ剣の舞台を歩く

ども、にぽぽ です=*^-^*=




にぽぽの5月といえば!

5日に生まれ、11日に逝ったかのお方・・・

土方歳三さん強化月間に間違いなーーーーい(出たっ)!!




我が町(のとなり)の“新選組のふるさと日野”では、“新選組まつり”が大々的に行われるのですが、今年は震災の影響で中止となり、もう一つの大規模なお祭り、府中の大国魂神社の“くらやみ祭り”も中止。

なんじゃなんじゃー(><)0”
中止の判断を、ちょっと早くしすぎたんじゃないのー?!
と、いう訳で、まったく静かな東京多摩地方になってしまいました(泣)


しかしっ!
神は、にぽぽを見捨てませんでした(ノ*>□<)ノワーイ



日野市の郷土史を研究している団体主催で、司馬遼太郎さん原作の小説『燃えよ剣』の舞台を歩く企画(5/5)と、土方さんが行商をしていた“石田散薬”を作るというイベント(5/6)が行われるというではありませんか。

団体行動がちょーー苦手のにぽぽですが、思い切って参加申込みしてみました♪



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天気は、雨女のにぽぽには上出来の曇天ーーー(笑)
集合場所はJR南武線の西府駅、そして誠の旗の下に!!

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実は、3年前の夏に、『燃えよ剣』をテーマにして一人で歩いているのですが(2008年7月26日の日記⇒ 小説『燃えよ剣』 分倍河原の決闘シーン )その時とは違い、駅のすぐそばの公園には、集合時間より早くから多くの人がたむろっております。
今回の参加者は、遠く北海道旭川や九州熊本からも集まり、その数100名超えだそうです。

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その訳は・・・
新選組ドラマの最高傑作と名高い、『新選組血風録(司馬遼太郎氏原作、1965年放送)』、『燃えよ剣(司馬遼太郎氏原作 1970年放送)』で土方歳三を演じた、栗塚旭さんが参加されるからなのです。

「は?栗塚・・・誰??」ってザワザワ声が聞こえてくるようですが(笑)。

にぽぽも実は、栗塚旭さん主演の『血風録』も『燃えよ剣』も見てなくて、mixiのマイミクさんが、栗塚さんの演じた土方さんは、「それはそれは色気があって、美しくて、最高に素晴らしかった!」と力説していただいたのですが、「ふーん、そうなんだぁ」っていうぐらいの薄~い反応。
しかしですね、栗塚さんの土方歳三は、司馬良太郎氏に、「土方歳三がここにいる」と言わしめ、「栗塚といえば土方」というほどの人気となり、時代劇専門チャンネルで放送されて、今の若い世代にも人気が再燃したのだそうです。



栗塚さんが集合場所にお着きになると、朗らかな笑い声と、バリトンの通る声で、ぱぁっと明るく賑やかになりました。

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2011年5月9日をもって、御年74歳!
70代には見えないな~、軽く10歳はお若いです。



今回のイベントには、栗塚さんファンやら、新選組ファン、土方さんファンが入り混じって参加し、上は60代後半ぐらい(?)から下は20代までの大集団となったので、2隊に分かれてのウォーキング。

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にぽぽは、赤の誠の“土方隊”に振り分けられました、当~然ね(ただの偶然だけど)!
ちなみに、もう一組は青の誠の“沖田隊”。




西府駅を出発して、崖のところは、“府中断崖”と呼ばれています。

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昔の多摩川はこの崖の下を流れていたのだそう。
多摩川は、「暴れ川」と言われるほど、何度も氾濫したり、流れを変えたりしていたことがよく解かりました。


崖を降りて、昔は川底であったところを歩きます。

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川の流れを偲んで、河童の像が。
河童といえば、そろそろ河童にぽぽの季節でありますなぁ(キュウリ好き、水好き、炎天下の街散歩で脱水症状を起こしかけることから、夏のにぽぽの状態は河童)。



さて、ウォーキングは、小説の舞台、土方さんと沖田さんがあるいた道に沿って進み、“正光院”へ到着。

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土方さんと沖田さんは、宿敵との決闘に向けて、このお寺の墓地で作戦会議をするシーンがあるのです。

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ガイドさんから、江戸時代の頃のお寺の様子などの説明をしていただき、さらに御住職からも、お話を伺うことができました。

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小説の中では、ここに住む博打好き寺男が、袋叩きになっているところを、土方さんが助けることになっているのですが、江戸時代には、お寺や大名屋敷で博打が行われていることがありました。
幕府では博打を禁止していたのですが、台所事情が厳しいお寺や武家屋敷では、敷地内を博徒のやからに貸し、その上前を上納させていたことが多かったのです。

果たして、御住職が子どもの頃まで残っていた古い本堂でも、奥に隠し扉があって、そこを抜けると外からは見えないようなつくりの部屋があったとか!
きっとそこでも博打が行われていたのではないかと、ご住職はおっしゃっていました。

司馬遼太郎さんも、このお話を聞いて、博打好きの寺男というキャラクターを思いついたのだろうなーなんて、想像を楽しんだりしました。



小説のワンシーン。
土方さんが総司君に、落ちていた古箸で地面に地図を描いて、作戦会議しているところを再現(笑)

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栗塚さんも、「なかなかだね」なんて感じで、見ていらっしゃいました。



現実に土方さんが行商していた“石田散薬”が卸されていたお家にも寄りました。

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ドラマなどでは、土方さんが飛び込みで行商をしているような描かれ方をされていますが、実際はルートセールスだったそうで、卸先が決まっていました。
薬問屋を兼ねている豪農のお家とか、道場を構えているお家とか。
結構な数の卸先があったそうで、現在そのすべてを調査中なのですって。




総司君が「これじゃ泥亀だよ、土方さんの作戦は無茶だ」とグチグチ言いながら、敵に見つからないように川の中を進んだ辺り。

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そして、決闘の場所、分倍橋に到着。

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分倍橋のあたりは、 新田義貞と北条泰家が鎌倉幕府の存亡をかけて戦った古戦場としても有名です。

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またもや、小説のシーンを再現。

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この方たちは、再現劇をやってみたい人ーっていうことで、立候補した参加者の方で、役者さんとかじゃありません。
なかなかお上手でした(^^


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橋といいながら、現在は水の流路がすっかり変ってしまって、水の気配もなしでした。
水はどこにいっちゃったんでしょうねぇ?



お次の目的地は、近藤勇さんが、天然理心流四代目を襲名した時に、大国魂神社付近で行った野試合の場所。

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土方さんも門人として参加していました。

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ここも、以前に一人でお散歩してみた(2008年8月6日の日記⇒ 府中 ふたたび )ところですが、今回は、ガイドさんにきちんと説明も聞けて、とーっても有意義でした♪


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もうすぐ最終地点の大国魂神社。

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小説の中で、大国魂神社の宮司の猿渡家の娘、佐絵さんのところに、土方さんが夜這いするシーンがあるのですが、

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実際に、神社の側に猿渡さんというお宅があって、栗塚さんったら、この塀によじ登るふりして「佐絵ーーーーっ!」って叫んでくれました(笑)
かなり、おちゃめな方なんです。




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大国魂神社の境内を抜けつつ、近藤さんや土方さんも利用した江戸時代から続く松本屋にて解散。

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栗塚さんも、今回のイベントで、このホテルに滞在なさったそうです。

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ウォーキングに引き続き、夜は栗塚さんを囲んでの懇親会が行われたのですが、さほど栗塚さんに興味を持っていなかったにぽぽは、参加申し込みをしてなかったのです。
ウォーキング中に、すっかり栗塚さんファンになってしまったので、申し込みをしておけばよかったなぁーと悔みつつ、家路についたのでした(泣)。





と、いうことで、先日UPしたサインは、栗塚旭さんのサインだったのでした。
今日も最後まで読んでくれて、どうもありがとう~~~ヾ(^∇^)
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2010年 江戸文化歴史検定3級・2級合格。
2014年 新選組検定3級・2級合格。
たまに歴史と新選組のオタク日記になります。

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