府中 ふたたび 

2008年8月6日(水) 東京/

ども オタクにぽぽ です=*^-^*=



【本日の日記のご使用上の注意】
にぽぽは新選組が大好きで、特に土方歳三さん大好きっこなので、たまにネタが出てきます。興味ない方にはまったく興味ないと思うのですが、いつもにぽぽの日記を読んでくれている皆様、どうか“病気”だとあきらめて温かくやさしく、スルーしてください(笑)。でもポチだけしていっていただけると♪(〃'∇'〃)ゝエヘヘ



再び、府中にやってまいりました。

けやき並木


前回はすもも祭りで賑わっている大國魂神社でしたが、普段はとても静かです。

大國魂神社本殿

大國魂神社は明治前までは「武蔵総社六所宮」と呼ばれていました。
「六所宮」は武蔵国中の著名な六つの神社の祭神を併せて祀られている呼び名で、一ノ宮 小野神社(東京都多摩市)、二ノ宮 小河神社(東京都あきる野市)、三ノ宮 氷川神社(埼玉県さいたま市大宮区)、四ノ宮 秩父神社(埼玉県秩父市)、五ノ宮 金鑚神社(埼玉県児玉郡神川町)、六ノ宮 杉山神社(神奈川県横浜市緑区)です。


万延元(1860)年9月30日、近藤周助・勇父子らが、この場所に“天然理心流扁額”を奉納、文久元(1861)年8月27日には、近藤勇の天然理心流四代目襲名披露の野試合が開催されました。

数年前の大河ドラマで、香取慎吾ちゃん扮する近藤勇が、武者鎧を着けて軍配を持ち、天然理心流門人が額に素焼の皿をつけて試合していたシーンを覚えている方々もいらっしゃるのではないでしょうか?
あの場所が武蔵総社六所宮、現在の大國魂神社なのです。


にぽぽは新選組オタクとしては、まだまだ新米なので、神社の境内で試合が行われてたんだなーと思っていたら、違ったらしい。


野試合が行われた場所は、『六所宮東の方広場にて』という事で、未だ研究中であるそうですが、どうやら大國魂神社の境内を入らず左に曲がり、

京所道へ

京所道をしばらく東に行った、現在の日吉神社のある辺りだったのではないかとの事。

日吉神社

野試合の場所?

昔の地図を見ると、日吉神社も現在と場所が違うし、もっと広場と呼べるような場所だったらしいです。
研究要とのことですが、このあたりで野試合が行われていたのかと思うと、ゾクゾクしてきます。


オタクにぽぽとしては、新選組縁の場所に立つと、意識が幕末当時に飛んでいくようで、眩暈を覚えますが、この日感じた眩暈は、暑さ故だと思います。
間違いなく。




大國魂神社正面に接する道は旧甲州街道です。
府中は新宿(しんしゅく)、番場、本町の3つの町で構成された宿場町でもありました。

街道を挟んで斜め前に、ビジネスホテル松本があります。

旧松本屋

旧松本屋といい、上記万延元年(1860)年の奉納額についての打ち合わせや、ギャラ(笑)の清算をするのに利用されたそうです。
大河ドラマで試合の後の宴会が行われたシーンの場所かなと想像すると、笑ってしまいます。
当時と同じ旅館業を営んで残っていてくれることに感謝です。



松本屋と同じ並びに、“御菓子司 亀田屋”があります。

亀田屋

こちらも嘉永年間から続く老舗の和菓子屋さん。
近藤勇も土方歳三も、お酒呑みではなかったそうなので、ここでお饅頭など買った事があったかもしれませんね。


旧甲州街道をもう少し西に向って3〜4分歩くと、当時の姿で高札場が残されています。

高札場1

高札場2

この場所は、甲州街道と鎌倉街道が鍵の手に交わるところにあったので、『札の辻』『鍵屋の辻』と呼ばれていました。

高札場の向かいには、酒屋の中久本店があります。

酒屋


安政6年(1859)年に府中宿本町で大火があり、それを機に万延2(1861)年に店蔵を防火建築物として再建しました。ちょうど天然理心流野試合の時には、この建物が建ったばかりだったと考えられます♪

今も酒屋さんとして営業していますが、この蔵は喫茶店となっているので、おいしいコーヒーを飲むことができますよ!



神社の境内にあった空蝉
蝉の抜け殻


空蝉や思いとどけよ天に鳴け   にぽぽ作




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[2008/08/06 07:00] 新選組 | TB(0) | CM(24)

小説『燃えよ剣』 分倍河原の決闘シーン 

2008年7月26日(土) 東京/



ども にぽぽ です=*^-^*=



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司馬遼太郎氏の『燃えよ剣』は、この小説が書かれる以前の新選組、特に土方歳三という人物の評価をガラリと変えた一冊です。今なお本屋さんで平積みされているほど人気の名作です。

今日は『燃えよ剣』上巻の“分倍河原”の舞台になっている場所をお散歩してみました。
以下 斜字は小説引用部分です。



府中の六所宮(大國魂神社)の宮司の娘のところに夜這いに通っていた歳三は、その帰りに境内の見廻りをしていた男を殺してしまう。殺された男と縁のあった(その後、因縁の相手となる)七里研之助に分倍河原で決闘を挑まれる。

「おい、右に折れよう」
と、あぜ道に入った。そろそろ予定戦場に近いから本道(甲州街道)上をのこのこ歩いていると敵の待ち伏せにかかるかもしれない。

緑道1



夜露にびっしょり濡れながら。草を踏んで南へ南へとさがり、ちょうど十五、六丁も歩いたあたりに野の中に墓地がある。野寺の名は正光院。
正光院



墓地は草深い。
石塔、卒塔婆のあいだに歳三はすわりこみ、沖田にもすわらせた。

正光院境内1


「総司、提灯に灯を入れろ」
地面を照らさせた。
歳三はその地面を古箸でひっ掻きながら、器用に地図を描いた。
「これが分倍橋付近だ。見えるか」

正光院境内2


「総司、川づたいに斬りこむのだ。お前は川上から、おれは川下からジリジリと寄ってきて、橋の下で遭えるようにする。そこから土手を駆けのぼって、土手の陰にひそんでいるやつを斬るのだ。」

「ひでえ」
沖田は泣きべそをかいた。
「まるで泥亀だ。無茶だよ、土方さんの軍略は。さっき誉めて損しちゃった。

緑道2



現在の分倍橋
分倍橋



沖田は歳三に抱きつくなり
・・・・そこに二人います。
と、土手のかげを指差した。
「沖田総司、参る」
あざやかに胴を払って斃した。水ぎわだった腕である。
「土方歳三、参る」
歳三は、踏みこんで左袈裟に斬り、
その身ごなし、まるで喧嘩をするために地上に生まれてきたような男である。

分倍橋付近1


土方歳三と沖田総司が泥亀のように歩いた分倍橋下の川は涸れていました。

『燃えよ剣』は司馬氏の創作ですが、実存する場所を歩いていると、本当にあった事のような錯覚に陥り、土方歳三や沖田総司がにぽぽの先を歩いているのが見えてくるようでした。



ちなみにこの分倍橋のあたりは、 新田義貞と北条泰家が鎌倉幕府の存亡をかけて戦った古戦場としても有名です。
分倍古戦場跡



日記中に引用しました、『燃えよ剣』
興味がありましたら読んでみてくださいネ!
燃えよ剣 (上巻) (新潮文庫)燃えよ剣 (上巻) (新潮文庫)
(1972/05)
司馬 遼太郎

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[2008/07/26 20:39] 新選組 | TB(0) | CM(10)

新選組を歩く〜落日編その2〜  

2008年6月1日 東京/

ども にぽぽ です=*^-^*=


いよいよ京都旅行、最後となりました!

近鉄竹田駅のすぐ近く。

安楽寿院
安楽寿院(官軍布陣)
官軍の本営が置かれた場所です。
官軍はここから鴨川に架かる小枝橋まで布陣し、鳥羽街道を京に向って進軍してきた幕府軍と対峙しました。
強行突破しようとした幕府軍に、城南宮や鳥羽離宮庭園に布陣していた薩摩軍の大砲の第一弾が撃ち込まれました。
戊辰戦争の開戦です。

城南宮
城南宮1  城南宮2
官軍の陣として、御香宮とともに薩摩軍の主力部隊が置かれた場所です。
この時、新選組は伏見奉行所にあって、大砲の音を聞いたのでしょう。

小枝橋
小枝橋  小枝橋のほとり
ここから鴨川は桂川、淀川と合流していきます。
新選組激戦の場所千両松まで、その距離約9km ・・・にぽぽ歩きました、ひたすらに。

小枝橋から鳥羽街道にはいってすぐのところにあるお店に寄りました。
おせき餅
おせき餅
近藤局長がよくこのお餅を買いに来ていたといいます。
お店の方に“おせき”というのは何ですかと伺ったら
このお餅を作ったのが“おセキさん”という女性だったそうです。

鳥羽街道
鳥羽街道 
昔の面影が残る街道ではありますが、コンビニ一軒ありません。
おせき餅とお茶、頂いておいてよかった〜(* ̄・ ̄)

街道からはずれて川沿いのサイクリングロードを行く事にしました。
この景色
鴨川のほとりの景色
鴨川がもう少しで桂川に合流するポイントです。にぽぽは涙があふれそうになり、立ち止まりました。
土方副長のご実家がある場所、浅川が多摩川に合流するあたりの景色によく似ていたのです。
淀に向かう苦しい戦い、明らかに敗戦が色濃い状況の中で土方副長もこの景色を見たでしょうか?
故郷の日野に心を飛ばしたでしょうか?

途中にぽつりぽつりと戦場だった事を示す石碑が建っています。
愛宕茶屋跡1
愛宕茶屋跡の戊辰之役東軍戦死者埋骨地の碑
愛宕茶屋跡2 

鳥羽・伏見の戦いは激戦が繰り広げられたと言われています。
伏見奉行所では最前線に布陣し、淀への道は殿を務める新選組でした。
この旧街道には累々と死体が残されていたであろうと思うと、今ののどかな景色も少し悲しげに見えます。
DSCN1026.jpg


最終目的地、千両松 戊辰戦争激戦の地
DSCN1034.jpg  千両松 
現在は京都競馬場のすぐ脇、周りは住宅街になっています。
当時を偲ばせるものは何もありません。

唯一、古い、古い銀杏の木が

『私はずーっと見ていたよ』

とにぽぽに語りかけているような気がしました。

千両松の銀杏の木


この場所で、江戸試衛館からの同士、井上源三郎さんが銃弾に倒れます。
いっしょに参戦していた源三郎さんの甥の泰助さんが、首だけもいっしょにつれていくと首を落とし、その胴体は敵に陵辱されないよう土方副長らが川に流したと言います。

首は大変重く、当時12才だった泰助さんには持ちきれず、 泣く々途中の寺に源三郎さんの剣といっしょに首を埋めたと言われており、その寺はずーっと不明のままでしたが、場所が特定されたそうで、私が歩いた二日後の3月10日に、井上源三郎さんや土方歳三さんの子孫の方が私と同じルートを歩き、首が埋葬された場所に参った事を後で知ったのでした。



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[2008/06/01 00:05] 新選組 | TB(0) | CM(2)

新選組を歩く〜落日編その1〜  

2008年5月31日 東京/

ども にぽぽ です=*^-^*=


薫風の素足かがやく女かな (日野草白)

風薫らなかったですよねぇ!今年の5月はっo(*≧д≦)o″))
サンダルも、靴箱の中に準備済みだったのに、結局にぽぽの足元はまだ夏をむかえていませんよ!
このまま梅雨に突入でしょうか?
レインシューズを買おうかな( ̄~ ̄;)
悩み中のにぽぽです。



さて、引っ張っております京都旅行も、ようやく最終日の3日目です。
この日は18:00の新幹線で東京に向うまで、新撰組の落日として、鳥羽・伏見の戦いを歩きました。

新選組が京に上って5年目に入った慶応3年(1867)は、政局が一気に変動した年でした。
入京した当初は、幕府要職につく会津と薩摩が手を結び、過激に攘夷決行の構えの長州を、禁門の変等で排除していましたが、この頃は逆に、薩摩と長州が手を結び、一気に尊王倒幕に傾いていったのです。

これに伴って、新選組も坂道をころがるように落日への道をたどっていきました。

2008年3月8日 京都/

にぽぽは8時にビジネスホテルをチェックアウト、おなじみになった堀川通りを南へ。
再びの西本願寺
西本願寺再び2
元治2年(1865)年3月10日に壬生から移り、太鼓楼と後ろに写っている現参拝会館あたりに建っていた北集会所を屯所として使っていました。
西本願寺再び3
新選組の所帯が大きくなり、慶応3年(1867)6月10日には新選組が幕府直参に取り立てられ、まさに最盛期を2年間過ごした場所でした。

ここから二条城や黒谷に意気揚々と出かけていく、近藤局長や土方副長の晴れがましい姿、肩で風を切りながら市中見回りに出かけて行く隊士達の姿が想像できるようでした。

西本願寺の参道
西本願寺前、参道
仏具のお店が集って、独特な風情でした。昔からずーっと同じお店なのでしょうね。


同年6月15日、新選組は不動村(現リーガロイヤルホテルの辺り)に屯所を移します。新選組の手荒な振る舞いに耐えられなかった西本願寺が、お金を出し新しく建ててくれた(建てさせた?)ものだったそうですが、大名屋敷のような立派なものだったそうです。

不動村の名の元になったお不動様
お不動様
不動村屯所を偲ばせるものはなにもなく、リーガロイヤルホテルのあたりに碑が建っているだけです。これがまた、“新選組なんぞという逆賊の縁の建物なんか残しておくな!”というように感じられて、なんともせつない気持ちがします。
西本願寺の北集会所も不動村の屯所も姫路にある本徳寺に移されて、表書院と本堂として使われているとの事なので、いつか見に行きたいなと思っています。

せっかく直参に取り立てられ、近藤局長と土方副長の思いが遂げられたところなのに、二人の思いと反対の方向に時代は動き出します。
同年、10月14日には徳川慶喜が二条城で大政奉還 ・・・

11月18日、新選組と袂を分かち、御陵衛士となっていた伊藤甲子太郎が近藤勇の妾宅に招かれた帰りに新選組に斬られます。油小路の変です。

伊藤甲子太郎が大石鍬次郎らに襲撃された油小路の路地
伊藤甲子太郎暗殺現場2
伊藤甲子太郎絶命の場所、本光寺
伊藤甲子太郎絶命の地2

油小路から堀川通を見る
近藤妾宅跡近辺と不動屯所跡 
道路右側の一番手前(見切れてしまった)ベージュっぽい建物が安寧小学校、近藤局長の醒ヶ井の妾宅はこの辺りにあったらしいです。一番奥の茶系のビルが、リーガロイヤルホテルで新選組の屯所があった辺り、伊藤甲子太郎が斬られた場所はほんの50mも離れていない。小説を読んだときには、結構歩いてから斬られたのかと思ってましたが、妾宅から出てすぐに!斬られたのだなという印象でした。

12月9日には朝廷が王政復古の宣言をし、12月16日には徳川慶喜が京都を出て大阪に引くことを決め、新選組も不動村屯所をたたみ、京都へは二度と戻れない戦いの旅に出ることとなります 。
せつない・・・・

直参取立てという心躍る出来事から、伏見行きまでの展開の速さを、どう理解できたでしょうか。
♪もぉ〜すこしぃ時がぁ 緩やかでぇああぁったならぁぁぁ〜♪・・・ってこれは白虎隊か。(昭和ですいません。解らないヤングゥのみなさんはスルーしてください。)


にぽぽも京都からタクシーで伏見方面に向いました。

にぽぽ 「えーと、墨染の駅の近くの藤森神社へお願いします」
運転手さん 「お参りに行きますの?」
に 「(説明がめんどうで)まぁ、そんなもんです」
運 「勝負事なんかしますのん?」
に 「は?」
運 「藤森神社っていったら勝ち馬に乗るっていってな、勝負事の神さんや」
に 「へ・・・へ〜 そうなんですかぁ」

禁門の変のときに新選組が布陣した九条河原、竹田街道に入って、武田観柳斎が斉藤一さんに斬られた(らしい)銭取橋がタクシーの窓の外、次々に過ぎていきます。
新選組隊士達も伏見に向いながら、ここではあの事件が、あそこではこんな斬り合いが・・・と、それぞれ思い起こしたりしたんでしょうか・・・・。

藤森神社
近藤勇の襲撃の地近辺
新選組が伏見に入ってからの事。近藤局長が二条城への用向きの帰りに、御陵衛士の残党に鉄砲で狙撃された場所。実際は藤森神社から丹波筋交いまでのどこかで場所までは特定されていないらしいので、とりあえずにぽぽは藤森神社へ寄りました。

勝負事の神様の辺りで撃たれてしまった近藤局長、これからの未来の暗示だったのでしょうか・・・

肩を打たれた近藤局長は、新選組が布陣している伏見奉行所まで馬で逃げるのですが、後で地図を確認したところその距離約4kmぐらい、馬の早駆け時速25kmぐらいと考えて、約20分〜30分を意識朦朧な状態で馬に乗っていたのですね。


次に向ったのは近鉄桃山御陵前駅のすぐ近く、御香宮
御香宮
慶応4(1868)1月3日、戊辰戦争(鳥羽・伏見の戦い)勃発。
伏見奉行所の最前線に布陣していた新選組と戦った薩摩軍が布陣していた場所です。

伏見奉行所(址)
伏見奉行所跡1
 
この2箇所の陣、直線距離にしたら200mぐらいしかなさそうです、現代人のにぽぽの感覚だと、体育祭の男子棒倒しぐらいの距離感です。しかも、御香宮の方が伏見奉行所より約20mぐらい高台になっている。
この距離で大砲の弾が飛んでくるんですもんねぇΣ(|||▽||| )

小説『歳三 往きてまた』の中でも、土方副長が戦を前に隊士達に灘の酒を差し入れ、
自分は

>他になにもすることがなかったので、敵の様子をそのまま観察した。
>(あんな高台から撃ってこられたら)
>背後の奉行所の建物を振り仰ぐ。
>(ひとたまりもねぇ)
>幕府方一万五千、対する新政府軍は五千足らず。圧倒的な数の差は、しかしこの段
 階では幕軍の知るところではない。敵の数は見えない。地理的不利がありありと誰の
 目にみても明らかだ。
>(不利だな)
>と土方は思った。

とあるのですが、まさにその通りでした。にぽぽでさえ、不利だな〜と思いましたよ!!
薩摩軍が御香宮に布陣したときに、どうして手を打たなかったんでしょうねぇ。
歴史に“もしも”は無いにしても、ゆるすぎですよ、幕府軍たらっ!


こちらは当時、薩摩軍の料理方を担った、魚三楼さん
魚三楼
今も営業中。
その戸口には当時の弾痕がくっきり残っています。
魚三楼の弾痕跡
伏見戦はまさに市街戦だったのですね。危ないったら・・・

この戦いは幕府軍が惨敗、新選組も鳥羽街道を淀城に向けて撤退を開始、そのルートを追って、にぽぽも桂川沿いをひたすら歩くことにしました。
まずは腹ごしらえです!腹が減っては戦はできないのです!!
三日目昼ごはん
魚三楼さんの近くの町屋つくりのお店でいただきました。
江戸っ子のにぽぽには醤油がたりねぇ・・・と思えましたが、それはそれで、しっかりと京の味を堪能いたしました♪

席に通していただくまでの間に待合席から通りを一枚
町屋内部から通りを見る
暗い町屋に潜んで通りの様子をさぐる隊士のつもりになってみました。


午後の行程は次回に続きます〜(またかっ!)。

本日の日記に出てきた小説はこちらです。
歳三往きてまた (文春文庫 あ 44-1)歳三往きてまた (文春文庫 あ 44-1)
(2007/04)
秋山 香乃

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[2008/05/31 17:44] 新選組 | TB(0) | CM(0)

新選組を歩く〜市中見廻り編その3〜  

2008年5月27日 東京/

ども にぽぽ です=*^-^*=
なんだかやっといいお天気で、気分爽やかな一日でした。


本日の日記で京都旅行二日目の行程を書き上げます!
やっと?
お付き合いの程よろしくお願いしますです。



東山エリアをくるりと回って八坂神社に戻ってきました。
八坂神社から四条通りを眺めたところの角にあるローソン
祇園会所跡
この場所に祇園会所がありました。
元治元年(1864)6月4日夕刻の祇園祭りの賑わいの中、長州の志士達に怪しまれないように、三々五々に壬生から集った場所です。新選組の名を広めることになる池田屋騒動です。

集った時点では、長州志士が集合している場所が特定できていない!
新撰組は隊士を近藤隊10名と土方隊24名に分け、三条から四条のあたり、木屋町を端から探索し 、とうとう池田屋に踏み込む事になります。

木屋町、先斗町辺りの路地
先斗町路地    木屋町〜先斗町路地
昔のスケール感が残っているかと思われます。
この狭い路地からいきなり刀が振り落とされたりしたんですね。
大変危険ヽ(ヽ ̄□ ̄))))) ヒイィィィ!!!

再びの三条大橋
三条大橋2
この橋には池田屋騒動の時のものではないかと言われる刀傷があったりします。

橋のたもとの高札場跡
三条大橋のたもと、高札場の跡
後の話ですが、慶応2年(1866)の夏には幕府の高札が墨で塗りつぶされ、鴨川に捨てられるという三条大橋制札事件が起こっています。このときは原田左之助さんが中心で取り締まりにあたり、土佐藩士が高札を引き抜くところを突きとめて一斉に斬りこんだのでした。


これらを過ぎるとすぐに池田屋跡
三条大橋近く:池田屋跡
近藤隊は会合中の尊王攘夷派の志士を襲撃新しました。
パチンコ屋さんがあると思っていたのですが、現在は空きビルになっていました。


木屋町通りに沿っている高瀬川
木屋長:高瀬川1
木屋町の高瀬川沿いはもう事件、暗殺の跡だらけ。
佐久間象山遭難の地
木屋町:佐久間象山遭難の地石碑
幕末、時代はまさにここが中心に動いていた『現場』だったのだと感じられます。

土佐や彦根の藩邸も長州屋敷もこの一角にあり、坂本竜馬も桂小五郎もこの辺りにひそみ、時の風をしっかり体感している。
それに比べて京都守護職の会津は山のお寺に本陣を置いている。格式や重厚感はあるけど、
『事件は会議室で起こっているんじゃない!現場で起こっているんだ!(古い)』という空気感を読めなかった会津・・・

戊辰戦争の行く末を暗示できる布陣だなぁ・・・なんて、今だから思えたりします。

しる幸
古高俊太郎の邸宅跡(現しる幸)
池田屋騒動の発端となった古高俊太郎の邸宅跡です。

土佐藩邸跡
木屋町:土佐藩邸跡
蛸薬師通りの角にあります。

木屋町通りから蛸薬師通りを曲がって河原町通りにぶつかった辺り
当時の住所、京都河原町蛸薬師下ル西側
坂本竜馬遭難の地
ここが坂本竜馬が暗殺された醤油商“近江屋”があったところ、土佐藩邸のすぐ近く。
今は河原町通りはバス通り、近江屋の辺りはにぎやかな商店街です。
坂本竜馬遭難の地からの眺め2



祇園にまわり、一力亭
祇園:一力亭
文久3年(1863)10月10日、入京して7ヶ月の近藤局長が会津藩の招きで、公武合体派の藩の集りに参加し、その後も足繁く通ったお茶屋さん。

にぽぽの市中見廻り、ミッションコンプリートです!

四条通りを新選組隊士は壬生の屯所へ帰ります。
にぽぽはビジネスホテルへ帰ります。

今の四条通りはヴィトンやアルマーニなどのブランド通り、当時も目抜き通りだったのだろうと想像します。
四条通りを壬生方面へ
土方副長が姪っ子さんへのお土産の簪を買ったお店もあったのかもo(^-^)o




ちなにみ・・・
この日の夕食はビジネスホテルでコンビニおにぎりとお惣菜でした(TmT)ウゥゥ・・・

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[2008/05/28 00:34] 新選組 | TB(0) | CM(0)